第1章第7節「うららかな木漏れ日の中で」
ラストリゾートのブラックマーケット────いわゆる暗黒街は、ラストリゾートの黎明期から存在し魔具を行き渡らせたとされている。多くは違法な取引であり、それを阻止するのは超常現象対策機関DSRの管轄だ。
そして当然、ラストリゾート最大の財閥である月城財閥もまた、暗黒街には縁の深い歴史を持つ。
「全部親父がいなくなったのが悪いのさ。あの博物館を作ったのも、レヴェナント工房と業務提携したのも、あいつのせいなんだからさ」
時成は机から足をおろし、暖炉の方を見ながら恨めしそうに話す。彼の視線を追ってみると、暖炉の上に飾ってあったのは大きな額縁に入れられた家族写真だった。
写真に写っているのは、厳かな印象を受ける男性の姿。彼こそが月城財閥の会長であり時成の父親でもある
桜井が写真に気を取られていると、浅垣は時成の発言から気になる点を拾い上げた。
「失踪した財閥の会長と、レヴェナント工房が関係あるのか?」
魔導工房レヴェナント。ラストリゾートに拠点を置く魔具の開発を生業とする世界最大の企業として知られている。
「もともとブラックマーケットに魔具を横流ししたのはレヴェナント工房なんだ。今回の件はそれを許した親父のせいでもある。監督不行き届きってヤツさ。二週間前、全ての事件の裏にあった『灰皿』にしたってそうだ」
『灰皿』。それは、二週間前に発生した一連の事件に深く関係する魔具の呼び名だ。ありとあらゆる魔法を記した掟、それを燃やした灰を収めていることからそう呼ばれている。ユレーラは『灰皿』を用いて世界と魔界、そして桜井と自らを一つとしようとした。
時成の口ぶりの通り、『灰皿』にも財閥の会長が一枚噛んでいた。今となってはそれも過去のことではあるが。
「だいたい、あれもそれも親父がいなくなったのが悪いんだ。親父がいれば、俺はこんな責任を背負う必要もなかったのにさ」
世界魔法史博物館跡地から連なる事件に、桜井たちDSRは対応を追われている。その手がかりを求めてやってきたが、時成もまた差し迫った問題に直面していた。
月城財閥会長の失踪。部外者である桜井には想像することしかできないが、身に覚えのない責任や問題に見舞われるのは不憫と呼べるだろう。彼が過去DSRに協力してくれたことは事実であるし、態度が気に食わないからと言って頭ごなしに否定する気にはなれない。
「進展はなしか。帰るぞ」
現実問題、ポーラへの手がかりは見つからなかった。浅垣は合理的に判断し、書斎を後にしようとする。多少なりとも時成への同情を持った桜井に対し、浅垣はやや冷めている。それが悪いとは言わない。彼は割り切って仕事をしているだけなのだ。
「とにかく、何かあったら連絡してくれ。手がかり足がかりになるならなんでもいい」
桜井は言うだけ言い残し、デスクに連絡先を記したカードを置いて行った。
現状、時成はポーラへの手がかりを持っていない。しかし、今後彼が何らかのきっかけで手がかりを持つ可能性もある。常に視野を広く持つことが、桜井が上司から学んだ成功の秘訣だ。
「待ってくれ」
と、書斎から立ち去ろうとした二人を呼びとめる。
「これは財閥というよりは親父の秘密なんだけど、あんたらは知っておいた方がいいかもしれない。とてもじゃないけどこんなこと、警察にはおいそれと教えられない」
桜井と浅垣が振り返ると、時成は椅子から立ち上がっていた。普段はおちゃらけている彼の表情は真面目そのもので、桜井はその意思を汲み取った。
「教えてくれ」
息を大きく吸って、大きく吐く。なるべく肩の力を抜いて、時成は屋敷に纏わる秘密を打ち明けた。
「この屋敷には地下空間があるらしい。親父はそこを『宝物庫』と呼んでて、何かを隠してるみたいなんだ」
時成が言うには、月城財閥の屋敷には地下空間が存在するという。豊富な財力を持つ財閥の秘密といえばそれらしいが、信じる根拠としては少しばかり薄い。疑わしいことに、彼の口調が断定的でないのも拍車をかけている。
とはいえ、時成には桜井たちに嘘の情報を教える必要もなければ、彼は考えた上で秘密を明かそうとしてくれた。信じる価値はあると踏み、桜井は事実を確認するためにもこう提案する。
「その『宝物庫』には何があるんだ?」
問いに、時成は肩を竦めてみせた。
