第1章第5節「うららかな木漏れ日の中で」

「こほん。私たちの住むラストリゾート。魔法郷アルカディア。そして、獄楽都市クレイドル。この三つが今の世界に現存する主要な国々です。私たちの住むラストリゾートは魔法産業革命の象徴と言われているのはご存知ですよね。アルカディアは史上初の魔法帝国で、ラストリゾートが完成する前から魔法をエネルギー源として取り入れていました。また、人工的に開発されたラストリゾートとは違い、歴史ある大国でもあります。以前から音楽と神話を信仰する宗教国家だったんですが、魔法産業革命によって正真正銘の魔法帝国になりました。現在指名手配されているポーラ・ケルベロスは、このアルカディアの血脈に連なる名門貴族ケルベロス家の長女だそうです」

「貴族だって?」

 驚いた声をあげたのは桜井だ。ポーラがアルカディア出身であることは知っていたが、その具体的な素性については初耳だった。

「はい。ですが、ケルベロス家は敵国のクレイドルに亡命したため、国を売った裏切り者として没落してしまったようです。彼女がなぜラストリゾートに潜伏しているかは分かりませんが、クレイドルが関わっている可能性も否定できませんね」

 アルカディアの没落貴族が敵国のクレイドルへ亡命し、ラストリゾートに潜伏している。その裏には一筋縄ではいかない事情がありそうだ。

「とはいえ、ネクサスから正式に指名手配を受けてる。外交問題に関して言えば、俺たちDSRの管轄外。今考えるべきは、ポーラを止めることだ」

 目的を見失わないように、浅垣は話の軌道を整えた。目的を見据えるべきなのは尤もだが、これまでに出された情報はいずれも錯綜していると言わざるを得なかった。

「うーん、情報が多いのも考えものだな」

 腕を組んで考え込んでいるのは桜井だけでなく、一同考えがまとまらない様子だ。

 なるべく噛み砕いてまとめれば、指名手配されているポーラは世界魔法史博物館跡地から流出した魔具を集めている。彼女はアルカディアの没落貴族であり、獄楽都市クレイドルとも繋がっているかもしれない。

 追求すべき点こそ多いが、いずれも要領を得た情報ではなかった。核心たるポーラの目的については未だ不透明であり、彼女の次の行動を予測するのは難しい。

 情報も出切ったのか、話し合いにも停滞が訪れたころ。

「なら焦点を絞ろう。彼女の狙いは魔具を集めること。同じことをしてるヤツに心当たりがないか?」

 思考の渦に一石を投じたのは浅垣だった。彼は既に検討をつけているのか、その口ぶりはまるで誘導するようにも聞こえた。

 最初に目が合ったのは桜井。しかし全く心当たりがなく、すぐに他人へ助けを求める。

 次に桜井と目が合ったのは未咲希。彼女は何か考えているのか考えていないのか、口元に手を当てて唸っている。

 その間に澪が話すこともなく、最後に桜井と目が合ったのは蓮美だった。

「だれだ?」

 皆目見当もつかない。それを降参と見た蓮美は、渋々といった調子で口を開いた。

「世界魔法史博物館といえば、月城財閥つきしろざいばつが運営しています。財閥の会長は行方知れずですが、御曹司の彼なら何か知ってるかもしれませんよ」

「あー、あいつか……」

 月城財閥の御曹司、月城時成つきしろときなり。彼もまた、世界魔法史博物館に続く一連の事件において共に戦った仲間だった。だが、当時の彼は桜井を敵と勘違いして襲いかかってきたことがある。桜井にとって、妙な因縁を持つ相手でもあった。

「月城時成も流出した魔具を集めている。手がかりは多いほうがいいだろう。ポーラが魔具を集めているルートについて、何か分かるかもしれない」

 現状、ポーラの手がかりを握っていそうなのは月城時成くらいのものだ。澪と未咲希は偶然現場に居合わせただけであり、手がかりを持っているわけではない。だからこその話し合いだったのだが、そこから導き出されたのが時成だ。彼を避けて通ればその分、道も遠のいてしまう。

