第22章 赤壁大戦編
第132話 役者の集結
樊口に軍を動かした周瑜の元に、約束通り劉備が関羽を伴って訪れた。
出迎えには、顔なじみの程普、黄蓋、韓当の姿もあったが、その他、呂蒙、甘寧、淩統など初めて会う武将などもおり、物々しさに包まれている。
「お初にお目にかかる。俺が劉備玄徳だ」
「こちらこそ。今回、総司令を拝命しました周瑜公瑾です」
劉備は、
異名は伊達ではなく、整った顔立ちに才気が溢れんばかりに漲っている。
「孔明から、相当な知者だと聞いている。今回も曹操をやっつけるための計略を用意しているんだろう。それで、兵力はどれほど用意したのだろうか?」
「三万ほどです」
たった三万で曹操の大軍に勝とうというのか?
一瞬、少なさに驚くが、よく考えれば諸葛亮もこの軍事行動を理解した上で、劉備の参戦を指示している。
勝算は十分に立っているはずだ。
「劉備殿は、我らが曹操軍を撃ち破った後、敗走する曹操軍に打撃を加えていただければ、それで結構です」
「そいつは、頼もしいな」
劉備が用意している一万もあてにはしていないということは、相当自信があるのだろう。
ただ、その鋭気があまりにも鋭すぎる印象も受けた。
切れすぎる刃は、時には自身も傷つけることがある。
周瑜の才能は、そんな危うさと表裏一体なのではないかと劉備は感じるのだった。
「我らは、更に陣を西に進めて、最終的に陸口に本陣を構えます」
「それで、俺たちは
「ええ。それでお願いいたします」
打合せすべきことは終えたとばかりに、周瑜は立ち上がろうとするが、劉備としては、絶対確認しておかなければならないことが一つだけある。
「それで、うちの孔明と憲和は、いつこちらに戻るのかな?」
その問いに周瑜が詰まった。今まで見せたことがない反応に劉備が訝しむ。
そもそも主君が来ているのに、会せようともしない態度は、常軌を逸しているとしか思えなかった。
「諸葛亮殿の慧眼、私はいたく感服しております。引き続き、お借りして曹操打倒へのご助力をいただきたいのですが、よろしいか?」
あくまでも、まだ、返さないという意思は分かった。
ここで、揉めたところでどうにもならないのだろう。劉備は、不承不承ながらも認めるのだった。
劉備が関羽とともに夏口に戻ろうとすると、地元の漁師らしき男が近づいて来る。
関羽は刺客と思い込み、冷艶鋸を構えるが劉備が制止した。
怯える男に劉備が微笑みかけると、ようやく安堵し、用件を伝えてくるのだった。
「簡雍って人に、耳が大きくて偉そうな人が来たら渡してくれって頼まれたんです」
「偉そうなって・・・まぁ、いいや。脅かして悪かったな」
劉備が受け取ったのは手紙である。
その中身を関羽と一緒に確認した。
『まずは、孔明さんと私の心配は不要です。今月の下旬ころに東南の風が吹くそうです。その際、早舟に乗って戻ります。大将は風を確認したら、烏林の近くに移動して待機していてほしいとのことです』
文面から察するに、諸葛亮の言葉を簡雍が代筆しているようである。
これは、簡雍は動けるが諸葛亮への警戒は厳しいということだろうか?
