「狸の嫁入り」その⑪

          11

 

 弘子は目の前に立つ景虎に睨まれて動けなくなった。背後には捕まえた金長狸と源氏山翠が入れられた檻がある。景虎は檻の方へ視線をやり、すぐに弘子へそれを戻した。

 

「その狸、返してくれないか」

 

「あ、わ、その……」

 

景虎はじっと弘子の顔を見る。そしてはっとした様に目を丸くすると指を差した。

 

「お前、コーヒーショップで絡んできた美女か!」

 

学生時代は容姿を褒められたことなどなかった。だから努力した。身体を鍛え、振る舞いを磨き、その手入れも欠かしていない。全ては一人の男に認めてもらうためだった。今、景虎に「美女」だと言われただけで腰砕けになり、弘子はもはや動けなくなってしまった。

 

          


          ◯

 その頃、伯爵邸では。

 エントランスの中心辺りに円卓と人数分の椅子が用意され、伯爵夫妻と執事。そして咲耶、紫苑、虎右衛門が円卓のトランプを囲って座っていた。

 

 二匹の狸の所有権を賭けた三対三のババ抜き対決が行われているのだった。両陣営とも最後にジョーカーを持っていたものが負けとなる。つまり、咲耶か紫苑、もしくは虎右衛門が最後までジョーカーを持ち、事が出来なければ八咫超常現象研究所の負け。伯爵陣営も同様に伯爵夫妻か執事がビリだと負けとなる。

 

「では、失礼します」

 

紫苑は杖を側に起き、震える手で伯爵夫人のカードを引こうとする。その時だった。

 

「オーホッホッホ!」

 

伯爵夫人がいきなり鳥の鳴き声の様な奇声を発するので紫苑はビクッと肩を震わせて驚き、意図しないカードを思わず引いてしまった。そして紫苑は引いたカードを持ったまま固まる。それを見た夫人は面白そうにホッホッホと笑っていた。

 ゲームが開始されてから紫苑は夫人に同様の嫌がらせを受け続けていた。反応がとても良いので、虐めたくなる気持ちも咲耶は少しは理解を示せるのだが今回は遊びでなく命がかかっている。妨害は反則だ。

 そのせいでじわじわとプレイに支障が出ているのか、紫苑の手札はあまり減っていなかった。

 

「ウチの事務員イジメないでよ。妨害は反則じゃないの?」

 

咲耶が異議を申し立てると、伯爵夫人は「オッホッホ」と聞こえてないふりをしている。紫苑の方は両眉をハの字にして咲耶に助けを求めた。

 

「所長さん、もう私はこの人たちが好きではありません」

 

「紫苑、こんな奴らに負けちゃダメよ」

 

途中で嫌がらせを受けつつもゲームは進行していく。最初にあがったのは執事だった。次は咲耶があがった。そして神経をすり減らしながら三番目にあがったのは紫苑だった。「ふー」と長い息を吐いていた。

 続いて四番であがったのは伯爵夫人だ。残るは虎右衛門と伯爵だけとなった。虎右衛門の手札は残り一枚でジョーカーではない。「♡の6」だ。伯爵には二枚。つまり片方がジョーカーという事になる。

 虎右衛門がジョーカーを引かなければそこでカードが揃ってあがる事ができる。残った伯爵はビリとなり、八咫超常現象研究所が勝利するのだ。

 

「どうしたね、早く引きたまえ」

 

伯爵は不敵に笑いながら虎右衛門を挑発している。虎右衛門はというと、カードを引くために出した手を空中で静止させていた。これで全て決まるかも知れない。だが、もしここでジョーカーを引いたら多分負ける。これは虎右衛門の直感である。

 

「虎右衛門さん、リラックスですよ」

 

「そうそう、肩の力を抜いて」

 

紫苑も咲耶も応援してくれている。だが今の虎右衛門の耳には半分も聞こえていない。出した手が震える。金長と最愛の翠、どちらの命もまさに我が手にかかっている。

 

「早く引きなさい。もう日が暮れてしまったぞ」

 

伯爵の手札は二枚、横に並んでいる。虎右衛門は考えた。単純な話である。ジョーカーかそうでないか、右か左か、アタリかハズレか1か0かイエスかノーか男か女か。であれば僕は女を選びたい。虎右衛門はカードに向けて手をゆっくりと伸ばす。そして、指先でそっと虎右衛門から見て左側のカードに触れた。

