第1章第2節「うららかな木漏れ日の中で」
不審な取引の内容について大体の検討がついていた澪は、未咲希を残して速やかにカフェから出ると裏口へと向かっていた。ラストリゾートの暗黒街では、世界魔法史博物館から流出した魔具が取引されている。その情報は正式に報道されている通り、澪も周知の事実だ。おそらく、先程の取引はその現場の一つに違いない。彼女はそう確信していた。
カフェのような目立つ場所を取引場所に指定するのは、何も珍しいことではない。彼らは常に公平を守るとは限らないため、あえて人目のある場所で取引をすることが多いのだ。
カフェ前の大通りから裏道へ外れ、澪は裏口の方へと急ぐ。裏道にはほとんど人通りがなく、車が侵入できないように車止めの柱が設けられている。すぐに短いトンネルへ足を踏み入れると、暗闇に紛れゆっくりと路地裏を覗き込んだ。
「…………」
そこには、入れないはずの一台のバンが停まっていた。そしてバンのトランクを開け、そこにアタッシュケースを置くローブをまとった人物の姿があった。どうやら、彼女はまだ澪に気づいていない。
このまま不意を突くべきか逡巡した澪は、考えた末にトンネルの暗闇から姿を現した。万が一、彼女の目的が澪の予測と違ったことを考え、まずは警告を発することにしたのだ。
「何してるの?」
澪の声がけに対し、ローブの人物は横顔だけで目をやった。桃色の髪の束が目尻にかかり、目つきを窺うことも叶わない。代わりに彼女の護衛らしきスーツの男が警戒の姿勢を取ると、彼女は静かに制する。
「あなたは車を出す準備をなさい。ここは私に任せて」
命令を瞬時に理解した男は、きびきびとした動きで彼女に歩み寄る。すると、肩に羽織りかけていたローブを取り払う。どうやら彼は召使いのような立場にあるらしい。
「道に迷ったのかしら。悪いけどこの土地には明るくないの。道を聞きたいなら他を当たりなさい」
その間にも、彼女は澪に向けて冷たい声色で語りかけてくる。あくまで澪を一般人として追い払うつもりのようだ。
「ただの通りすがりよ」
声を低くして返事をする澪。
対して、ローブを脱いだ女性は軽く肩を動かした。露わになった彼女の服装は黒と白を基調とし、胸元のバッジや飾緒、肩章など黄金時代の軍服を彷彿とさせる。そんな格好のせいか、はたまた華奢だが雄々しい立ち姿のせいか、男装しているようにも見えた。まず間違いなく、一般的な人間の着こなしではない。
一方で、ローブを取り払った召使いは無駄のない動きで車の運転席へ乗り込んだ。澪を追払い、このまま逃げるつもりなのだろう。
「ところで、こんなニュースを見たことがある? 世界魔法史博物館から流出した魔具を取引してる人がいるって」
冷静に状況を精査しつつ、軍服の女性へ問い詰める。彼女が暗黒街の人間であることを、澪は既に見破っている。
「なるほど。ということは、あなたはこの街の正義の味方かしら」
白い手袋をした手を腰に当て、澪の素性について問う。その出方から見るに、相手は澪が誰であるかを分かってはいないらしい。ニュースを見て正義感に駆られた一介の市民だと思っているのだろう。
とはいえ、ここで素直に身分を明かすこともない。澪はとぼけた風に言った。
「さぁね。まぁ、今さら正義を騙る気はないけど」
釈然としない返答を受け、軍服の女性は首を傾げた。
「見たところ、
一般人に手を出すつもりはない、ということだろうか。言い終わるや否や、彼女は振り返ってアタッシュケースを閉じる。
未だ、お互いが何者であるかははっきりとしていない。とはいえ、澪はアタッシュケースを取引した彼女を見過ごすわけにはいかない。ほんの少し、澪は自身が持つ力を用いて牽制をかけようとした。
が、実際に彼女を止めたのは全く別のものだった。
「澪は超能力者だよ! あ、あなたなんかじゃ絶対敵わないんだから……!」
背後。澪も通ってきたトンネルからやってきたのは、未咲希だった。
「未咲希!? 待っててって言ったじゃない!」
「だって、トイレとは違う方向に行ったから気になって。来てみたら……」
確かに未咲希の言う通り、澪の行動は怪しかったかもしれない。彼女は驚きから一転して困り顔で未咲希を追い返そうとする。
「そっ。超能力者、ね」
同時に、未咲希の発した一声は軍服の女性の耳にも届いていた。澪の正体を知った彼女は、車のトランクを閉めないまま歩き始める。
「それは参ったわね」