それに文中の『東南の風』というのも気になった。
劉備が、今、長江の岸で感じているのは北西の風である。
この風向きが、まるっきり反対に変わるというのも容易には信じられない。
「憲和が心配いらないと言っているのです。とりあえず、我らは戻りましょう」
「そうだな」
関羽に促され、劉備は夏口に戻る船に乗り込んだ。
今の劉備にできることは、この手紙の指示に従うことだけである。
二人を残して樊口を去るのに、後ろ髪を引かれる思いはあったが、振り切って劉備は船を出すのだった。
劉備と打ち合わせを終えた周瑜たちは急ぎ、陸口を目指した。
万が一にも、曹操に先を越されると戦略が大きく狂うことになる。
先行して、呂範と周泰を走らせているため、あの二人であれば、まず間違いはないと思うが・・・
まだ、安心はできないのだった。
周瑜が陸口に着くと、すでに本陣を設営中。
その様子に胸をなでおろすと、呂範、周泰の両名が出迎にやって来た。
「周瑜司令、お早いお着きですね」
「ここは重要拠点だから、思わず馬を急がせてしまった。何か問題はあっただろうか?」
呂範と周泰は顔を見合わせると、お互い微妙な表情する。
「問題というわけではありませんが、周瑜司令の旧友という方がいらしています」
「私の旧友?このような時期に誰であろうか」
考え込む周瑜の前にやって来た男は、
蔣幹は揚州九江郡の出身で、周瑜が生まれた廬江郡とは隣の郡。
若き頃より、俊才と呼び声が高かった二人は、自然と知人になったのである。
「これは蔣幹殿、このような場所で会うとは珍しい」
「私用の旅の途中であったが、周瑜殿がこれより一大決戦に挑まれると聞いて、何かお手伝いできればと思い、立ち寄ったのです」
蔣幹の服装は、上着の下に麻織りの粗末な着物を身に着け、葛巾を被っていた。身なりは、完全に庶民の出で立ちである。
しかし、蔣幹は確か曹操の招聘を受けたと周瑜は記憶していた。万が一、罷免になっていたとしても、あの蔣幹であれば、もう少し上等な着物を着られるはずである。
これは、少々、芝居に凝りすぎた蔣幹の悪手だ。
周瑜は曹操の策で、こちらの情報を探るために潜り込んできたのだと直感する。
であれば、逆手にとればいいだけのこと。
「そうでしたか。それはありがたい。何か助言があれば、お願いします」
とりあえず、手元に置いておくことに決めた。
これで蔣幹としては、してやったりなのだろうが、全ては周瑜の思惑の中である。
早くも情報戦が始まるのだった。
孫権軍の本陣が設営されて、五日後、長江を埋め尽くすほどの数の船団がやって来る。
当初は、大きな黒い塊が複数浮かんでいるだけのように思えたのだが、近づくにつれて、多くの『曹』の旗印が見え始めた。
それが曹操が率いる艦隊だと分かると、水上戦において経験豊富な孫呉の将たちも度肝を抜かれる。
これほど多くの戦船など、見たことがなかったのだ。
さすがに自称、八十万の大軍である。
陸口に『孫』の旗が見えたためか、進路を対岸に位置する烏林側に変更したようだった。
「向こうの体制が整う前に仕掛けますか?」
「いや、こちらも、まだ準備不足だ。止めておこう」
周瑜は呂蒙の提案を退けた。準備ができていないと言ったが、周瑜の中であれほどの船団を撃ち破る策が、まだ、思いつかないのである。
水上戦であれば、曹操に後れを取ることはないと踏んでいたが、これほどの数の船を用意して攻めてくるとは、周瑜の想像を越えていたのだ。
考え込む周瑜の横で、呂蒙が首をかしげる。
「何だ、あの旗印は?」
呂蒙が指さす船を周瑜も確認するが、確かに見たことがない旗を掲げる船が一艘だけあった。
気にはなったが、周瑜の思考はやはり、この船団の駆逐に使われる。
その不思議な旗を掲げていた船のことは、すぐに周瑜の頭の中から、追い出されるのだった。
「しかし、凄い数ですね」
簡雍が多くの者と同じ感想を漏らす横で、諸葛亮の肩が揺れた。
不審に思った簡雍は、諸葛亮の視線の先を探ると、見慣れぬ旗を掲げる船に向けられていることが分かる。
「あの船に何かあるのですか?」
「はい。どうやら、あのお調子者もこの戦に参加しているようです」
諸葛亮が言うお調子者とは、亡くなった劉表から、相棒と称された龐統のことだった。
皆が解読できない旗は、いわゆる信号旗で、水鏡の門下生にしか分からない暗号なのである。
諸葛亮は羽扇で簡雍の耳元を隠すと、小声で旗の意味を伝えた。
「あの船は火災中で、間もなく沈むそうですよ」
簡雍がもう一度、船を見るが、現在、燃えている様子はない。
つまり、これは龐統の予告ということだ。
自分たちの船が燃える予告をする意味は、曹操陣営にあって周瑜たちの味方をするという意思表示でもある。
龐統がこちらについてくれるというならば、仕事が数段、楽になった。
諸葛亮が肩を揺らして笑っていたのは、そういうことである。
「それでは、周瑜殿と今後の作戦について、打ち合わせに行ってきます」
その足取りが軽くなっていることを簡雍が認める。
もしかしたら、諸葛亮は既に戦勝後の処理について考えているのかもしれない。
その背中を見ていると、そんな気さえしてくるのだった。
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