第1章第9節「うららかな木漏れ日の中で」

 太陽が沈んでも、ラストリゾートの景色は大きくは変わらない。日中でも観測できる星雲やオーロラはそのままに、夜になるとその光がより強い輝きを放つからだ。

 幻想的で見惚れる美しさを持つ夜景。その中で異彩を放つのが、文字通り景色に浮かび上がる空中城塞シャンデリアだ。世界にもたらされた魔法という超自然的な景観と、魔法による産業革命が開発したラストリゾートの街並み。そのコントラストは、いつ見ても色褪せないものだった。

「んっ~~~~! はぁ……まさか澪がDSRの捜査官だったなんて」

 透明なガラスの柵に腕を乗せ、爽快な景観に背筋を伸ばす未咲希。

「捜査官ってわけじゃないわ。ただの知り合いっていうだけで」

 謙遜する口ぶりで澪は事実を述べた。確かに彼女は桜井たちと面識を持ち、本部を訪ねれば入館を許可されるだろう。だからといって、DSRの正式なエージェントではない。

 しかし、未咲希は興奮を抑えきれず声を上擦らせた。

「それってすごいことだよ? DSRの本部に入って、しかもその捜査官の人と一緒にご飯まで食べて……いいなぁ」

 未咲希の言う通り、世界魔法史博物館のスタッフとして働いていただけの一般人が、こうしてDSR本部に歓迎されているのは幸運と言える。加えて言えば、DSRに関する様々な噂話について、未咲希はいくつかかじっている。ある種のオカルト的なことに目がないこともあって、彼女は博物館で働くことを選んでいた。

「ねね、私もここで働かせてもらえないかな?」

「えっ?」

 突拍子もないことを言い出す未咲希に驚く澪。その様子から鵜呑みにしているようだが、未咲希はクスクスと笑った。

「なんて、冗談だって」

「もう未咲希ったら。すぐそういうこと言って」

 彼女はよくこうやって澪を驚かせる。振り回される側として気が気でないが、その元気さは澪にとって羨ましくもあった。

「あーあ、私も澪みたいな超能力があればいいのになぁ」

 反対に、未咲希は澪に憧れを抱いている。なぜなら、彼女は超能力者だからだ。

「そんなに良いものじゃないよ?」

 澪は物憂げに呟く。彼女にとって、超能力者であることには思うところがいくつもある。それのせいで悩み、彼に助けられるまで酷く追い詰められてもいた。そんな災いのもとである超能力を欲しがる未咲希に、澪は何と言うべきか計りかねている。

 だからこうして、彼女はいつも同じ言葉ではぐらかす。未咲希はその裏にある葛藤を、知る由もない。

「でもやっぱり憧れちゃうなぁ」

 澪はこう考えたことがある。考えたいわけではなく、考えてしまう。それは多々あって、今も脳裏を過っている。

 未咲希は、澪が超能力者だから憧れているのか。

 未咲希は、澪が超能力者だから好きでいてくれるのか。

 すると、

「お邪魔だったかな?」

 二人の背後に立っていたのは、桜井だった。

 先ほどまでの考えを必死に振り払おうと、澪は首を横に振った。

「ううん、そんなことないわ」

「戻ってたんですね。お疲れ様です、なんちゃって」

 オロオロとする澪だったが、幸いにも未咲希は少しふざけて挨拶する。桜井はそちらに気を取られていたこともあり、怪しまれることはなかった。

「うちのエージェントみたいだ」

 そう言って笑い合う桜井と未咲希。澪はどうにか気持ちを切り替えて、会話に混ざろうとした。

「桜井くんまで……無理に乗らなくてもいいのに」

 すると、桜井は角の立たない言葉を返した。

「本当のことさ」

 言い終わると、桜井は澪と未咲希に倣ってテラスの柵へ近寄って肘をかけた。澪とは未咲希を挟んだ位置関係で三人が並ぶ。

「コレットに付き合わされたって聞いたけど、大丈夫だったか?」

 桜井は話題を変えて日中のことについて聞く。

「えぇ。ごはんを奢ってもらったの。後でお礼を言っておいて」

 コレットは今もサロンで蓮美に膝枕をしている。彼女は普段からイタズラ好きな上司ではあるが、人一倍気遣いができる一面もあった。手持ち無沙汰になっていた二人を食事に誘ったのも、彼女なりの気遣いだったはずだ。

