第1章第3節「うららかな木漏れ日の中で」

 ラストリゾートでは魔法の存在が一般化し、魔具という道具を扱えば誰もが魔法を使うことができた。すると必然的に、魔法を始めとする超自然的現象から起因する事故や事件が発生する。それらに対処するために集められたスペシャリストによる組織が、超常現象対策機関DSRである。

 約二週間前に発生した世界魔法史博物館の黒い太陽事件の解決にも、彼らは多大な貢献をしていた。この事実は報道機関に取り上げられ、ラストリゾートに住む多くの人に周知されている。また、楽園政府ネクサスはある一人の男が事件の渦中にいたと取り上げていた。そのこと自体は事実であったのだが、実際は彼を英雄に仕立て表彰しネクサスの印象を向上させることが狙いだった。最初から彼らDSRを支援し活躍に導いたのは、自分たちであると。

 こうして彼────桜井結都さくらいゆうとは、一時は世間の注目を浴びた。しかし、彼が思っていたよりも持て囃されることはなく、精々DSR本部で開かれた祝杯程度のもの。己のドッペルゲンガーであるレリーフ──ユレーラについて噂が立ったのも束の間。今では良くも悪くも代わり映えのない、いつも通りの日々を過ごしている。

「…………」

 DSR本部にあるサロンにて、桜井は一人寂しく昼食を摂っていた。彼の座る窓際のカウンター席は、壁一面のガラス窓からラストリゾートの全景を眺めることができる特等席。ラストリゾートを統治する楽園政府ネクサスの空中城塞シャンデリアや、青空に輝く魔力のオーロラ。発展した科学技術の結晶とその源泉たる超自然的な現象が織りなす絶景は、いつ見ても美しいものだ。そんな世界で生きられる喜びを感じるだけでなく、途方もない果てを感じさせてくれる。

 世界に溢れている未知は解明されつつある。あのシャンデリアには反重力装置が使われているから浮遊できるし、本来観測されないはずにオーロラは大気中の魔導粒子ユレーナの発光現象によるものだ。

 魔法は世界にあらゆるものをもたらした。中には人にとって害のある問題もあるが、それを排除するのがDSRの役目。彼らは仕事柄、魔法の脅威や問題ばかり見てきたが、良い面を見るのもやぶさかではない。如何せん彼らにはそうする時間がないだけなのだ。

 こうしている今でさえ、桜井には取り組むべき課題が多く存在する。それはDSRのエージェントとしてだけでなく、彼個人として気にかけるべきことも。例えば、二週間前に現れた桜井と瓜二つの容姿を持つユレーラという存在のこと。被害者でありながら桜井に協力してくれた超能力者の暁烏澪あけがらすみおのこと。

 当然ながら、生きていくためには前に進まなければならない。だが時に、立ち止まって周囲を見てみるのも悪くないだろう。そこにあるのはこれまで築いてきたもの────或いは、まだ見ぬ大切になり得るものがあるはずなのだから。

 そんな感傷に浸っていると、サロンに入ってきた女性職員が背後から声をかけてきた。

「ねぇねぇ桜井くん。もうお昼食べた?」

 仄かな甘い香りを運んできた彼女の名前はコレット・エンドラーズ。黒いワイシャツにタイトスカートという着こなしは一見して一般的なOLらしいものだが、DSR内部でも優秀なエリートエージェントである。

「今さっき食ったよ」

 回転椅子で振り向き、桜井は大雑把に答える。

「あ~あ。せっかくどこか一緒に食べに行こうと思ったんだけど、残念ね」

 残念がる口ぶりのコレット。どうやら一人で昼食を摂るのは寂しいらしい。それに対して、桜井はそっぽを向くように再び窓へ向き直った。

「そう何度も同じ手には乗らないぞ。普通は先輩が後輩に奢ってくれるもんだろ?」

「まぁまぁ、そう言わずに」

 というのも、コレットは単に昼食を誰かに奢ってもらいたい魂胆なのだ。コレットのような美しい女性からの誘いともなれば、桜井や他の男性職員は断りづらいもの。彼女はその弱みのつつき方をよく心得ている。特に、桜井にとって彼女は立場の上では上司だ。彼自身、これまで何度コレットのイタズラに引っかかっただろうか。

 誘い自体はきっぱりと断られたものの、コレットは退く姿勢を見せない。彼女はゆっくりとハイヒールを鳴らし、桜井の隣の回転椅子に逆向きで腰掛けた。

ひいらぎでも誘ったら? あいつならヒマしてるし、簡単に引っかかりそう」

 桜井は同僚の名前を出し、彼女の矛先をうまい具合に逸らそうとする。

「どうかしらね。あたしってば、柊くんにはすっかり警戒されちゃってるみたいだし。かと言って帆波ほなみくんにも最近うまくかわされちゃうし」

「ふっ、帆波のやつも苦労してるだろうからな」

「だーかーらー、あたしには桜井くんしかいなくって」

 はいはい、と桜井は適当な相槌を打つ。こんな態度が許されるのも、お互いを知れた仲にあるからこそ。

 コレットはこっそりと、彼の様子を伺う。なんだかんだと言って、コレットにとって桜井の反応はいつでも面白いものだった。彼はもうイタズラに引っかからないとはいえ、それが通じないわけではない。甘い誘惑を前に必死に強がる様子もまた、一興というものだ。

