第2章第3節「ゆるやかに水面を伝う嵐」

 ラストリゾート・S2セクター。比較的都心部に近いセクターとしては珍しい居住区となっている地区で、外縁市街地に比べて好立地なために人気が高い。高層マンションはもちろん、家賃を抑えた良心的な賃貸が立ち並んでおり、幅広い層の人々が暮らしている。他には魔法アレルギーの診療科を含む病院や、七年制の教育制度を設ける『木漏れ陽魔法学校』などが存在。生活を営む上ではおおよそ困ることのない地区だ。

 そんなラストリゾートの一等地とも言える地区にある高層マンション。超能力者である暁烏澪あけがらすみおは、その四階に住んでいた。彼女が選んだ家というわけではなく、楽園政府ネクサスから割り当てられた家具付きの物件だ。ラストリゾート開発貢献の見返りとして与えられたものだが、澪一人では持て余すくらいというのが所感だった。家賃についても免除されているが、彼女は家賃相当の額を寄付に充てて帳尻を合わせている。

 風呂から上がり髪を乾かした澪は、広いリビングルームへやってきた。リビングに置かれた白いソファーには、アイスを食べる鳳条未咲希ほうじょうみさきの姿があった。

「澪の分は一応冷蔵庫に入れといたよ」

「うん、ありがとう」

 未咲希とのルームシェアは、広い部屋を持て余していた澪にとってある意味都合の良いことだった。未咲希と生活を始めたのは世界魔法史博物館の崩壊によって彼女が職を失ったことをきっかけにしている。当初の未咲希は遠慮気味だったが、今では気も張らずすっかりリラックスした様子だ。澪としても、未咲希の役に立てて嬉しく思う。

 澪は六人がけのテーブルを中心としたダイニングを通り、キッチンへ向かう。全体的に物が置かれていないこともあって広々としていて、隅には申し訳程度に観葉植物が飾られている。天井照明が全体で埋め込み型に統一されているのも、広さを感じさせるのに一役買っているだろう。

 冷蔵庫の冷凍室を開けて、買ってきたカップアイスを取り出す。冷蔵庫も一般的な家族が使うような大きさで、スペースはガラガラだ。冷蔵庫から離れて引き出しからスプーンを取って腰で引き出しを押し込み、リビングへ戻る。

 リビングの中心には背の低いガラステーブルがあり、それをL字に囲うようにしてソファーが囲っている。正面に置かれた液晶テレビに向かい合って座っていた未咲希に対して、澪は隣ではなくソファーの垂直側へ座った。

 二人ともお揃いの服装はゆったりとしたルームウェア。短パンのほど良い丈で抜群の解放感と脚長効果が得られるという売り文句で、快適さと女子力を兼ね備えた人気の高いブランドものだ。

「ねぇ澪、いっこ聞いてもいい?」

 澪がアイスを食べ始めると、先に食べ終わっていた未咲希はテレビを消してそう問いかける。

「なに?」

 なんの気なしに返事をすると、未咲希は背もたれにしていたクッションをお腹に抱えて言った。

「澪っていつもDSRの本部に出入りしてるの?」

 改まって何を聞かれるかと思えば、澪とDSRのこと。今日の日中にDSRとの関係は知られてしまったため、気にするのは当たり前かもしれない。かといって嘘をつく必要もないと考え、澪は素直に事実を話す。

「ううん。今日は久しぶりに行ったの……あの日ぶり、かな」

 二週間前の一連の事件が解決した後、澪は一度もDSR本部へ足を運んでいない。あれから魔法生命体レリーフは姿を現しておらず、今日まで彼らと出会うことがなかったのだ。それ自体は良いことと言えるが、澪としてはもどかしい思いを味わっていた。

 最後に会った時、桜井はいつでも頼ってくれと言ってくれた。少なからず彼には恩義を感じているし、時間が経った今でも変わらない。

 しかし、彼に会いたい気持ちはあれども、迷惑をかけたくもなかった。あの日から、そのことで悩まなかった夜はないと言っても過言ではないだろう。

「そういえば、どうしてあの日の博物館にいたことを教えてくれなかったの?」

 未咲希に自らDSRとのことを話したことはない。聞かれなかったからと言えばそれまでだが、彼女に知らせる必要がなかったから。そして何よりも、

「未咲希に心配かけさせたくなかったから」

 澪にとって、未咲希は数少ない友達と呼べる存在だ。澪は彼女のことを大切に考えているし、なるべくなら自身が抱える事情に触れさせたくなかった。超能力者として関わる出来事は、危険な場合がほとんど。未咲希がいくら護身術を身につけていようと、関わるべきことでないのは間違いない。

 だが、澪の気遣いはかえって未咲希を不安にさせてしまっていたようだ。

「そりゃあ心配するよ。でも、内緒にされる方がもっと心配かも」

 声にほんの少しいじけた感情を滲ませる。未咲希に知られるのは時間の問題だったのかもしれない。澪はなるべく彼女を知るべきでない真実から遠ざけようとしてきた。

 それは、間違いだったのだろうか。

「ごめん」

 謝罪の言葉がもたらすのは、居心地の悪い空気。嘘や沈黙は不都合なことを塗り潰すことができるが、一度剥がれてしまえば取り繕うことはできない。

 言い訳も見つからず黙りこくる澪。恥を晒すような気まずい雰囲気を打破したのは、未咲希の思いがけない一声だった。

「じゃあさ、秘密の教え合いっこしない?」

 え? と澪は思わず聞き返した。

「だって澪の秘密ばっかり教えてもらって私は何も言わないのはズルいもん。それにお互い秘密はなしなんてルールはイヤだけど、教え合いっこなら平等でしょ? 私だってあんまり言いたくない秘密はあるし」

「未咲希にも秘密があるの?」

 言いたいことは分かるが、彼女に秘密があるのかどうか。澪には想像もつかなかった。

 もちろん、未咲希の全てを知っているとは言わないが、彼女と暮らす中でなんとなく理解は深まっている。そもそも秘密というのは親しい仲になっても敢えて話さないことであり、単に知らないこととは違う。

「ふっふっふっ、ちょっと待っててね」

 どこか楽しげに笑う未咲希はソファーから立ち上がると、寝室の方へ向かう。どうやら寝室に秘密とやらがあるらしい。

 といっても、寝室には未咲希の為に買い足したが結局片方しか使っていない二つのダブルベッドと、その間に置かれた小物類を入れる棚くらいしかない。

 いったい何を持ってくるのか、少しドキドキしながら待っていると、未咲希は一分もしない内に戻ってきた。

「何を持ってきたの?」

「さぁ、なんでしょう?」

 未咲希は焦らすようにして、手に持ったものを後ろ手に隠している。背中で隠せるからにはそれほど大きいものではなさそうだが、これだけで特定するのは難しい。それでも澪は自分なりに考えて思いつくものを口にしてみる。

「寝る前に日記を書いてるとか?」

「ぶぶー、違います」

 楽しそうに否定する未咲希。彼女の様子を見れたなら答えを外したのも悪いことには思えない。といってもそれ以上のことは思いつきそうになく、澪はあっさりと白旗をあげた。

「降参」

 一応ヒントも用意していた未咲希としては少し物足りないが、彼女はすぐに秘密を明かした。隠すことよりも早く教えて驚かせたいという気持ちの方が勝ったのだろう。

「じゃーんっ!」

「ライター……? もしかしてタバコ吸ってるの……!?」

 未咲希が手に持っていたのはライターだった。

 そう、火をつけるあのライターである。

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