 

「それで良いのだね」

 

「ええい、ままよ!」

 

素早くその触れたカードを引く。その瞬間、伯爵は円卓を悔しそうに叩いた。そして持っていたカードを円卓に出すと、それは「ジョーカー」であった。虎右衛門は二択でずばり、ジョーカーを引かなかったのだ。

 

「うおおおおお!」

 

思わず雄叫びを上げた虎右衛門は喜びで両手を天に掲げる。

 その時、景虎から咲耶のスマートフォンにメッセージが送られて来た。それをすぐに確認した。

 

 『金長と翠さん確保』

 

咲耶は肩の荷が降りたように安堵できた。

 

「……これまでですな。契約書はこの建物の最上階、天窓のある屋根裏部屋に保管してあります。サインすれば二匹の狸の所有権を完全に八咫超常現象研究所が得ることになります」

 

執事は丁寧に説明した。

 

「とても楽しい勝負でありましたな」

 

          

          

          

          ◯

 伯爵は円卓で肩を震わせていた。

 

「くっ、おのれ、かくなる上は二匹を亡き者に」

 

「無駄よ」

 

悔しがる伯爵がそう言うと咲耶はすぐに言い返した。そしてスマートフォンの画面を見せる。そこには狸姿の金長と翠、そして景虎が並んで写っている写真が表示されていた。景虎のスマートフォンの内カメラで撮影されたらしいその写真は奪還完了を意味するのに充分な効力を発揮していた。

 

「もう二匹は確保したわ。あんたの望み通りにはならないから。じゃあ、帰るわよ」

 

咲耶は円卓を囲う椅子から降り、身体を伸ばした。紫苑も咲耶の手を借りて杖につかまりながらゆっくり椅子から降りる。そして虎右衛門も椅子を降りようと、持っていた二枚のカードを円卓に置いた。そのカードは二枚とも「6」の筈だ。だが異変が起こっていた。

 円卓に出されたカードは「6」と「9」だったのだ。

 

「え、どういう事なのだ?」

 

虎右衛門は困惑した。というより、目撃した全員が困惑した。誰かが6と9を最初に間違えて場に出したのか、そもそもカードが足りてなかったのか。とにかくこれでは勝負にならなかった。果たしてこれで虎右衛門の勝利と言えるのか。全員固まって思考する。

 

 そして、しばらくの沈黙の後、最初に口を開いたのは紫苑だった。彼女はその澄んだ声で小さく確認するように告げた。

 

「最初に伯爵さんが決めましたよね、『勝負は一回で、それに例外はない』。ですがここに勝者はいません。になったんです。それでもルール通りなら再勝負はできません」

 

 咲耶ははっとした。紫苑が何を言おうとしてるのか段々と分かってきた。紫苑は言葉を続ける。

 

「執事さんは言いました。勝利し契約書にサインすれば『二匹を所有する権利を持つ』と。勝負は終わりました。でも勝利者はいません。再戦もできません。なので、今は誰のものでもないんです。言い換えれば。所長さん、

 

 また沈黙が訪れる。張り詰めた緊張感が漂った。全員何かを待っているかの様な雰囲気である。

 そして、最初に動き出したのは虎右衛門だった。円卓を力任せにひっくり返すと、椅子から飛び降りた。伯爵は円卓ごとひっくり返えってエントランスのカーペットの床に顔を擦られた。虎右衛門は叫ぶ。

 

「僕たちが先に屋根裏の契約書にサインするのだ! 走れ!」

 

虎右衛門の合図で咲耶も走った。伯爵夫人は「させないわ!」と後を追う。

 

「く、おのれ不意打ちとは卑怯なッ」

 

伯爵もすぐに起き上がり、舞い散ったトランプを手で退かすと先頭を走る咲耶を追う。しかし、紫苑が「えいっ」と持っていた杖を走り出す伯爵の足元に差し出した。すると伯爵は紫苑の杖を勢いよく蹴り上げながらずっこけた。そのままエントランスの隅まで転がっていく。

 

「でかした、紫苑さん! 後は待っててください!」

 