「なにそれ?」

 ふと、彼女の視線は桜井が向き合うカウンターに留まる。そこには食べ終わった空の弁当箱が入った袋の他に、開かれた雑誌が置かれていた。

 彼女の問いを受けて、桜井は「これ?」と雑誌を軽く持ち上げて言う。

「旅行パンフレット。ラストリゾートの名所特集だってさ」

 冊子自体はそれほど分厚くなく、全てのページに渡ってラストリゾートの名所が掲載されている。ラストリゾートは空中城塞シャンデリアがあるセントラルセクターを中心に、NSEWのそれぞれ5セクターに区分けされており、数字が小さいほど都心部となる。桜井たちがいるDSR本部があるのは都心部のW2セクターだ。雑誌には、それぞれのセクターの観光名所が掲載されているようだ。

「どれどれ~」

 桜井がペラペラとページをめくると、隣にいたコレットは彼に膝を向け身を乗り出す。二人とも若干の窮屈さを気にせず見ていると、N3セクターの『アンドロメダプラザ』やW3セクターの超大型複合遊園地『ゴッドレードル』といったレジャー施設が多い印象を受けた。科学技術によって発展を遂げた土地では、必然的に開拓されていない天然の風景は排斥されてしまう。ラストリゾートでもそれは同じだ。すると、天然の景色よりもレジャー施設が栄えるのは道理と言えるだろう。

 しかし、天然の景色が完全に奪われているわけではない。ページをめくる途中に掲載されていたE5セクターの『大晦日』は和風庭園であり、多数の桜の木が植えられている。また桜井が適当に開いたページに載せられたN5セクターの『いかだ町』には、綺麗な砂浜と海が収められていた。

 一通りを流し見たコレットは目を輝かせるどころか、乗り出していた体を戻して頬杖をついてしまった。

「つまんないの。どうせなら外国のことを載っけてくれたらいいのに」

 とはいえ、あくまでもラストリゾート内での旅行に限った雑誌だ。もちろんラストリゾートは広く、桜井は眺めるだけでも楽しめる。だがコレットのようにDSRの任務を通じてあちこちを訪ねていると、見慣れた景色になってしまうのだろう。

「そういえば、他の国の話はあんまり聞かないよな」

 思い出したように言う桜井に、コレットはつまらなそうに返す。

「シェン長官はダメダメよね。月城財閥の会長がいた頃は外交関係にも力を入れてたのに」

 ウィリアム・シェン長官といえば、楽園政府ネクサスの長官であり実質的なラストリゾートの統治者である。政府の中には司法を管轄する楽園律令省、技術を管轄する造園理事会、行政を管轄する楽園守護局の三つの機関が存在し、それぞれ民衆の選挙で選ばれた役員がトップに立つ。実は過去には園外貿易庁が存在し、統括を月城財閥の会長である月城時宗が担っていた。会長が失踪を遂げるまでは彼が外交関係を取り持っていたのだが、失踪以降はほとんど断交状態にある。そもそも、シェン長官は外国との関わりを良く思っていなかったからだ。

 こういった政治的な理由もあってか、ラストリゾートでは外国の話題が上がることが少ない。そもそも、魔法産業革命前後から世界大陸は魔力によって歪んでしまい、正確な座標が失われてしまっている。そのため、国から国へ渡ること自体が難しいとされていた。

「桜井くんってどこか行ってみたいところとかあるの?」

 ふと、コレットはそんなことを聞いてくる。予想していなかった質問に、桜井は唸りながら考えを巡らせた。

「強いて言うなら……海とか? 海の端っこから落ちたらどうなるのか気になるし」

 結局、具体的な土地が浮かばず無難な場所を言う桜井。無難といっても、海の果てが気になるのは事実だ。そんな彼の好奇心をコレットは淡々と諌めた。

「そういうことを本気でやろうとする人がいるから、ラストリゾートの海を立ち入り禁止にしたんだけどね」

 ラストリゾートの海の立ち入りを禁じているのは、他でもないDSRである。

 海に出て行方不明になる事件や、海に打ち上げられた外国人が発見されたりと海では多くの不可思議な現象が起きている。DSRはそれらの事象を観測し対応するために、常に海を見張っているのだ。

「ま、ラストリゾートの海で遊ぶなんて夢のまた夢ってことだ」

 残念ながら、桜井が思い描くような海遊びはできないだろう。諦めてため息を吐いた時、「ところがどっこい」とコレットがあるお祭りのことを話した。

「アルカディアのお祭り、『プロムナード・オン・ザ・シー』って知ってる? その満月の夜は誰でも海の上を歩くことができるようになるの。海の上にたくさんの屋台が開かれて、海の上でバレーボールをしたり……とにかく楽しいお祭りなのよ」