「三人でおっきなパフェを食べたんですよ。すっごく美味しかったです」

 未咲希の反応を見るに、大きな問題はなかったようだ。コレットと蓮美も、二人と上手く接してくれているのだろう。

「ならよかった」

 次いで、桜井は澪と未咲希に言わなければならないことについて触れる。コレットとの食事より、どちらかと言えばこちらの方が重要なことを。

「例の事件だけど、付き合わせることになって悪かった。君たちに負担をかけたくはなかったんだけど」

 澪は超能力者としてだけでなく彼女自身として、黒い太陽事件の解決に協力してくれた。未咲希は澪の友達だというだけで本来は普通の暮らしをしている。二人とも、DSRが対処すべき事柄に遭遇すべきではない。

「いいの。私から言い出したことだし、役に立てるように頑張るつもり」

 桜井の気遣いに対して、澪は問題ないと話す。彼女が協力してくれるのは、月城時成と同じく前回の縁ありきのもの。感謝すべきことに変わりはない。

「それにDSRにお力添えするのって、すっごく楽しいですから」

 一方の未咲希も協力的な姿勢を見せてくれている。とはいえ、今回の事件はそれなりの危険が伴う。桜井は未咲希のことをよく知らないし、万が一に戦えるかも分からない。ゆくゆくは澪に任せるにしても、その好意を無碍にすることもないだろう。

 見たところ魔具になりそうなのは、身につけているネックレスやスカーフ辺りだろうか。現代は身近なものでさえ攻撃能力を有する魔具となるため、人を見かけで判断するのは愚かだ。一見丸腰に見えても、強力な魔具で武装しているかもしれない。

「それで状況はどんな感じ?」

 仕事柄ゆえか未咲希の格好から分析しようとしていると、澪が捜査の進捗を聞いてきた。

「今は手がかりを探してるとこ。明日にはもうちょっと動けそうだから、今日は帰ってゆっくり休むといい」

 澪と未咲希は既にDSRの捜査へ協力することを決めてくれた。が、今すぐに行動すべき段階でもなく、暗黒街も静けさを保っている。本格的な行動は明日からとなるだろう。

 桜井が改めて二人と向き合うと、澪が未咲希の隣に並んで言った。

「今日は色々とありがとう。おかげで未咲希にもいい思い出ができたかもね」

 礼を言われても、桜井が何かをしたわけではない。二人をもてなしてくれたのは間違いなくあの二人だ。

「浅垣とコレットに伝えとくよ」

 それでも、澪は桜井の目を見ていた。彼に言いたいことがあるようにも見えたが、口を開くことはない。

 ただ数秒の沈黙を経て、澪は別れを告げた。

「それじゃあ、またね」

「ばいばい」

 未咲希は手を振って、澪と一緒に桜井のもとから去っていく。

 思い返してみれば、澪と面と向かって最初に話し合ったのはこの場所だった。あの時から続く縁が、今ここでも結ばれた。

「なぁ」

 気がついた時には、桜井は二人の背中を呼び止めていた。振り返ったのは澪と未咲希。彼らの距離から見れば、両者を見ているように見えるかもしれない。

 だが、彼は間違いなく澪の方を見つめていた。

「その、ありがとな。協力してくれて」

 最後にかけられた言葉を受け取り、澪は大きく頷く。

 未咲希が見守る中で、澪はもう一度だけ言葉を投げかけた。

「また明日」

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