ヤタガラス

星野道雄

ヤタガラス 第1話

「バースデー・カクレンボ」その①

          1

 

 景虎かげとらは薄暗い懺悔室に腰掛けて後ろの背にもたれた。自身の左手側には壁、そして小窓がある。右手側は壁があるばかり、正面は出入り口だ。本当に小さな部屋だ。大人一人で定員だろう。

 当然か、と景虎は思う。罪の告白は一人でするものだ。


「いつもの頼んでいいですか?」


 景虎はジャケットの内ポケットから純銀製の“塊”の様なものを二つ取り出し、小窓の脇に置いた。すると反対側の部屋、即ち司祭側から小窓に向かって白く皺の刻まれた手が伸びてきた。そしてその二枚の板を掴んだ後、再び引っ込んだ。


「貴方がここへ来るのは、久しぶりですかね。どうでしょうか? せっかくの告解室、私が作業している間に罪の告白などされてみては。神は如何なる罪も等しく赦しを与えて下さりますよ」


 小窓の奥から司祭の優しい声がした。景虎は少し面白い気分になった。


「何度も言ってるけど俺は神様を信じちゃいないよ。それに、神様に話すくらいならアンタに話したい」


 司祭は答えない。景虎は肯定と受け取って続けた。


「前にも話したけど、俺が去年就職して働いてる会社はかなり……変わってる。そこでの仕事の話なのですが──」

 

 景虎はゆっくりと語り始めた。





ヤタガラス 第1話 「バースデー・カクレンボ」


          

          ◯

 金倉市凰船町かなくらしおうふなちょう。今は昔、ここは海だった。あとは山、そして小さな漁村だけ。しかし、明治初頭に埋め立てられて以来は港町、商人の街として栄えた。

 海を渡り、国内外様々な品や人がこの街にやってきては去り、そして発展して来た。

 しかし、この街に入ってきたもの、その一部は


 現在は明治、大正、昭和の名残はほとんど無くなってしまった。しかし、未だに駅は古臭い活力に溢れているし、駅前の商店街の市場は賑わいを見せている。人も建物もモノも全て時代の流れに呑まれつつもその情緒を残していた。


 ここ、『八咫超常現象研究所やたちょうじょうげんしょうけんきゅうじょ』もまた、そんな古臭い頑固さを残した場所であった。

 昔は日本も神秘に満ちていた。今は文明の発展ですっかり変わってしまったが、ここは伝承や呪いや魔法など所謂『オカルト』を専門に扱う便利屋なのだ。

 そんな研究所は駅の目の前、古い商業ビル群の中にひっそりと構えられていた。

 このビルも建てられたのは昭和後期だという。七階建てで、研究所は最上階の七階。真下の六階はスポーツジムでその下の五階は猫カフェになっている。あとは四階、三階、二階、一階と商業施設が続いていた。もはや七階まで足を運ぶ者はジムか猫カフェと勘違いした間抜けか、あるいは狂人の類だけとなっていた。


 研究所の所長、八咫咲耶やたさくやは、自身のデスクで今月の支払いをまとめた書類を穴が開くほど睨んでいた。思わず溜息をつき、指で巻いた髪の毛をかき上げた。

 資料は良くできている。と咲耶は思った。さすがは我が社の事務員だ。一目で赤字だと分かる。

 彼女がこの『八咫超常現象研究所』を父から受け継ぎ、所長兼社長になってからまだ二年程しか経過していないが、早くも廃業の危機に陥っていた。三十路になったばかりの彼女は金なし恋人なし、負債あり、無駄に広くて掃除の大変なこの事務所ありで頭を抱えている。


「ちょっと、カゲトラはどこに行ったの」


 咲耶は目線を資料から逸らさず、自分のデスクの前に設置された応接用のソファに向かって声をかけた。ソファは二つ向かい合うように配置され、その間にはガラスのテーブルが置かれている。このソファは先代の頃から存在し、革張りの高級四人掛け、だと聞いている。

