第169話 賈詡の手紙

渭水の畔に強固な砦が出来たことで、戦局は膠着する。お互い、積極的に戦闘を行おうとしなくなったこともあり、長期戦の様相を呈してきた。


すると、関中十部の都督である韓遂が和睦を考え始める。

この辺の引き際を違えず見極めることで、彼はこれまで数々の反乱を起こしながらも、生き永らえてこられたのだ。


「曹操もそう長く、本拠地を空けておくわけにもいくまい。この和議は、必ず成立する」

「しかし、黄河より西。この地の割譲を認めるだろうか?」


成宜が韓遂に質問を投げかける。和睦を結ぶとしても、戦争前より待遇が悪くなるのでは意味がないのだ。

勿論、そのことは韓遂も承知している。

韓遂が和議を言い出したのも勝算があってのことなのだ。


長安より以西、特に涼州は異民族との融和で成り立っている。住んでいる部族も有名なのは羌族や氐族ていぞくだが、少数部族を数えるとその数はきりがないほどだ。

それらをまとめ上げて治安を維持することは、中央の官吏には到底、できぬこと。

生粋の涼州人にしかできない。


つまり、韓遂を含めた軍閥の力は、曹操にとっても必要なのだ。

だから、人質をとって縛りつけようともする。


今回、馬超や韓遂など、曹操に人質をとられながらも反乱を起こし、尚且つ、その力を見せつけた。

無意味な人質で従属させるよりも、不可侵条約を結んだ方が有益と考えるはず。


立場上、臣従という形式をとらなければならないが、そこは朝廷への税収代わりの貢物で折り合いをつければいい。

韓遂の頭の中では、そう算盤を弾いているのだ。


関中十部を取仕切る韓遂の意向に、軍議に参加していた他の者たちは追従する。

すると、一番奥の席で、これまで発言を控えていた馬超が立ち上がった。


「俺は親父殿が人質に取られている今、韓遂殿、あんたを親父殿の代わりだと思っている。だか、仕えているわけではない」

「無論、私の方も、孟起をはじめ他の軍閥の長たちを家臣だと思ったことは、一度もないぞ」

「そう、俺たちは横のつながりで組織されている。そこにあるのは、臣従ではなく信頼だ。今回の件、その信頼を失わないものなら、俺は賛成する」

当然、韓遂は関中十部を裏切る気は毛頭ない。その心配はないと太鼓判を押すのだった。



韓遂から、和睦の申し入れを受けた曹操は、荀攸、賈詡と話し合う。

曹操としても、韓遂の見立て通り、鄴を長く空けておきたくないという気持ちがある。

早期の決着を望むが、かといって、野戦で勝つ見込みも今の所ないのであれば、和議も止む無しだ。


「反乱を起こした相手の思惑通り和議を結べば、丞相の威光に傷がつきますぞ」

「うむ。それは確かにあるが、私は名より実を取りたい」


荀攸と曹操で意見が割れる。そんな中、賈詡が一人で、ぶつぶつと呟いていた。

独り言をしゃべりながら、思案をまとめている様子。

暫くして、お経のような独り言が止まると、不意に顔を上げた。


「今回の戦で、人質がいながら参戦しているのは、馬超と韓遂、それと閻行でしたか?」

「ああ、そうだ」

「この三人を和議の話合いの場に連れ出せますでしょうか?」


何を考えているのか分からないが、どうやら妙案を思いついたらしい。

韓遂は、相手の総大将。馬超は明言されていないが、副将という位置づけだろう。二人を話合いの場に呼ぶことは、不自然なことではない。


また、閻行も韓遂の警護として、指名せずともついて来ると思われた。

賈詡の質問の答えは、「可能だ」である。


「何だ、また悪巧みでも思いついたか?」

「心外ですな。私が考えることは、全てが悪巧みです」


賈詡の低い笑い声が響いた。

何か確信をもった策があるのだろう。

であれば、先に種を聞いては面白くない。


賈詡の指示通り、韓遂に和議の件について話し合うための使者を送るのだった。

程なくして、韓遂からの返答が届き、明日の正午、馬上で韓遂、馬超、曹操による三者会議が行われることとなる。



渭水の南、曹操軍と関中十部軍が見守る中、曹操、韓遂、馬超がそれぞれ単騎で両軍の中間地点に集まり、和議についての話し合いが持たれた。

争点は、関中十部の自治権と人質に関してである。


戦の発端となる議題のため、さすがになかなか、決まらない。

話がまとまらないのは、老獪な曹操と韓遂が、なかなか本題に入らないということも関係した。


交渉事とは、得てしてそういうものだと理解しているが、若い馬超にはじれったく感じる。

話し合いに参加しながらも、本日の決着を無理だと、途中で諦めるのだった。


曹操を観察していると、今は韓遂との会話に夢中になっている。

隙をつけば、拉致することは可能かと頭の隅をよぎるが、鋭い視線を感じて躊躇した。


曹操の少し離れた位置で、許褚が目を光らせているのである。

