Last Resort Ⅱ:Everlasting Bonds

冠羽根

プロローグ

プロローグ

 魔法産業革命は、世界に永久に枯渇しない資源をもたらした。魔力という無尽蔵のエネルギーは、石油や電気といった往来のエネルギー資源に取って代わり、その技術のことを魔法と呼ぶようになった。しかし、魔法が世界にもたらしたのは必ずしも良いことばかりとは限らない。表立っている物事の側面だけで本当の価値を推し量ることができないのは、これまでの長い歴史が証明してきた。

 広大な世界を瞬く間に覆い尽くした魔法は、やがてその主導権を握ろうとした者たちによって奪い合いに発展した。そうして勃発した魔法戦争は、多くの犠牲を招いてしまったのだ。

 そんな中、魔法という最先端の科学技術は人類史上最高の楽園を創り上げた。

 ラストリゾート。魔力の出現によって空間が歪んだことで分断された大陸を繋ぎ合わせてできた都市国家である。プレートの異常な変動の影響で分裂した大陸を繋ぎ合わせる荒業は、魔法だからこそできたこと。さらに魔力によって荒廃した大陸を復興、開発するに伴って世界で初めて魔法のみをライフラインに導入した都市でもある。まさしく魔法産業革命の象徴と呼ばれる所以があるだろう。

 しかし、人間とは底知れず強欲な生き物である。楽園に住んでいながら、彼らは更なる娯楽を求めた。それは一般的な庶民に限ったことではなく、世界最大の魔導工房の社長でさえ例外ではない。

「よーしよし、良い子だ」

 ゼベット・レヴェナントは、よく人間に慣れている猫を優しく撫でていた。猫も喉をゴロゴロと鳴らし、満足げな表情を浮かべている。

 彼が訪れているのは、ある賃貸アパートの最上階で営業しているネコカフェ『猫の里』。魔法戦争によって大陸の大部分が失われ、今や犬や猫は絶滅危惧種として指定されている。かつてより愛玩動物として人間と暮らしてきたこともあり、現在でもその人気は高い。とはいえ、絶滅危惧種を簡単に飼育することはできない現状。そこで、ラストリゾートでは専門のペットブリーダーが飼育する犬や猫たちと触れ合える店が営まれるようになった。

 魔導工房レヴェナントの社長でもあるゼベットは、そのネコカフェに一人で訪れている。もちろん、仕事の一環ではなく個人的な趣味としてだ。

 彼が撫でていた猫はニャー、と鳴き声をあげると手元を離れていく。喉が渇いていたのか、備え付けの水入れに向かい水を飲み始めた。

「……」

 ゼベットは浅く息を吐き、周囲を見回した。

 賃貸アパートの一室ということもあって、それほど広いわけではない。振り返れば、出入り口に面したカウンターが目に入る。店番をしている少女はまだ若く、何やら名簿を見ながら作業をしているようだ。さらに、彼女は頻りに顎を動かしているようで、ガムを噛んでいるらしい。

「もう店は閉めるのかな?」

 何の気無しに、その場から声をかけるゼベット。

 店の中には、ゼベットと店員の少女以外に人はいない。だからか、彼女はゼベットの呟きが自分に向けたものとすぐさま理解できたのだろう。振り返ったり、ゲームをする手を止めたりもせずに呟いた。

「時間なんか気にしなくたっていいよ。どうせ、私はここで寝泊まりしてるから」

 店員の少女──詩里雷奈しざとらいなの言動は、どこか馴れ馴れしかった。そもそもガムを噛みながらゲームをしている時点で、接客中に取るべき態度ではない。だがゼベットは彼女の無遠慮さがひどく気に入っていた。互いに気遣いのない、自然な状態でいれる相手というのは探してもそう見つからないだろう。

 とはいえ、彼女のそうした態度には彼女自身の立場に理由があることを、ゼベットはよく知っていた。

「最近はなにかと物騒だ。世界魔法史博物館の跡地から多数の魔具が流出したって話は聞いたか?」

 唐突な世間話をしつつ、ゼベットは再びネコを手招きする。

 対して、雷奈らいなは「あぁ」と思い出した風に返事をした。

金盞花きんせんかが逮捕されてから、えらく活気づいてるらしいね。デスストーカーが死んだ時を思い出すよ。ま、あの女の後釜がそこらのヤツに務まるとは思えないけど、DSRが黙ってないでしょ」

