光の上へ

八壁ゆかり

光の上へ

 冗談だろ……。


 俺は日当たりの悪い路地裏に這いつくばっていた。つい先ほどチンピラにナイフでやられた頭から髪の毛と血液がさらさらと耳許に落ち、血液は俺の頬を腹立たしいほどの質感で以て撫でていった。

——俺、このまま死ぬのかな。

 冗談じゃねえ、まだ高校生だぜ? ちょっと絡んできたチンピラ相手に正当防衛かましただけで光りモン出してくんなよ大人げねー。ついでに言うと、下っ腹も刺されている。痛みが鋭いのか鈍痛なのかすら判別不能。


——もしおまえが殺されたら絶対俺が復讐してやるよ!

——ホント?! じゃあ俺もおまえが殺されたら敵討つ!


 幼馴染みとそんな絵空事の約束をしたのはいつだったか。そいつは遠方に引っ越してすっかり疎遠になってしまったが。


 くそ、とにかく救急車とかその辺呼ばないとマジでヤバい。

 はらわたが燃えそうな痛みの中、俺は右手で制服のポケットからスマホを取り出した。119番を押そうとロック画面を開いたら、上からすっと黒い影が落ちてきた。


——追っ手か?!

 

 今度こそ恐怖で全身に鳥肌が立ち、うなじの辺りから変な汗が出てきた。だが俺は頭を切りつけられてるから上を見上げられない。


「久しぶり」


 混乱した。その声はどこかウキウキしたような、楽しげな声音だったからだ。


「約束しただろ、おまえが殺されたら俺が仇討つって」

「えっ……おまえまさか——」

「そう、俺だよ。とりあえず死んでもらわないと困る。スマホは没収」


 あいつは俺のスマホをあっさりと取り上げた。逆光で表情が見えないが、どうも微笑んでいるように見えてならない。


「待てよ! おまえ助けに来てくれたんじゃないのか?!」

「まあ、敵討ちに挑戦して失敗っていう幕もありかもね」


 まるで意味が分からない。まるで異国語で一方的にまくしたてられているようだった。俺の表情で自分の暴走っぷりに初めて気づいたかのように、あいつはふんわりとわらって語り出した。俺の頬には三筋目の血液の川ができていた。


「俺、死にたいんだよね。でもどうせなら意味のある死にしたい。その時、おまえとの約束を思い出したんだ。だから俺がおまえを殺したら、必然的に仇は俺になる。だから俺は敵討ちとして自殺できる」

「何だよそれ! 死にてぇなら勝手に死ねよ! 俺を巻き込むな!」

「はいはい正論どうも」

 言いながら、あいつは俺の髪の毛をがっと掴み頭を引き上げた。痛みに悲鳴をあげた。

「あのね、おまえは気づいてなかったかもしれなかっただろうけど、俺はおまえのことが大好きだったんだよ。引っ越しの後もおまえのことずっと見てたよ。で、早く死なねーかなーって思ってた。だから今、俺の夢が叶ってる瞬間なの。分かるだろ?」

 俺の眼を真正面から見つめるあいつの瞳はどこか人工的で人間味がなく、まるでガラス玉のようだった。腹の底から恐怖心が全身に広がった。


 こいつは、明らかに『正常』から逸脱している。


「じゃあ一緒に死のう? ナイフ二本持ってるから、俺がお互いの頸動脈を同時に裂くよ。嬉しいな、おまえと一緒に死ねて」

 本当に薄いナイフを二本取り出した幼馴染みを見て、俺は、ここで自分の命が終わると悟った。

 冷たいものが首元にピタリとあてがわれた。

 その時俺は見た。薄汚いこの路地裏に、一筋の光が射し込んでいることに。

 もはや俺はあいつの言葉や死に対する恐怖は知覚していなかった。

 斜めに射し込む光。

 光があるなら俺はそれにしがみついて上に上がる。

 もっと上へ。もっと上へ。もっと上へ。


「じゃあ、おやすみ」


 もっと上へ。

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