第2章第4節「ゆるやかに水面を伝う嵐」

「じゃーんっ!」

「ライター……? もしかしてタバコ吸ってるの……!?」

 秘密の教えあいっこを提案した未咲希が手に持っていたのはライターだった。

 そう、火をつけるあのライターである。

「ち、違うよ!これはね、メモリアルライターっていうの」

 曰く、単なるライターではなく、ライター型の魔具だという。

 すっかりライターにばかり目がいっていたが、重ねて持っているのは羊皮紙の冊子だろうか。既に中はボロボロになっていて、大雑把に破かれている。

「この羊皮紙に書いた日付を炙ると、その日一番の思い出が見れるんだ。寂しい夜は、いつもこれを使って楽しい思い出を見て過ごすの。はやく朝が来ますようにって」

 一度聞いただけでは信じ難いことだが、魔法という技術は不可能を可能にする。

 澪自身、魔導科学にはよく精通しているが、メモリアルライターなる魔具は聞いたこともない。

「あ、その顔。さては信じてないね?」

 未咲希は澪の隣に座ると、慣れた手つきで準備を始める。

「例えば、うーんとね……」

 羊皮紙をまとめた冊子から一部分を破くと、ガラステーブルに置いてあったペンを拾う。

『2052年8月31日』

 羊皮紙に日付を書き終えると、照明のリモコンを取って部屋の電気を消した。

「よく見ててね」

 それから未咲希は親指と人差し指で日付の書かれた羊皮紙を持ち、下からライターの青い炎で炙り始めた。

 すると、羊皮紙は青く発光し始める。普通の燃焼現象のそれとは違うが、羊皮紙から立ち昇る煙はライターの青い炎によって照らされる。それはラストリゾートの上空に輝く星雲やオーロラのようにも見えた。

 そして、煙を照らすカラフルな光はやがてある光景を映し出す。

『ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートューユー』

 同じ部屋にいるのは澪と未咲希。二人は暗がりで、火のついた蝋燭の立てられたホールケーキを囲っている。

『ハッピバースデイディア澪』

 それは記憶に新しい、二人だけの思い出だった。

「すごい……これ、私の誕生日だよね」

 懐かしさからか、未咲希は柔らかい口調で訊ねる。

「そう。こうやって、羊皮紙に記した日付の一番の思い出を見返せるんだ。小さい頃、お兄ちゃんがくれたの。お前はこれからたくさんの宝物ができるから、それをしまう箱をあげるって」

 兄からもらったというメモリアルライター。記した日付を炙るとその日の思い出を見ることができる魔具。これが、未咲希がずっと隠していた秘密だった。

 未咲希が持っていた羊皮紙はやがて燃え尽き、浮かんでいた光景も消える。彼女はライターを消し、再び照明をつけた。

「ヘンなこと聞くけど、これって未来は見れるの?」

 ふと、澪は好奇心を吐露する。未咲希は説明する時に敢えてか思い出という言葉を選んでいた。だが、日付を記せる以上は過去だけでなく未来を記すこともできるはず。

 問題は未来の日付を炙ったらどうなるかだが、未咲希は少しだけ言い淀む素振りを見せた。

「未来は見れない……はずだよ。だって、今の私たちには未来に思い出はないもん。……仮に見えたとしても、それは違うんじゃないかな。未来は可能性に過ぎないし、いくらでも変えられるはずだからね」

 未来の日付を炙るということ。未来を見るということ。

 慎重な口ぶりのまま、未咲希は静かに続ける。

「願いだけが可能性を見出すことができる。夢を叶えたり未来を決めたりできるのは自分だけ。だからできることをしようってよく言うでしょ? でも、お兄ちゃんが教えてくれたの。そういう時は、一歩振り返って過去の思い出に浸ってもいいんじゃないかって」

 おそらく、思い出の中には辛い過去もあるだろう。決して、思い出して気持ちの良いものばかりではない。

 未咲希がメモリアルライターを通してどんな思い出を見てきたのか。澪には知る由もないが、未咲希の口ぶりからは向き合ったからこその苦悩が汲み取れた。

「だからね、私はこれを使いながら願うの。いつか澪みたいに強くなりたい。自分の力でより良い未来を作っていけるように、って」

 未咲希にとって、澪は頼もしい超能力者である。逆立ちしても叶うことのない、唯一無二の力を持つ。

 そんな澪に憧れていると語る未咲希だったが、澪自身はそうは思わない。超能力者だからといってなんでもできるわけではない。澪に言わせれば、超能力者なのに誰かに助けられてきたおかげで今この場にいる。

 その誰かの中にはもちろん、未咲希もいる。

「私なんて大したことないわ。人は誰だって不安になるものよ」

「澪も?」

 心底意外だという表情の未咲希。その顔を見て、澪は何故だか愛おしい気持ちを抱いた。

「うん。私も。だから私なんかに比べれば、未咲希は弱くなんかないわ」

 未咲希は超能力者ではないが、澪にない力を多く持っている。澪はそれに幾度となく助けられてきたし、尊敬もしていた。

「そっか。でも、澪には私がいるから大丈夫だよね」

 思いやっているのは澪だけでなく、未咲希も当然の如く澪のことを考えている。そこには確かに、彼女が超能力者であるかどうかが因んでいる。澪は少なからずそれをプレッシャーと感じる節があるが、以前ほど重く捉えるきらいはない。

 澪はなるべく素直な気持ちで、未咲希に応えようと努めた。

「だから、明日またついて行ってもいい? 澪が平気なように」

 これまで、澪は未咲希を真実から遠ざけてきた。それが未咲希は知るべきではないとして。

 しかし、それは間違いだったと澪は認める。

 これからは、澪は未咲希を真実から守らなけばならない。そのためには、彼女をそばに置いておくべきだろう。

「いいわ。ただし、本部で大人しくしていてね」

 本来なら、明日は未咲希には留守を任せるつもりでいた。しかしここまでされれば、澪も意気地になることはできない。

「やったー! 澪大好き大好きー!」

 少しズルいと思いながらも、抱きついてくる未咲希を宥めた。

 アイスはすっかり溶けてしまったが、二人の蟠りもまた一つ解けたことだろう。

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