第1章第6節「うららかな木漏れ日の中で」




 桜井と浅垣の二人は車に乗り込み、DSR本部から少し離れた位置にある月城財閥の屋敷へと向かった。

 DSRと月城財閥が互いに干渉することはあまりなく、今回のように接触を図ること自体が異例だ。しかし、桜井たちに限っては異例ではないのかもしれない。というのも、世界魔法史博物館を含む一連の事件において両者は協力体制を取っていたからだ。桜井よりも三年長く勤務している浅垣も、過去に同じ事例はなかったと語っている。

 また、協力体制になったことはいいものの、桜井にとって少々面倒な事例でもあった。なぜなら協力する発端となったのが、桜井と財閥の御曹司である月城時成つきしろときなりとの衝突にあるからだ。

 とはいえ、これには魔法生命体レリーフの主格たるユレーラが桜井結都のドッペルゲンガーだったことが密接に関係する。詰まるところ、時成ときなりは街を侵略しようとしたユレーラと桜井を勘違いしていたのだ。誤解はすぐに解けたのだが、時成は勘違いによる衝突について根に持っている節がある。良い意味か悪い意味かは判断しかねるが、まず間違いなく面倒なことだった。

 なぜなら、時成は喧嘩っ早い勝負好きかつ生粋の負けず嫌いだったのだ。

 以来、時成が勝負の事を持ち出す度に、桜井は再戦の申し込みを断らなければいけない。黒い太陽事件の解決後に彼と会った時にも、同じことを繰り返していた。

「…………」

 車の助手席から降り立った桜井は神妙な面持ちで屋敷を見つめる。浅垣が車を停めた場所は屋敷前の噴水広場で、まさに桜井と時成が初めて剣を交えた場でもあった。

 前回訪れた時、車は隣接するラストリゾート記念公園の路傍に停めたが、今回はアポを取ってあるため門から入ることができた。

 桜井としても、再びこの屋敷に訪れることになるとは予想もしなかっただろう。彼は気乗りしないまま、屋敷の敷地へ足を踏み入れた。

 ラストリゾート最大の財閥として知られている月城財閥。その屋敷というだけあって、見上げる者を威圧する荘厳な佇まい。高層ビルの多いラストリゾートの都市部では珍しい建築様式が採用されており、見方によっては教会のようにも宮殿のようにも見て取れる。

 桜井が実際に屋敷の中へ入るのは初めてだ。たとえ財閥の敷地内とはいえ警戒を緩めずに進み、正面の扉へと歩を進めていく。

 ある程度近づいた時、誰も触れていないはずなのに観音開きの扉は音を立てて開放された。高級な造りではあるが、自動ドアと思えるような機構は見当たらない。おそらく、魔法によって来客を歓迎してるのだろう。

 迎え入れられた屋敷の内装は高級感の漂うものだった。大理石を思わせる光沢の床にはシルクのカーペットが敷かれ、天井からは豪奢な照明が吊り下げられている。高級な屋敷といえばやたらと高級品が飾られているイメージだが、月城財閥の屋敷は少し異なっていた。むしろ花瓶や骨董品の何も置かれていないデッドスペースが目立ち、よく言えば清潔で悪く言えばガランとした印象を受けた。そこからは、屋敷の主人の美的感覚が窺える。

『ようこそ、我が屋敷へ。DSRのエージェント諸君』

 どこからともなく、空間を伝わって声が聞こえてくる。自信に満ち溢れ鼻を高くしたわざとらしい声。その主の顔がチラつくと、桜井は浅垣と顔を見合わせて呆れる。

『ささ、そんなところに突っ立ってないで、奥に案内しよう』

 芝居がかった時成の態度に飽き飽きしたのか、桜井は屋敷の奥へ向けて声をあげる。

「お芝居に付き合う気分じゃないんだ。さっさと出てきたらどうだ?」

 桜井の呼びかけには応えず、姿を見せる気配はない。相変わらず、時成の声だけが響いてきた。

『そう釣れないこと言わないでさ。ほらこっちだよ、こっち!』

 すると、屋敷の壁面に等間隔で掛けられているランプが明滅しだす。ランプには電気ではなく火が使われているらしく、時成の声に反応して中の炎が揺らめく。それは順番に奥の階段に沿って明滅し、まるで桜井たちを誘導するように見えた。