「さあな。なんなら入り方も失踪した親父にしか分からない。入り口がどこかさえ俺は知らされてないんだ」
案の定と言うべきか、失踪した会長が隠した『宝物庫』に入る手段はないという。
「ただ、この書斎から見つけた屋敷の見取り図には確かに地下空間があった。俺も隠し階段があるか屋敷中を探してみたけど結局見つからなかった。多分、専用の魔具でカモフラージュしてるんだと思う」
「あるかも分からないものを信じろと?」
浅垣の冷静な問いかけは尤もだ。彼らには目下の優先すべき問題が数多くある。財閥が抱える秘密が直接的に関係しない以上、追求は時間の無駄になるかもしれない。まして、『宝物庫』の存在を断定できるほどの証拠も、時成は掲示できなかった。精々巷で囁かれるような噂と同じ程度のものだ。
「信じなくても良い。ただ、この屋敷には俺も知らされていないような秘密が隠されてることを知っておいてくれ」
あくまでも噂程度であることを否定せずに、時成は可能性として留意することを望んだ。そこにはやはり、財閥の御曹司であるが故の勘が働いていた。
「なんでかは分からないけど、最近思うんだ。遅かれ早かれ、暗黒街の連中は親父の秘密に気づくんじゃないかって。だからヤツらより先に秘密を暴かなくちゃいけない。親父が隠してるものが何にせよ、大抵はロクな代物じゃないからな」
彼の言い分も理解できる。世界魔法史博物館に『灰皿』を収容していた月城財閥。彼らがより多くの秘密を抱えていても不思議ではない。何よりも、万が一
最優先で対処することは時成本人に任せるにしても、DSR側も把握しておくに越したことはないだろう。何より、提供された情報は間違いなくDSRが専門とする事柄だ。
「別に俺は好きで財閥を築いたわけじゃない。でも親父の遺産は全て把握しておきたいんだ。でないと、レリーフが現れた時の二の舞になるだろ」
珍しくと言うべきか、時成は真剣な口ぶりで心中を吐露した。普段のお気楽で女好きな振る舞いからは結びつかないほどに。
「……意外と考えてるんだな。ほんの少しは」
財閥が抱える根の深い複雑な事情を知ったせいか、時成への見方が少しだけ改まったように思う。
「意外は余計じゃないか? 俺はいつも考えてる」
桜井の言葉が慰めになったのか、時成は普段の調子に戻りつつ鼻を高くした。
現実は優しさも厳しさもない平等さで、ただあるがままの事実を突きつける。時に残酷に。時に寛容に。ただそれを判別するのは当人であり、現実を選り好みすることはできない。だからこそ、意図して優しさを持てる人の心ほど、贅沢なものもない。
「行くぞ」
さっさと踵を返す浅垣に、桜井もまた後に続く。
「それじゃあな」
「何か分かったら俺にも教えてくれよ!」
「お前もな」
成り行きから始まったDSRと月城財閥の協力関係は、なんだかんだとしばらくの間続きそうだ。
「何か分かったら連絡するよ」
結局、ポーラへの手がかりは見つからなかった。月城財閥に関係する秘密を把握したとはいえ、捜査は暗礁に乗り上げた状態だ。
時成と別れて屋敷から出た桜井と浅垣。車に乗り込んだ二人はすぐに去ろうとはせず、エンジンをかけずにいた。浅垣は何か考え込むように屋敷を見つめ、桜井は椅子に浅く腰かけて脱力している。捜査の進展が得られなかったことで、すっかりお手上げ状態だ。
「屋敷に悪魔が取り憑いてるって噂話なら聞いたことがあるけど、まさか地下空間まであるなんてな」
ふと、両手を頭の後ろにやってくつろいでいた桜井がだらだらと言う。
「屋敷に地縛霊がついてるって話か」
桜井が触れた噂話について、浅垣も耳にしたことがあった。
月城財閥の屋敷には幽霊が出るらしい。超常現象や魔法に関わるDSRにも様々な噂が付き纏うように、財閥もそういった噂が囁かれている。
「怪奇現象が起きるっていうけど、ただの魔法的な現象だろ? あの屋敷には博物館ほどじゃないにしろ、魔具がいっぱい保管されてるし何もおかしくない」
魔力のある場所には様々な超常現象が起こり得る。大衆がよく目にする青空の星雲や、不自然なまでに繁茂する植物。しかし、それは科学的に言えば魔力に由来する自然現象であり、当たり前のこと。勝手に物が動いたり消えたりするような、一見すれば怪奇現象なものも実は魔力による自然現象に過ぎない。
とはいえ、世界にはあらゆる可能性が存在する。現実として確認するまで、真実は如何ようにも歪んでしまう。
「屋敷全体を調査しないことには何も分からない。ヤツの前じゃ口が避けても言えないが、失踪した会長の亡霊だって噂もある。おそらく、ヤツの言う『宝物庫』と何か関係があるかもしれないな」
浅垣の憶測ではあるが、屋敷に悪魔や霊が出るという噂が『宝物庫』と関係している可能性は高い。起こり得る超常現象が魔力を由来にすることを前提にするならば、その源として地下空間が挙がるのはしっくりくる。
「確かに」
一人納得する桜井。
そんな彼の横で、浅垣は腕時計型のデバイスをいじり本部へ通信を入れた。
「蓮美。これから戻る。月城財閥から連絡があればすぐに教えてくれ」
ポーラと関係する線は薄いとはいえ、屋敷の秘密を無視することもできない。『灰皿』の件があったからこそ、浅垣も時成と同じく先を見越して行動を起こしている。
『了解、帰ってきたら伝えておくから安心してくれ』
と、通信で返ってきた声は明らかに桐生蓮美のものでない男のものだった。
「柊か。蓮美はどうした?」
一瞬だけ眉をしかめた浅垣は、オペレーターの蓮美の行方を聞く。
『昼ごはんを食べに行ったよ。コレットさんと、あの暁烏さんたちも連れて行ってるみたいだ』
どうやら、コレットが蓮美と暁烏澪、鳳条未咲希も誘って昼食に出かけたらしい。そういえば、コレットがお腹を空かせていたことを桜井は思い出す。
『心配せずとも、帆波や雨燕さんが残ってるから、急いで帰ってこなくてもいい』
現在のDSRは桜井たちもコレットたちも席を外していた。だがDSRは彼ら以外にも多数のエージェントを擁している。帆波颯爽のような桜井の同期エージェントもいれば、雨燕朔弥のようなエリートエージェントもいる。一部が出払っていたとしても、余程のことがない限り大きな問題はない。と、柊は言う。
「柊、お前蓮美の席の座り心地が良いだけだろ?」
浅垣の腕時計に向かって話しかける桜井。今回は声のみの通信だったが、柊は桜井の予想通りに蓮美の席を陣取っている。DSR本部の中央司令室に席を持つ事務員の柊だが、オペレーターである蓮美の席は彼以上に広く快適なものだった。蓮美の身長に合わせて椅子の高さが低めな点を除けば、だが。
尤も、普段の席が窮屈に感じるのは柊が散らかしているからというのも相まっている。それでも、蓮美の開放的で快適な席と椅子にあるフカフカのクッションは他にないものだ。
「……まぁ、その、なんだ。たまにはゆっくりサボるのも良い気分転か」
蓮美の席にいることがバレたせいか、途端にぎこちなくなる柊。それ以上の弁明を聞く気にもならなかったのか、浅垣は途中で通信を切断してしまった。
桜井は何も言わずとも、彼の様子を見て笑った。
なんだかんだと言って、浅垣は蓮美のことを大切に想っている。彼女からの好意に応えようとはしないが、それを無視しているわけではない。浅垣らしいといえばそうだが、素直になればいいのに。と、桜井は常々思わされていた。
「そういえば新垣はもう食った? 飯」
車に表示されていた時刻に目が入り、桜井は何気なく聞いてみる。思い返してみれば、浅垣はカフェに向かい澪たちを拾ってきて以降、休む間もなく動き続けているふうに見えたからだ。
「まだだ」
やはり、昼食を食べずに仕事をしていたらしい。
DSR本部を出たのは昼過ぎで、現在の時刻は既に夕方になりつつある。本部を出る前に昼食を済ませた桜井に対し、浅垣はそれ以前から活動していた。
「だと思った。せっかくだし食いに行こうぜ。奢ってやる」
幸か不幸か、捜査に進展があったわけではない。次にポーラが動き出すまでは、彼らにも時間と猶予ができたところだ。
「何様のつもりだ」
突然の申し出に、浅垣は多少狼狽えたのか横目で桜井を見やる。
意固地になった浅垣は、きっと「俺は平気だ」と言うに決まりきっている。そこで、桜井は機転を利かせて言った。
「いいから。俺が小腹空いたの。嫌なら運転しようか?」
浅垣のためではなく、自分が食べたいから。
彼の生意気な態度に辟易しながらも、浅垣はエンジンキーを回した。
「奢りだな?」
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