 ラストリゾート以外で現存する国として知られている魔法郷アルカディア。桜井もその名前を聞いたことこそあるが、行ったことはない。もちろん、コレットの言うプロムナード・オン・ザ・シーについても初めて耳にした。彼女の言葉が正しければ、ラストリゾートとは違ってアルカディアの海は開放されているようだが……。

「あ、でも単に水着が見たいなら『ゴッドレードル』のプールでも行けば?」

 妄想に耽っていると、コレットは滑り込むようにして冗談を混ぜてくる。

「名案だな。それじゃ早速予約でもって、そうナチュラルに引っかかってたまるかっての!」

 桜井とて身構えていたわけではないが、コレットからイタズラを受けるのは想定内。彼はパタンと雑誌を閉じて言い放った。

「うふふ。そう言いつつノッてくれちゃって、桜井くんのそういうとこ好きよ」

 コレットは楽しそうに桜井の肩を小突いてくる。元よりからかうのが好きなコレット。パンフレットを見るのを口実に桜井に近づいていたのも、彼の反応を伺うためだったはずだ。

 相変わらずな振る舞いに安堵とも呆れとも取れるため息をつき、桜井は続ける。

「だけど、プールと海じゃ別物だろ?」

 真面目な切り返しを受けてなお、コレットは態度を崩さずに返す。

「そうね。溺れたら助けてくれる海の女神がいるなんて噂は、プールなんかじゃ立たないもの」

「そうとも限らないぞ。美人のライフセーバーなら女神になれるかも」

「まったくもう、男の子って都合の良い解釈が本当に得意なんだから」

 実際にある噂を絡めたコレットの冗談に対し、逆手に取ってみせた桜井。珍しく上を行かれた彼女の口調は微かに怒りっぽく聞こえる。それでいて、呆れるような納得したような微笑みで目を細めていた。

 もちろん、コレットとてやられっぱなしでは終わらない。

「でももしプールに行くってなったら、蓮美はすみちゃんには可愛い水着を買ってあげなくちゃね」

「おいおい、また何か企んでるのか? この前の飲み会でもサプライズとか言ってメイド服なんて着させてさ。蓮美にああいうのはまだ早いって言っただろ」

 蓮美というのは、彼らDSRエージェントたちの任務を本部から遠隔指示でサポートするオペレーター、桐生蓮美きりゅうはすみのことだ。彼女はまだ現役の学生で、コレットは未成年の彼女を飲み会にまで連れて行っている。曰く、お酒はダメだけど大人の階段をのぼる練習だと思ってさ。

「あの子はもう十七よ? それに、晴人はると先輩を落とすためならなんでもしますって言ったのは蓮美ちゃんなんだから」

 実は、蓮美はエージェントの一人であり桜井の親友でもある浅垣晴人あさがきはるとに恋をしている。そのことは桜井もよく知っており、近くで見るからこそもどかしい想いを味わっていた。

「あーあ……けしからんな」

「でしょ~?」

 思わずコレットに乗せられてしまったが、実際に蓮美の頑張りは目を見張るものがある。浅垣も素直に好意を受け取るだけで、蓮美も少しは報われると思うのだが。

「ま、そうやってみんなで旅行するのは楽しそうだな」

「えぇ、そうね」

 ともあれ、いつかは仲間たちでどこかに遊びに行くのも良いかもしれない。彼らはDSRにおける任務を通じて絆を育んできた。任務以外の付き合いも自然と増えてきたが、やはり仕事とは関係のないことで接していたいというのが本音。そういう意味では、コレットとの他愛もない雑談や、そこに交えられるイタズラも嫌いではなかった。

 その時、桜井の腕時計から通知音が聞こえてくる。盤面を見ると、そこには噂の桐生蓮美の名前が表示されていた。

「問題発生?」

 桜井は腕時計の盤面から浮かび上がるホログラムに触れて応答した。スピーカーから聞こえてきたのは、オペレーターの蓮美の声だ。

『あ、いえ。そうじゃなくて、晴人先輩たちが帰投されたので報告を』

 休憩中の桜井とは別に、浅垣は任務に当たっておりそれが無事に終わって帰ってきたらしい。浅垣が関わっているのは目下で進行中の事件であるため、概略は桜井も把握している。

「そうか。ヤツは捕まった?」

「残念ながら。でも、代わりに暁烏あけがらすさんとそのお友達の鳳条ほうじょうさんに来てもらっているんです」

 蓮美の口から語られた名前は予想もしない人物のものだった。

 少しの動揺からか、桜井は隣にいたコレットと目を合わせる。対して、彼女はただ肩を竦めるのみ。

 桜井は何か返事をしようとするが、それより先に蓮美からこんな提案があった。

『よければ、会いに来ませんか?』

 蓮美たちが待っている中央司令室は、桜井とコレットがいるサロンより少し離れた位置にある。

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