第1章「うららかな木漏れ日の中で」
第1章第1節「うららかな木漏れ日の中で」
世界魔法史博物館で発生した黒い太陽事件から約二週間の時が過ぎた。
一連の事件の真相には、魔法生命体レリーフの存在が深く関わっている。だが楽園政府ネクサスはその正体には触れず、世間では様々な憶測が飛び交っていた。レリーフを主導したと思しき男があるDSRエージェントと似ていることも手伝い、メディアでは超常現象かそれに見せかけた陰謀かで多くの議論が重ねられている。しかし世間の関心は目まぐるしく変わるもので、一連の事件は話題に事欠かない。指名手配犯の金盞花の逮捕や、レヴェナント工房社長の襲撃事件。レリーフの話題で持ちきりだったのも過去の話で、現在は別の問題に焦点が当てられていた。
その一因となっているのは、世界魔法史博物館の崩壊である。博物館に保管されていた多数の魔具が流出し、テロリストたちは魔具を高値で取引している。金盞花を失ったラストリゾートの暗黒街にとって、この事態は千載一遇のチャンス。いつどこで暗黒街の抗争が起こるか、予測が難しい状況だ。
ラストリゾートのカフェに設置されたテレビは、そんな暗黒街の情勢を淡々と伝えている。訪れている人々は注文した飲み物やスイーツを口にしながらテレビを見たり、一緒に来た友達と談笑したりと各々で満喫した様子だ。
「うーん……ラストリゾート記念公園のガーデニングかー」
カフェのテーブル席でスマートフォンと睨めっこをしているのは
「そんなに焦らなくても良いんじゃない? 少なくとも、私と暮らしてる間は私が何とかするし」
困った様子の
「それはそうだけど、
置かれている状況のためか、未咲希は力なく椅子の背もたれに背中を預けた。落ち着き払った澪とは正反対に、すっかり肩を落としてしまった様子だ。
「まさか博物館が跡形もなくなっちゃうなんて……」
呟きに、ふと澪はカフェの天井から吊り下げられた液晶モニターを見やる。そこには二週間経った今でも復興の目処が立たない世界魔法史博物館跡地が中継されていた。
そう。未咲希は世界魔法史博物館に勤めていたスタッフだったのである。澪も関わってきた一連の事件はメディアが報じる一般人だけでなく、未咲希のような身近な友達をも巻き込んでいた。そのことを今更ながら痛感する澪は、どこか申し訳なさそうに話す。
「でも、あれは未咲希のせいじゃないから」
幸いにも、事件が起きたのは明け方だったこともあり、博物館から犠牲者は出ていない。未咲希当人はもちろん、彼女の友人も事件には巻き込まれていない。結果として未咲希は職を失ったわけだが、彼女が助かっただけでも澪としては安心できることだった。
「きっと何とかなるよ。私も応援するから、元気出して?」
澪は自分なりに未咲希を励まそうとして、不器用に言葉を紡ぐ。それは月並みな言葉だったかもしれないが、未咲希にとって大した問題ではなかった。大事なのは、友達の澪が自分を励まそうとしてくれていること。言葉が伝えるのは、言葉自体の意味ではなく込められた気持ちの方だ。
「うん。ありがとう、澪」
真摯な想いが通じたらしく、未咲希はやっと笑顔を取り戻したように見えた。仕事が見つかったわけでもないが、澪に相談に乗ってもらった甲斐は十分にあっただろう。生真面目な澪には、いつもこうして助けられているのだから。
気を取り直してスマートフォンを再び持ち直す未咲希。澪は注文していたアイスコーヒーが入った容器を持ち、ストローに口をつける。
その時、カフェに入ってきた男性が注文もせずに席の方へ向かうのが見えた。寝癖のついた髪と無精髭の目立つ彼は、誰かを探しているのかキョロキョロと周囲を見回している。
澪の目を引いたのは彼の容姿ではなく、手に持ったアタッシュケースだ。中に何が入っているのかは分からないが、彼はケースを持ったまま一番奥の席へ向かう。向かった席には、見るからに怪しげな人物が座っていた。