「どうやら、しばらく付き合ってやるしかなさそうだ」

 ここは月城財閥の屋敷。浅垣の言う通り、今は主人に従うしかないようだ。

「だな」

 二人は仕方なく時成の魔法による誘導に従い、屋敷の奥へ進む。階段を上がると長い廊下が広がり、さらに二階にかけられたランプが明滅し彼らを誘う。途中には長机が置かれた食堂の上を通り、階段を登っていくと三階へ辿り着く。不思議なことに屋敷の中には人の気配が一切感じられず、召使いや住人の一人も見かけることはなかった。時成以外の人は住んでいないのだろうか。

『こっちこっち! 迷子にならないでくれよ?』

 ランプは三階の中央へと二人を導き、やがて大きな扉が自動的に開かれた。二人は招かれるままに扉の中へ向かうと、そこにはようやく時成の姿があった。

「よぉ!」

 主人の私室として使われている書斎にいた時成は、大きな椅子から立ち上がって二人の前へ出てきた。

「急に連絡が来てさ。どうやってもてなしてあげようか考えてたんだけど、どうだった?」

 時成は子どものように無邪気な笑みを浮かべて聞いてくる。ここに来るまでの演出は全て、彼が必死に考えたものだったらしい。

 真相を知った桜井は呆れた表情を変えずに、口先だけは精一杯楽しそうに答えた。

「あぁもちろん、いや楽しかったよ。本当に。最高だ」

 対して、時成は反応を真に受けて満足げだ。

「へへ、そうだろ? 気に入ってくれたみたいでよかった」

 もちろん、桜井の意図は時成への皮肉である。とはいえ、屋敷の主人の機嫌を損ねてしまうのは得策とは言えない。野暮なことを言うより、気分良くしてもらっている方が良いだろう。

 くだらない歓迎パーティーも終わりいざ本題。といったところで、時成は二人の背後を見て誰かを探しているようだった。

「ところでコレットさんは? 来てないの?」

 書斎にやってきたのは桜井と浅垣の二人だけ。時成が一時的に背中を預け合った仲にある(少なくとも彼の中ではそうなっている)コレットの姿は見当たらなかった。

「俺たちだけだ」

 桜井は少々戸惑いながらも、手を広げて答える。

 コレットがいなくとも、大きな問題があるわけではない。にも関わらず、彼女が来ていないことが分かると、露骨に肩を落として見せた。

「あ……そうか。てっきり来るのかと」

 落ち込んだ時成は踵を返し、書斎のデスクへ向かう。デスクの上はDSRのエージェントたちに負けず劣らずの散らかり具合だ。置かれているブレスレットと四つの宝石は、彼が普段愛用する四つの属性の魔法剣を秘めた魔具。メンテナンスをしていたのか本来はブレスレットに嵌められている宝石は外されている。他に目立つのは古い蓄音機のような装置で、時成が桜井たちに声を届けていた魔具がおそらくはこれだろう。

 改めて周囲を見回すと、インテリアの類の殆どが美術品のコレクションばかり。机の上にある紙には古い羊皮紙も混ざっていて、散らかっていてなお書斎の雰囲気にマッチした上品さを醸し出している。時成が座ろうとしている椅子もDSRにあるものより遥かに上質なものだ。

「まあいい。せっかく来てくれたんだ。くつろいでってくれよ。良い酒もあるぞ」

 最高級の本革を用いた贅沢な椅子に腰掛けると、時成は足を机の上にあげてボトルを持つ。銘柄はラストリゾートではなく魔法郷アルカディアのもので、手に入れるには苦労する代物。さすがは財閥の御曹司、といったところだろうか。

「気持ちは嬉しいけど、遊びに来たわけじゃないんだ」

 言うまでもなく、桜井たちは酒を酌み交わすためにやってきたわけではない。桜井は当たり障りのない言葉を選んだが、浅垣は無遠慮に本題となる要件を持ち出す。

「世界魔法史博物館から流出した魔具を回収しているそうだな」

 質問を受け、時成はボトルに一度口をつけてから「あぁ」と頷いた。

「博物館の魔具はうちの財産だからな。全部塵になってくれたらよかったのに、誰だか知らないけど魔具を悪用してる輩がいるんだろ?」

 DSRの調査報告にあった通り、財閥は博物館の魔具に関する問題に直面しているようだ。

「まったく、金盞花はもう逮捕されたんじゃなかったのか?」

「今回は金盞花じゃない」

 博物館の魔具を集めている人物を突き止めているDSRに対し、時成は犯人のことを知らない様子。怪訝に返事をする桜井の隣で、浅垣も手応えを感じられずに腕を組んだ。

 そんな彼らの反応を見ても、時成はなお普段の能天気な調子で言う。

「そうか。まあでも、あんたらが来てくれたってことは、そいつもとっちめてくれるんだろ? 助かるぜ。博物館の権利なんて知ったこっちゃねーし、俺も困ってたんだよ」

 財閥の御曹司らしからぬ口ぶりに、桜井は思わず浅垣と顔を見合わせる。もしかすると、彼はDSRが思っている以上に頼りないのかもしれない。そう決めつけるのは性急だと言いたいように、腕を組んだままの浅垣は今一度切り込んでいく。