虎右衛門も転んだ伯爵を見届けると、すぐに屋根裏部屋を目指して走り出した。紫苑はじーんと痺れる両手を眺めたあと「お気をつけて」と短く言った。

 しかし、さすがに筋骨隆々の伯爵である。すかさず受け身をとると起き上がって虎右衛門を追った。一気に巨大な階段を駆け上がって行く。そして、エントランスには紫苑と執事の老人だけ残された。

 

          

          


          ◯

 ヒールだと階段を駆け上がるのは困難だ。咲耶は伯爵夫人に追い抜かれてしまう。だが、まだまだ。咲耶は階段の途中で立ち止まり両足のヒールを脱いで前を行く伯爵夫人に投げつけた。見事に両足のヒールが夫人の頭に直撃し、「うげっ」という悲鳴と共に、夫人はバランスを崩してその場で転けた。階段を咲耶の位置まで転がり落ちてくる。

 

「ざまあみなさい、さっき紫苑を虐めた分よ」

 

咲耶は滑るといけないので靴下までも素早く脱いで放り投げると再び裸足で走り出した。

 

 あと一回階段を登れば屋根裏部屋だ。天窓がすぐそこにある。だが、ずんずんと凄まじいスピードで伯爵が追ってきた。そのすぐ後ろには虎右衛門がいる。

 このままでは咲耶は追いつかれる。やむを得ない。虎右衛門はカーディガンのポケットから木の葉を取り出した。

 

「待て伯爵」

 

ボンと白い煙に包まれ、虎右衛門は巨大な虎に化けた。そして、虎に化けた虎右衛門はその腕で伯爵を叩く。


「甘いわ!」

 

だが伯爵は、それを鍛えた両腕の筋肉の力で防御し耐えてみせた。しっかりと虎の腕を掴んでいる。

 

「ならば、これならどうだ」

 

虎右衛門は白い煙に包まれて今度はナマコに化けた。突然手元にネバネバヌルヌルのナマコが握られさすがに伯爵は怯み、思わず虎右衛門を離した。その瞬間に虎右衛門は「モッサリ青年」姿に戻って伯爵を身体全体で掴みかかり、思いっきり引っ張った。

 バランスを崩した伯爵は虎右衛門と共に階段を転がり落ちていく。

 



 屋根裏部屋といっても意外と広かった。様々な道具や収集品が所狭しと積まれている。

 契約書はその中心の空いたスペースに設置された小さな机の上に二枚あった。片方が金長でもう片方が翠のだろう。咲耶はすぐさまボールペンをジャケットの内ポケットから取り出して契約書にサインした。確認はしなかったがこちらは「金長」のものらしい。あともう一枚、こちらが「源氏山翠」のものだ。咲耶はこちらもサインしようとペンを持ち直した。

 

 その瞬間だった。伯爵夫人がタックルしてそれを妨害した。咲耶は夫人と共に収集品の山に突っ込んだ。積まれた道具の崩れる音が響く。

 

「あんたら頭おかしいわよ!」

 

「オホホ、おかしくて結構。我々は珍品、珍獣に命をかけているのよう」

 

咲耶が夫人と揉み合っていると、カツカツと革靴の音がした。誰かが屋根裏部屋に入ってくる。そして、屋根裏部屋に入ってきたのは伯爵だった。

 

「ああん、アナタやっぱり素敵よう。さあ、私がこの小娘を抑えている間に契約書にサインしてしてえん」

 

「やめなさい伯爵、あなた後悔するわよ!」

 

咲耶は叫ぶ。それを聞き伯爵はにやりと笑うと、落ちている咲耶のボールペンを拾って契約書に向き直った。契約書には『金長の妻のメスタヌキ』と記されていた。

 

「失礼な、あの子の名は源氏山翠げんじやまみどりだ」

 

伯爵は自分の名前を契約書にサインした。

 『観音寺虎右衛門かんのんじどらえもん

 

 伯爵は白い煙に包まれ、出てきたのはモッサリ青年。虎右衛門であった。

 

「伯爵夫人さん、咲耶さんも。僕に化かされましたね」

 

虎右衛門は両手でピースを作ると悪戯っぽく笑っていた。本物の伯爵は階段の下でノビている。

 

 伯爵夫人は、がっくりと肩を落とした。






────その⑫に続く

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