 ソファには『研究所』の事務員、紫苑しおんが座っていて、手に持ったスマートフォンで何かアニメを見ていた。紫苑は見ていたアニメを一時停止して咲耶の方を見た。


「六階のスポーツジムに行く、と一時間ほど前に出て行きましたよ。所長さんが請求書とにらめっこを始めた辺りだったかな……。お気づきかと思っていました」


 紫苑は澄んだ声でそう答えた。

 彼女はかなりの弱視らしい。視力が悪く、眩しさも苦手だと言う。いつも遮光と視力矯正のための眼鏡かサングラスをかけていた。今日は眼鏡なようだ。

 咲耶のデスクは大窓の前なので後光が差すのだ。なので紫苑の眼鏡の奥、その青く美しい空色の瞳はいつもより細く開かれていた。

 咲耶はこれ以上この位置で会話するのは紫苑に悪いと思い、「なんなのアイツ」とだけ答えておいた。

 すると紫苑は何かを思い出したかのようにゆっくりと立ち上がってから、研究所奥の台所に向かった。その白く反射する美しい金髪を靡かせて彼女は優雅に動いた。


「そういえば昨日、五階の猫カフェの店長さんにクッキーを頂いたんです。紅茶を淹れるので所長さんもご一緒にいかがですか?」


 紫苑は台所からクッキーの入った、見るからに高級そうな缶を嬉しそうに持ってきた。咲耶は「またか」と思うのだった。

 五階の猫カフェの店長はおそらく紫苑に。彼は紫苑が研究所で留守番するのを見計らってお菓子などを持ってくるのだ。あのすけべそうな顔を思い出して咲耶は少し気分を害した。だが、クッキーはもらう。それらは別の話だ。


          


          ◯

 咲耶と紫苑は休憩として二人でクッキーと紅茶を楽しんだ。

 しばらくお茶をしていると、やっと研究所の調査員、湊景虎みなとかげとらが帰ってきた。黒いスーツとネクタイ、ジャケットの下には赤色の派手なシャツを着ている。『八咫超常現象研究所』に細かい服装指定はないが、一応スーツ推奨である。しかも華美でないものの決まりだ。景虎は「ホストみたいな着こなしはやめろ」といつも注意されていた。もちろん現在まで改善はされていない。


「──高級そうなクッキーだな。あの店長、また俺がいない隙に来たのかよ。塩撒いておこうぜ」


 研究所入口の古い扉は音を立てながら閉まった。景虎は入ってくるなり意地悪そうな顔でそう言うのだった。咲耶は帰って来た景虎を確認するなり急いで口の中のクッキーを紅茶で流し込み、問い詰めた。


「ちょっとアンタ、勤務中にスポーツジムで汗を流そうなんて良い度胸じゃないの」


「給料をどんぐり以外にしてくれたら、もっと真面目に働けるんですけどね」


「私がいつ、どんぐりを、アンタに支払ったのよ! ちゃんと毎月、日本銀行券で支払ってるでしょうが! 私が毎月どれだけ苦労を─……」


 また二人の小競り合いが始まってしまった。最初こそオロオロ慌てた紫苑だったが、最早見慣れた光景だ。気にせず紅茶を啜ることができた。

 

「あのう……」

 

 不意に入口から声がした。研究所メンバーの三人は素早く視線を声の方へ動かした。

 見ると、入口前にショートヘアで活発そうな少女が立っていた。どこかの学校の制服を着ている。景虎は同じ制服の女子学生を駅前の商店街でよく見かけるのでこの近くの学校なのかな、と想像した。

 

「ああ、猫カフェならこの下っすよ。五階」

 

「ジムなら六階ね」

 

咲耶も景虎も最早、この訪問者が依頼人だとは微塵にも思ってなかった。しかし、彼女は依頼人だったのだ。

 

「ここって、超常現象研究所? っていうので合ってますか? わたし、聞いてほしい事があるんですけど」

 

少女は恐る恐るといった風に告げた。それを聞いた三人は同時に顔を見合わせた。

 

「もちろんですよお! ささ、こちらのソファにおかけ下さいな」

 

 所長の咲耶が一番最初に動いた。素早く少女に擦り寄り、応接用のソファに促す。

 

「おい、湊くん。早くソファとテーブルのクッキーを片付けなさい。お客様だよ」

 

 咲耶はチッと舌を鳴らして景虎に指示を出した。景虎は不満気に口を尖らせる。

 

「俺は食ってねえぞ」

 

「だから何よ、さっきまでサボってたじゃないの。クビにされたいわけ?」

 