「単刀直入に聞こう。ポーラ・ケルベロスという名前を知っているか?」

 世界魔法史博物館から流出した魔具を集めているテロリスト。当事者である時成は当然その名を耳にするのは初めてではないはず……のだが、

「あぁっ…………誰だそれ?」

 素っ頓狂な声で聞き返す。

「なに?」

「え?」

 自分の耳を疑う桜井を見て、自分が変なことを言ったのかと困惑する時成。どうやら本当に何も知らないらしい。

「当てが外れたか」

 きっぱりと落胆の台詞を吐く浅垣。桜井は彼の無遠慮さをフォローすることが多いが、今回ばかりは期待外れだったと認めざるを得ない。

「おいおい……それでも財閥の跡継ぎなのか……?」

 博物館から流出した魔具の責任を問われているに関わらず、これまで能天気な態度を崩さなかった時成。彼の口ぶりもどこか他人事のようで、危機的状況に置かれていることを理解していないように見えた。

 そうした直感から頭を抱える桜井だったが、続く時成の返事は直感が正しいことを証明する。

「財閥の面倒事に関わるのはもう御免なんだよ。今回だって、博物館の魔具がたまたま財閥の所有物だったってだけだ。よりによって、それを盗んで悪企みしてる連中がいるって話だろ?」

「その悪企みしてる連中について調べに来たんだ。お前なら何か知ってるかもって」

 机に手をつき、DSRも似た状況にあることを桜井が伝えると、時成は机に乗せた足を組み替えて呻いた。

「そういうことなら、悪いけど俺じゃ力になれそうにない。何せ俺は会長じゃないからな」

「なるつもりはないのか?」

「ないな。金はあるし、酒もある。女は星の数だ。それにかける時間だってある」

 財閥の御曹司であるに関わらず、時成は手を広げて問題に関心も示さない。

「見ろよ浅垣。世の中金だ」

 悠々自適。贅沢な椅子に腰をかけ、机に足を乗せて、脇には上物の酒が入ったボトルを抱えている。もとより能天気で自由奔放な印象だったが、こうも贅沢に胡座をかいた男だったとは桜井たちは知らなかった。

 そもそも財閥の御曹司という裕福な生まれの時点で生きる世界が違うのだろう。

 そして、彼がどれほど傲慢な態度を取ろうと、彼は財閥というしがらみから逃れられないことも意味している。

「今の暮らしには満足してるんだ。それなのにどうしてこう問題続きなんだ? ……金盞花が逮捕されて安心していた矢先にこれだ。最悪だよ」

 お気楽な時成が言うと『ざまあない』と思ってしまうが、財閥からすれば実際のところ災難続きだろう。桜井たちの活躍によって金盞花が逮捕され、魔具を横領する彼女に頭を悩まされてきた財閥は一時の安堵を得ることができただろう。だがすぐに魔法生命体レリーフが出現し、最終的には保有する博物館を失った。挙句、流出した魔具を用いて悪巧みをするポーラ・ケルベロスのようなテロリストが現れた。

 経済発展には総じて表と裏が存在する。その構造こそが経済を回すのだ。魔法産業革命を象徴する都市であるラストリゾートにおいても、その例外に漏れることはない。

 ラストリゾートのブラックマーケット────いわゆる暗黒街は、ラストリゾートの黎明期から存在し魔具を行き渡らせたとされている。多くは違法な取引であり、それを阻止するのは超常現象対策機関DSRの管轄だ。

 そして当然、ラストリゾート最大の財閥である月城財閥もまた、暗黒街には縁の深い歴史を持つ。

「全部親父がいなくなったのが悪いのさ。あの博物館を作ったのも、レヴェナント工房と業務提携したのも、あいつのせいなんだからさ」

 時成は机から足をおろし、暖炉の方を見ながら恨めしそうに話す。彼の視線を追ってみると、暖炉の上に飾ってあったのは大きな額縁に入れられた家族写真だった。

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