「仕方ない。なら聞きに行ってみるか」

「さっさと支度しろ。俺は先に車で待ってる」

 桜井が腹を括ると、浅垣は速やかに駐車場へと向かった。それが解散の合図となり、蓮美もホログラムデータを手際良く閉じる。

「あ、暁烏さんと鳳条さんはよかったらゆっくりしていってください」

 蓮美が気を利かせて言うと、あからさまに食いついたのは未咲希だ。

「え、良いんですか?」

 少し食い気味な未咲希だったが、蓮美は嫌な顔ひとつ見せずに笑って頷いた。

「もちろんです」

「ありがとう……! えっと、」

 思わず手を握って喜ぶ未咲希。彼女が蓮美をなんと呼ぶべきか考えていると、

「蓮美です。オペレーターの桐生蓮美といいます」

「蓮美ちゃんだね。私のことは未咲希でいいからね」

 改めて自己紹介をする二人。蓮美はまだ未成年であるため、未咲希にとっても接しやすいのだろう。すっかり仲が良さそうだ。

 一方で、桜井はようやく澪に意識を向けていた。というより、話しかける機会を見失っていたというべきだろうか。

 彼は澪の横顔を数秒見つめ、逡巡する。このまま浅垣を追って去ることもできるのだが、彼は澪のことがどうしても気にかかっていた。

 実は、澪とは二週間前から一度も会っていない。桜井は彼女の連絡先を知らないからだ。彼女に大きな借りを作り、責任を持つと言ったに関わらずである。

 とはいえ、時が二人の間に作り出した溝は決して飛び越えられないほどに至っていない。桜井はゆっくりと歩み寄り、澪の視界の外から声をかけた。

「……久しぶりだな?」

 久しぶりに会う人との距離感を探る声に、彼女は振り向く。そうして、二人はお互いの世界へと再び上がった。

「元気だったか?」

 司令室は行き交う職員たちやデバイスの電子音などで決して静かではない。しかし二人の間だけは、それらに阻害されない静かな空気が張り詰めている。

 止まっていた時間が動き出そうとしているのを、二人は刹那的に理解した。

「えぇ。私は元気よ。……そっちはどう?」

 澪も桜井と同じく、ぎこちなさを出しながらも会話を繋げる。二週間という時間の空白は、思っていたよりも彼らの言葉を鈍らせ、鮮明に響かせてもいた。

「ぼちぼちかな」

 桜井は適当な返しを思いつかず、その場を濁す言葉を選ぶ。お互いに触れすぎない、当たり障りのない言葉で。

「そう……良かった。で、いいのかな?」

 言いながら、澪は少しだけ笑みを含ませる。

 対して、桜井もこう微笑み返した。

「いつも通りって意味じゃ良いのかもな」

 二人の間の雰囲気も、先ほどよりずっと和やかになったように思う。ここまでするのに、かなり長い時間を費やした。二週間ものあいだ、二人はこうして話すこともなかったのだから。

「…………」

 流れる沈黙さえ、今は心地よく感じる。わだかまりが解けた後や、積もった雪が溶けた後のような感覚。

 それは、二人が交わした笑みの中に込められた安堵が作用した賜物だ。

「悪い。もう行かなきゃ。自分から待つとか言ったくせに待たせるとすぐ怒るから」

 残念ながら、桜井にはあまり時間がない。せっかくなら、澪とゆっくり話したかったところだがそうもいかない。

「うん。……また時間があったら話しましょ」

 再会の時は駆け足で過ぎていくが、きっとまた機会は巡ってくる。彼らはそう信じていた。信じていれば、可能性はあり続けるのだから。

「あぁ。今度こそ、こんな状況じゃなきゃ良いけど」

 桜井は冗談っぽく言い残して去っていく。彼の背中を見送りながら、澪は俯いた。満足したとも不満げにも思える表情を覗かせて。

 そんな二人のやりとりを遠巻きから眺めていた二人組が、コレットと柊世風ひいらぎよかぜである。実は、二人はずっと桜井たちの話し合いを見守っていた。コレットが柊の肩を揉むイタズラを仕掛けた時から、互いに茶々を入れながら。

「あの子たちって桜井のガールフレンド?」

 柊がどこか羨ましそうに呟くと、彼の机に堂々と腰掛けているコレットは肩を竦めた。

「さぁね。柊くんも知ってると思うけど、桜井くんとあの子は世界魔法史博物館の事件からの付き合いよ」

 実際、二人の間に何があったのかは分からない。それでも何かがあったことくらいは分かる。

「ふーん、超能力者の女の子と知り合いか。妬けるね」

「別にいいじゃない。むしろ安心だわ。桜井くんにも頼れる人ができて」

 感慨深げに呟くコレット。対して、柊は桜井に聞こえないのをいいことに彼をからかうように言う。

「桜井にはもったいない気もするぜ。前から思ってたけど、コレットさんに勝るとも劣らないくらい美人だし」

「ふーん? あたしと比べて、ねぇ?」

 ピリピリという悪寒を肌で感じる。椅子に座る柊はコレットから冷たく見下ろされ、慌てて言葉を取り繕う。

「あ、いや。さすがにコレットさんには及ばないよな。あはは、うん。俺はそう思う」

 果たして弁解になっているのかいないのか。コレットは屈託のない笑みを浮かべて彼の額を小突いた。

「鼻の下伸ばしてないで、精々いい子にしておくことね」

 柊の机から離れたコレットは、背中を向けたまま大きく背伸びをする。それからすぐにお腹をさすって歩き出した。

「さーてと。お腹すいたし、蓮美ちゃんとあの子たちでも誘ってご飯でも行こうかしら」

 結局、桜井だろうと柊だろうと、DSRのエージェントたちはコレットには敵わないのである。

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