徐々に車から離れていく彼女の動きを、澪と未咲希は注意深く観察する。その時、彼女は腰のベルトにつけていた鍵束を手に取っていた。一本、一本と、リングに通した無数の鍵に触れながら。まるで多数の金属棒を吊り下げて並べた楽器──ウインドチャイムを鳴らすような手つきで。
「ラストリゾートには世界に九人いる内の三人の超能力者がいると聞いているわ。でも残念、私はそんなものに興味はないの」
彼女はなぜ取引によって得たケースを置いた車から離れたのか。まさかアタッシュケースを諦めて、自分だけ逃げるつもりなのだろうか。
車から十分離れたところで立ち止まった彼女は、思いもよらぬ行動に出た。
「ここは失礼のないように、お茶を濁しておこうかしら」
鍵束の内の一つを指でなぞると、赤と青の火花が飛び散る。それは瞬く間に彼女の腕に大型の銃火器を作り出した。ユレーナライフルと呼ばれる銃火器を脇に抱え込んだ彼女は、その銃口を澪ではなく車へと向ける。
そして、躊躇なく引き金を引いた。
濃縮された魔導粒子ユレーナがエネルギー弾として撃ち出され、赤い光と共に車へ着弾。トランクに残されていたアタッシュケースや運転席に乗っていた召使いもろとも凄まじい爆発を引き起こした。爆風は魔力の粒子に特有な赤と青の発光現象を伴い、裏路地に繋がるトンネルへ及ぶ。
澪は背後にいた未咲希を庇うように抱きしめ、その背中で爆風を受け流す。超能力者である彼女は、爆風を受けてなお擦り傷一つ負わずに未咲希を守り切っていた。
そんな中で、車を破壊した軍服の女性はエネルギー音の鳴るライフルを手放して光に変え壁際へと急ぐ。銃火器を召喚した鍵束をもう一度手に取ると、今度はフリスビーのように回転させた。魔法を使うための道具『魔具』であるそれは瞬時に壁へ張り付くと、本来のリングの数倍の広さを持つポータルを作り出す。彼女はそこへ逃げ込み、ポータルは収縮して消えてしまった。
「大丈夫?」
「う、うん平気だよ」
爆風を凌いだ澪は、未咲希の無事を確認し再び前へ視線を送る。だが、澪の視界に入ったのは予想外のものだった。
今も炎上する車。召使いが乗り込んでいた運転席側のドアが、勢いよく突き飛ばされたのだ。
「何者なの…………」
顔を照りつける熱の源。炎上する車から降り立ったのは、先程の召使いの成れの果てだった。
召使いは痛みを感じていない様子で、澪の方へ歩を進めてくる。目を細めて見ると、彼の肉体は少なからず生身の人間のものではなかった。胸部から配線が飛び出し、千切れ飛んだ腕からは機械的なパーツが見て取れる。しかし、あれほどの爆発に耐えきれなかったらしく、既に動作はおぼつかない。それでもなお、戦意だけはなくしていなかった。
澪は哀れな人形と化した召使いにトドメを刺すべく、立ち向かう。彼女の意思に呼応してか、爆発によって散乱している赤と青の魔力の粒子が周囲に集まり出す。空気中の魔力が澪に共鳴するその光景はまるで、天の川のよう。やがて澪の手元には剣の形をした星座が描かれ、彼女が触れると光の剣を織り成した。そして、召使いの首へと振りかざす。
召使いは残った右腕を剣のように変形させ、澪を迎え撃とうとした。刃は特殊な加工がされているらしく、紫色に発光しており一度は澪の剣を止めることができた。だが抵抗虚しく刃は弾かれてしまい、体勢を崩した召使いは斬り伏せられた。
「逃げられたか」
改めて周囲を見回すが、既に軍服の女性の姿は見当たらない。召使いの最後の踏ん張りに気を取られた隙に、逃げ果せたのだろう。
「澪気をつけて!」
未咲希の切羽詰まった呼びかけに振り返ると、彼女は澪の後ろを指差した。見れば、倒されたはずの召使いが再び起き上がろうとしている。澪の斬撃は彼の胸を深く抉り取ったが、まだ機能を停止するに至っていないらしい。
「しぶといわね」
今一度トドメを刺そうと手を広げる澪だったが、その必要はなかった。なぜなら、召使いの頭部が銃によって撃ち抜かれたからだ。召使いは今度こそ機能を停止し、その肉体の大部分が魔力によって焼かれ灰へ変わってしまった。
突然の銃撃に驚いた澪と未咲希が振り返ると、煙に包まれたトンネルからやってくる影が複数。彼らが明るみに出ると、その先頭にいる男は澪が知っている顔だった。
「あなたは……」
彼は超常現象対策機関DSRのエージェント。敵の沈黙を確認した彼は銃を下ろし、澪と未咲希に目配せして言った。
「DSRだ。二人とも無事か?」
彼がネックストラップにつけていたIDカードには、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます