第129話 開戦決定と周瑜の警戒
孫権が揚州の重臣たちが居並ぶ広間に戻る。
当然、皆の視線は集中されるのだが、その中、周瑜は孫権の表情の変化を感じ取った。
『何やら、いい顔をされるようになった。諸葛亮が、何かしかけたな』
その予測が正しければ、間違いなく周瑜が望む展開になるはずである。
会議が再開されるのを楽しみに待つことにした。
「皆の者、待たせてすまなかった。私は、今まで揚州を切り開いてきた皆の意見を尊重するがゆえに、黙って耳を傾けていた」
会議の再開宣言がなされると思っていた諸将は、いきなり孫権が己の心情を語り始める姿に騒めいた。
今までとどこか違う雰囲気が孫権にあり、どよめきは止まらない。
「諸将よ、我らの主君のお言葉だ。静かに耳を傾けよ」
周瑜が雑音を封じ込めるように諫めると、広間は静まり返った。
孫権の次の言葉を待つのだが、周瑜はこの時、これが孫呉の生まれ変わる瞬間だと、胸に高揚を覚える。
その孫権は、左右の文官、武官を見渡すと剣を抜いて、天に掲げた。
「これからは、私が主導し物事を決する。この度、皆の意見を鑑み自分の意思と照らし合わせた結果は、開戦だ」
武官からは喝采の声が上がり、文官は静まり返る。
孫権の休憩前とは明らかな態度の変化に、諸葛亮に出し抜かれたと張昭は歯を軋ませた。
諫める間を窺うのだが、
「ご主君の話が、まだ途中である」という、周瑜の大声についぞ機を失う。
この義兄の補助に感謝すると、孫権は周瑜に目礼を送った。
「この決定は覆ることはない。もし、以降、降伏を唱える者あらば、このようになると思い知れ」
孫権は、天に掲げた剣を振り下ろすと目の前の机を真っ二つに叩き斬った。
これほど強く意思を表明されては、もはや反論は不可能。
文官たちは、揃って下を向く。
「しかし、理由も分からず開戦とは納得いかない者もいるだろう。私は、その理由を明白にする責任がある」
文官たちの多くは、曹操の勢いや書簡の内容に恐れおののき、降伏を唱えた者たちだ。
それらの者たちを安心させねば、団結して戦うことができない。
孫権は、そのために今回、開戦に踏み切った理由を告げる。
「こたびの戦、我らに勝機がある。いや、勝機しかないのだ。何故なら、曹操軍には多くの弱点がある」
曹操軍の弱点とは、会議の中断前に諸葛亮が
どうせ虚言を交えた妄想だろうと、高を括っていた文官たちは、本当にあるのか?と真剣に考えるようになる。
文官たちの注目を集めた孫権は、麾下最高の軍師に説明を託した。
「そうであろう。周瑜大督」
「はっ」
周瑜は広間の前方、壇上近くまで行くと諸将に向かって、曹操軍の弱点を細かく話す。
言い方や使用する文字は違えど、その内容は、諸葛亮が孫権に説いた内容とまったく同じだった。
諸将が大いに納得すると同時に、孫権が自信を深める。
広間の中に勝てるという機運で盛り上がったところ、戦にあたる陣容を孫権が発表した。
まず、総司令に前部大督の周瑜。副指令に武官の最年長、程普を指名した。
その他では、
細かな作戦は、これから練るとして、もう一つの重大発表もなされた。
それは劉備との共闘である。
同盟としても前向きではあるが、まずは今回、曹操と対峙するにあたって、ともに戦うということだけを確定させるのだった。
こうして、柴桑会議はいったん終了することになる。
諸葛亮と簡雍の身柄は、引き続き魯粛が預かることになり、客将としての立場も認められた。
これで何かあれば孫権の面目が潰れることになるため、とりあえず揚州にいても、表向き身の危険はなくなったことになる。
もっとも、だからと言って、この二人が油断することはない。
魯粛の屋敷内に留まり、外出はできるだけ控えるのだった。
柴桑会議が無事終了した夜、周瑜は自宅に魯粛を招いて酒を酌み交わした。
周瑜も知らない孫権の自室で起きたことを聞き出すためである。
すると、驚くことの連続だった。
まず、孫権が家中の誰にも話したことがないであろう悩みを相談したことに驚嘆する。
次に孫権に活力を与えた手腕だ。最後に曹操軍の欠点について、周瑜と同じ分析を行っていたことには、驚くだけではすまず、脅威すら感じるようになる。
「まぁ、お悩みについては、逆に家中の者には言いづらかったのかもしれません」
「確かにそうだが、それ以外のことを思うと、やはり油断できぬ相手だぞ」
「今は味方ですから、必要以上に気にすることはないかと」
魯粛の言うことは、もっともだが、周瑜は『今は』というところが引っ掛かるのだ。
もし諸葛亮が敵に回るようなことがあれば、相当、手強い相手になることは間違いない。
「いっそ、今のうちに手にかけるか?」
「公瑾殿は、もう酔われましたか?」
「ははは。戯言だ、気にするな」
思わず出た言葉を笑ってごまかしたが、諸葛亮のことがどうにも気になる周瑜だった。
柴桑会議の場では、周瑜と孫権は示し合わせたことはない。
しかし、孫権は曹操の弱点を周瑜が的確に告げると理解していた。
なぜなら、魯粛曰く、諸葛亮がそう孫権に諭していたからである。
周瑜は、自分が大きな掌の上で踊らされている錯覚に陥った。
自分は、その掌から脱することはできないのではないか?