咲耶に凄まれ景虎は「ぐっ」と怯んだ。ぶつぶつと文句を言いながらクッキーと、紅茶の入った飲みかけのティーカップを台所に運ぶ。紫苑は既に少女に出す用の紅茶の支度をしていた。

 

           


          

          ◯

 少女は、(高級らしい)ふかふかの応接ソファに座った。慣れないらしくそわそわしている。所長の八咫咲耶、調査員の湊景虎がその向かい側のソファに並んで座る。景虎はメモの準備をした。

 

「どうぞ、紅茶です。今日は冷えますよね」

 

紫苑は運んで来た木製トレーをテーブルに置き、トレーの上の紅茶の入ったティーカップを少女に差し出した。少女は紫苑の陶器の様に白い肌と眼鏡の奥の空色の瞳に釘付けなのか、辛うじて「ありがとう」と呟いた。

 紅茶を配り終わり、紫苑は景虎の横に着くように少女に向き直った。それを確認し、そろそろかな、と景虎は判断した。

 

「もう十月か……今年も早いっすね。で、今日はどうしました?」

 

景虎はとりあえず少女の緊張を解こうとヘタなりに世間話を振ってみた。隣に座っている咲耶は第一声と進行を景虎に取られて不満そうな顔をしたが景虎は気づかないフリをすることにした。少女は深呼吸をし、ゆっくり話を始めた。

 

「あ、はい。私は、さつきと言います。高校生です。その、人を……妹を探してほしくて」

 

 人探し、と景虎はメモに書いた。

 ここは『八咫超常現象研究所』。超常的な事件や依頼を扱う場所だ。この世には常識で測り知れない超常的な出来事が起こる。それに伴う事故や事件を専門的に扱っている。よって今回も「超常的な人探し」という事になるはずだ。依頼人の少女、さつきは続けた。

 

「妹を探してほしいんです。私の双子の妹が突然現れて、いなくなったんです」

 

 咲耶は首を傾げた。そして思案し、言葉を選んだ上で聞いてみる。

 

「どういう意味でしょう。妹さんはどこかに行っていたのですか? 行方不明という事でしょうか」

 

「迷子なら警察に行けば良いだろ」

 

せっかく咲耶が優しく聞いたのに景虎の一言で台無しだ。絶対後で説教してやる。と心に決め、咲耶は「そういう事です」と自身の言葉に補足した。

 さつきは首を横に振って困った様に付け足す。

 

「違うんです。こんな事を言っても信じてもらえないかも知れないけれど……。妹は、私の双子の妹、めいは──」

 

ここまで言ってさつきは言葉を詰まらせた。それを見て咲耶は優しく声をかける。

 

「どうか遠慮せず。何も言い難い事などありません。ここはオカルト専門の便利屋ですよ? この前も居酒屋で知り合いに馬鹿にされましたよ。お前はいい歳して電波系なのか、ってね」

 

景虎は吹き出した。するとすぐに靴を咲耶のヒールで踏みつけられる。「うっ」と思わず声が漏れた。

 

「……失礼。とにかく、さつきさん。まだ高校生のアナタが一人でこんなふざけた所に来るのは尋常ならざる事態でしょう。勇気も必要だったはず。それほど真剣にお困りなんでしょう? 秘密は守ります。必ず力になります。話してみてください」

 

咲耶の寄り添う様な優しい言葉でさつきの緊張は解れた様だった。俯いていたさつきはゆっくりと顔を上げた。

 

「じ、じゃあ……話します。全て本当の事です」

 

「もちろん信じます」

 

これだけ警戒しているということは、誰に話しても信じてもらえなかったのだろう、と景虎は思った。当然だ。「ここ」はそういう誰にも信じてもらえなかった人が訪れる最後の場所だ。

 さつきは続けた。

 

「妹のめいは、もう死んでいるんです。二年前に。でも現れて、そしてまた消えました。お願いします。めいを探して下さい。何か、きっと何かを伝えたくて出て来たんだと思います!」

 

さつきの声は真っ直ぐと景虎に届けられた。


 ここは『八咫超常現象研究所』。不思議な出来事に悩まされ、誰にも信じてもらえなかった者が訪れる最後の場所。

 季節は秋、そして冬になろうとしている。ビルの窓が風で軋む音がした。

 研究所メンバーによる、「迷子の幽霊探し」が始まるのだった。





────第1話 その②に続く

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