恐らく武勇は、曹操軍第一と思われるこの男。馬超は、この地でこれまで幾度か闘うも、負けはしないが勝てる要素も見当たらなかった。

曹操を捕まえながら、闘える相手ではない。


韓遂の警護として近くにいる閻行と一緒なら、あるいはと思うが、残念ながら、その気はないらしい。

逆に馬超の不審な行動を咎めるように、目で制してきた。


こうなれば、もう本当に諦めるしかない。

曹操と韓遂の対話を終わるのを待つことにした。


ただ、気になるのは、やけに親し気に二人が話していることである。

興味がない話だったので、断片的にしか聞いていないが、韓遂の父親と曹操が孝廉で同期だったとか、どうとか。

事実だとすれば、随分、年が離れている同期だなくらいの感想しか持てない話。


馬超にとって、本当にどうでもいい話だけで、一度目の交渉は終わるのだった。

交渉が、一旦、終了となると、最後に曹操が閻行に話しかけている姿を見つける。


「いくつになっても孝行だけは、忘れてはならないな」

「勿論、そうですな」


わざわざ、曹操が話を持ち出したことを馬超が訝しみ、後で調べてみると閻行も親を曹操に人質として、取られていることを知った。

だからと言って、戦場で曹操に手心を加えている様子はない。


この時点では、とくに気にすることもなかった。

但し、ある出来事から、馬超の中で猜疑心が生まれることになる。

賈詡による策略が、忍び寄って来るのだった。



一度目の交渉を終えて、曹操が自陣に戻ると、賈詡に話しかける。

「言われた通り、韓遂とは世間話をし、最後に閻行に親の件に触れたが、次はどうするのだ?」

「ありがとうございます。次は、このような手を使います」


そう言って、賈詡が曹操に見せたのは、手紙だった。

ただ、普通の手紙と異なるのは、文章のところどころを黒塗りで潰して、読めなくなっていることである。


「これで、相手に意図が伝わるのか?」

「いえ、目的は別にあるのです」


賈詡の説明では、この手紙を韓遂と閻行の二人に送るという。

当然、馬超が気になり、手紙の内容を確認しにくるだろうが、その時、この手紙を見たら、どう思うか?ということだった。


「なるほど。二人して、何か馬超に隠し事があると思うな」

「ええ。彼らはただの連合です。連合軍の信頼など、脆いことは丞相も御承知でしょう」


古い話だが、曹操が呼びかけた反董卓連合も、その目的を達することなく瓦解したという経験がある。

賈詡の言うことは、十分に理解できた。


「分かった。では、早速、取りかかれ」

「はっ」


賈詡は、その日のうちに使者を送り、大々的に宣伝しながら、韓遂と閻行に手紙を渡すのである。

そのことは馬超の耳にすぐに入るのだった。



「韓遂殿、曹操から手紙が届いたそうですが、何と書かれていましたか?」

「うん、それが、儂にもよく分からないのだ」


韓遂の言っている意味を理解できない馬超は、その手紙を検める許可をもらう。

やましい事がない韓遂は、素直に黒塗りで文章を潰された手紙を馬超に渡すのだった。


「これは、一体、どういうことだ?」

「儂も受け取った時点で、そうなっていたのだ。訳が分からんよ」


あの曹操が手紙の下書きを送って来た?いや、それにしては黒塗りが多すぎる。

馬超は、意図的に読めないようにしたのだと疑う。


「師匠も手紙を受け取ったと聞いたが?」

「私のも同じだ」


閻行が受け取ったというのも韓遂と同じく、多くの部分が黒く消されている。

・・・これは、何を意味するのか?


「師匠にお尋ねするが、曹操に人質を取られているとうのは本当か?」

「誰から聞いたか知らないが、本当だ」

「なぜ、今まで隠していた?」

馬超の質問の意図が閻行には分からない。そのようなこと、他の軍閥である馬超に教える義理はないはずだ。


「隠してなどいない。現に韓遂さまは知っておられる」

「ふん、人質を出している二人に秘密の手紙。・・・何か裏があるのでは?」

「馬鹿を言うな」

これには韓遂も反論する。まったく根も葉もない嫌疑なのだ。


「道理で、曹操と仲良く話すわけだな」

「黙れ、孟起。今のお前は冷静ではない。下がるんだ」

「言われなくても、そうするさ」


馬超が天幕から去って行くと、韓遂と閻行の視線がぶつかる。

お互い、何か言いたけだが、沈黙が続いた。

裏切るつもりはないが、結束が揺らぎ始めていることは、間違いない。


馬超の口から、このことが他の関中十部の者たちにも伝わったとしたら?

最悪、組織が二つに割れる可能性だってある。

関中十部の中に暗雲が立ち込めるのだった。

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