周瑜は、魯粛が帰った後も諸葛亮のことが、頭から切り離すことができないのだった。
翌朝、ある考えの元、周瑜は、諸葛亮の兄である諸葛瑾を呼び出す。
それは、弟を孫呉の陣営に引き込むことができないかという相談だった。
「難しいと思いますが、やってみましょう」
弟の性格を知る諸葛瑾としては、無理なことは承知の上だったが、周瑜にたっての願いだと言われると断ることができない。
その足で魯粛の屋敷を訪れた。
諸葛瑾は、屋敷の主に案内されて、弟と面会を果たす。
「おはようございます。兄上は、これからご出仕でしょうか」
「うむ。その前に、お前に会っておこうと思い立ってな。立派に成長して、兄として嬉しく思う」
面と向かって話すのは、十数年ぶり。
生き別れ状態だった兄弟の再会に、諸葛亮も目頭が熱くなる。
諸葛瑾も同様だったが、周瑜からの頼まれごともあり、冷静になろうと努めた。
再会を喜んだあと、昔の逸話を用いて切り出す。
「亮よ、お前は
この突然の話題に、諸葛亮は兄の思惑を察した。
心の感情とは別に、冷静な知性が働く。
「立派な兄弟だと思いますよ」
伯夷と叔斉は、殷の時代の小国の王子である。
お互いに王位を譲り合い、ともに国を出たのだが、最後は忠節を守って、兄弟は手を取り合いながら餓死した。
この逸話を兄弟愛の手本として、兄は現状の諸葛兄弟について言及したいのだろう。
この発言の裏に、周瑜の思惑を感じた諸葛亮は、この話を逆手に取った。
伯夷、叔斉の兄弟が亡くなった遠因として、殷の紂王を周の武王が討ったことが挙げられる。
その時、武王の父、文王が死んで間もないことと、いかに暴君とはいえ、家臣が武力をもって主君を滅ぼすことを、この兄弟はよしとしなかった。
武王が遠征する行軍に割って入ると、忠孝の道に反すると讒言を行う。
この讒言は、聞き入れられることなく、結局、武王は殷を滅ぼし新しく周王朝を建てた。
そうすると二人は、周のものは口にせずと誓い、その結果、餓死するのである。
つまり、この逸話には兄弟愛ともう一つ、忠孝の道を説く意味が込められているのだ。
「伯夷、叔斉が亡くなったのは殷への忠義を貫いた結果です。私たち兄弟は、漢の世に生まれました。我が主君、劉備玄徳さまは漢の中山靖王の末裔です。漢への忠義を貫くことを考えれば、最上の主君と思いませんか?」
「・・・」
「加えて、父母の墓は今、荊州にあります。兄が我が主君の元に来られれば、忠孝をまっとうし、諸葛兄弟は伯夷・叔斉の兄弟を前にしても恥じるところは一つもないように思います」
諸葛瑾は、弟の言葉に二の句が継げない。
自分が逆に論破されては話にならないのだ。
「久しぶりにお会いした兄上を前にして、つい饒舌になってしまいました。これ以上、お引止めしてはご出仕の時間に遅れましょう」
諸葛亮も本気で諸葛瑾を引き抜こうとは思ってはいない。
兄にこの場を去る口実を与えた。
まったくもって立つ瀬がない。
諸葛瑾は、外に出ると魯粛の屋敷を顧みた。
「ああ、何とも偉い弟だ。立場上、公式の場で褒めたたえることはできないが、兄として非常に嬉しく思う」
諸葛瑾は結果報告をすると、周瑜から逆に裏切るのではないかと猜疑の言葉をかけられる。
これは心外であるため、諸葛瑾は憤然と抗議した。
周瑜も失言だったと理解しているため、平に謝罪する。
篭絡は無理だった。
それでは、次にどうする?
諸葛亮への周瑜の警戒は、ますます強まるのだった。
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