 金盞花の逮捕は、ラストリゾートでも大きなニュースとなっている。流行に影響される世間話の内容としておかしくないかも知れないが、雷奈は妙に訳知り顔だった。ラストリゾートの暗黒街の事情に、一枚噛んでいるからこその言いぶり。そう思えるような。

 結局、猫を呼び戻せなかったゼベットは、諦めて立ち上がると深くため息を吐いた。

「DSRか。彼らに番犬が務まるかな? 正直、私には信じられない」

 何を隠そう、ゼベットは自身が開催した魔法品評会において超常現象対策機関DSRの活躍を目にしている。だがあってはならないことに、彼はあの時魔法生命体レリーフによって殺された。しかもそのレリーフは、あるDSRエージェントと同じ容姿をしていたという。何が起こるか分からない超常現象を扱うDSRを庇う声もあれば、一部ではDSRによる自作自演も疑われている。

 そんなことがあった身からすれば、DSRを信じられないというのも無理もない話だ。

 が、雷奈には知る由もない。

「ま、なるようになるだけだよ」

「ふっ、そうだな」

 ゼベットは部屋とカウンターを区切るケージの背の低いドアから出ると、カウンターの前に立った。横合の傘立ての上に『土足でお入りください』と掲示がされている通り、玄関で靴を脱ぐ必要はない。

「そういえば、いつも一人で接客してるな?」

「まぁね」

 問いかけに答えると、雷奈はティッシュを取ると噛んでいたガムを吐き出す。

「求人を出したりはしないのか? このご時世で猫と触れ合えるなら、やりたい人も多いだろう」

 ゼベットは雷奈以外の店員を見たことがない。実際のところ、雷奈以外の正式な店員はオーナーを除いていなかった。

「出しても良いけど、お客さんへのマナーを教えるのって面倒くさいし」

 言いながら、雷奈はガムを吐き出したティッシュを丸めてゴミ箱へ投げた。確かに彼女からマナーを教わるのは難しいだろう。特に、ラストリゾートの暗黒街でも通用するマナーは。

「まぁ考えとくよ」

「次はもう少し賑やかになってるといいんだが」

 にっこりと微笑み、ゼベットは嫌味を含めて言う。それを受けて、ゲームを終えたらしい雷奈は肩を竦めてため息を吐いてみせた。果たして嫌味に対してか、ゲームに対してかはゼベットにも分からない。

 お世辞にも、雷奈の接客態度は決して良いものとは言えない。今の態度も気に入っているとはいえ、もう少し愛想良く振る舞って欲しいというのが本音だ。もし新人が入るなら雷奈とは対照的な明るい子がいいだろう。

 ネコカフェの経営方針について余計な詮索をしつつ、ゼベットは踵を返す。支払いは店の口座に直接振り込まれることになっている。会計という行為は、ゼベットには必要のないものだ。

「じゃあね」

 恭しく引き止めることもせず、雷奈は手を振った。やはりこういったサッパリとした態度には何も文句はないのだが。

 彼女に見送られ、ドアに手をかけるその時。

「おっと、忘れるとこだった」

 何かを思い出したゼベットはカウンターへ戻ってくると、スーツの胸ポケットからあるものを出した。

「これ、頼むよ。前回忘れた分も」

 雷奈に差し出されたのは、『猫の里』のスタンプカードだった。いわゆる常連客なら必携のアイテムで、スタンプを一定数集めると猫のグッズと交換できるというものだ。本来なら会計と一緒に出すのだが、会計と縁のないゼベットに限ってはよく忘れてしまう。

 カードを受け取って中を開くと、あと残り二つでコンプリートとなっていた。幸か不幸か、ゼベットは前回分のスタンプを押し忘れてしまっている。つまり、

「今日はツイてるね」

 彼は嬉しそうに雷奈の顔を覗き込んだ。

「だろ?」

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