特徴的な桃色の髪にどこか凛々しい顔立ち。服装は足元までをすっぽりと覆うローブを羽織っているが、胸元からは金具の装飾が光を反射していて豪華な装束を身につけているようだ。アタッシュケースを持った男がやってくるのを見ると、ローブの人物はアイコンタクトを交わした。
明らかに、カフェにお茶をしにきたというわけではなさそうだ。そもそもなぜ目立つ場所を選んだのか疑問ではあるが、澪は直感的に彼らから暗黒街の匂いを嗅ぎ取っていた。
「あ、ねぇねぇ、これ見て!」
ちょうどアタッシュケースを持ち込んだ男の背中で先が見えなくなる頃、未咲希が声をかけてくる。
「うん?」
慌てて意識を戻した澪は、未咲希が見せてきたスマートフォンに視線を移す。
「ネコカフェだって。私、ずっと猫を飼ってみたかったんだ」
未咲希が見つけたのは、ネコカフェの求人だった。ネコカフェやペットショップのような仕事の求人は珍しく、すぐに定員になってしまうことが多い。比較的新しく、正規雇用ではないが一時凌ぎで働くなら問題ないだろう。
「へぇ、悪くなさそうね」
「やっぱり? 澪もそう思う?」
彼女の食いつきぶりからして、純粋な興味から働いてみたいのであろう。澪も止める理由があるわけではない。素直に頷きつつ、澪は面白おかしくクスクスと笑ってみせた。
「未咲希ったら、いちいち許可を取らなくても気になるなら働いてみればいいじゃない。私はお母さんじゃないんだよ?」
「そりゃあ、居候させてもらってるわけですし」
そんなやりとりの間、奥の席では別の取引が交わされていた。
「あなたが
氷室明日真と呼ばれた男が近づくと、彼を待っていたらしいローブの人物が確認を取る。声や口調から察するに、女性のようだ。
「あぁ」
「約束の品だ。何に使うつもりかは知らないけど、取り扱いには十分気をつけろよ?」
笑顔を交えおちゃらけた態度の明日真は、取引相手にそう忠告した。対して、彼女はアタッシュケースを開いて中身を確認する。ケースを開ける手は白い手袋をし、袖口には金のボタンが見られるなど高い品位が感じ取れた。ケースの中身を確かめた彼女は、次に別の席へ目配せで合図を送った。
「ご苦労様」
横合の席に座っていたスーツ姿の男性が立ち上がり、明日真の後ろを通り過ぎる。すれ違いざまに彼の胸へ何かを押し付け、それを受け取る。見ると、取引の対価として掲示されていたクレジットカードだった。
「ありがとう、助かるよ。最近は物騒だし、
相変わらず薄ら笑いを含ませて話す明日真だったが、ローブの女性は表情を変えずに立ち上がる。アタッシュケースを持ち上げて、明日真にカードを渡した男性の後に続く。すれ違いざまに、明日真は彼女の腰を締め付けるベルトに鍵束がついているのを見た。先ほどから彼女の所作にチャラチャラという金具特有の音が伴っていたのは、これが原因だったのだろう。
彼女らが向かったのはカフェの裏口に繋がる通路で、本来なら従業員以外は立ち入れない場所だった。
「はぁ……ったく、なんでこう最近の奴は冷めてるのばっかなんだ」
一人愚痴をこぼす明日真。元より、彼らの目的は取引のみ。世間話のためにカフェへやってきたわけではない。彼女の態度はおかしなものではないとはいえ、彼は少しの不満を抱えているようだ。
こうして彼らが密かに交わした取引を、澪は遠くの席から見ていた。
「ちょっとトイレに行ってくるわね。すぐ戻るから待ってて」
「うん、分かった」
取引の内容について大体の検討がついていた澪は、速やかにカフェから出ると裏口へと向かっていた。ラストリゾートの暗黒街では、世界魔法史博物館から流出した魔具が取引されている。その情報は正式に報道されている通り、澪も周知の事実だ。おそらく、先程の取引はその現場の一つに違いない。彼女はそう確信していた。
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