第97話 英雄の死と若き当主の誕生

袁紹が病を患い苦悶の末に亡くなった。

曹操との決戦に敗れたことを悔やみ、心労から病となったとの噂もあったが、真実は定かではない。


確かなことは、所領内では仁政を施し、多くの領民から、その死を哀しまれたこと。存命中は、さしもの曹操も冀州に手出しができなかったことだ。

官渡、倉亭で曹操に敗れはしたものの、当代を代表する英雄の一人だったことは間違いない。


生前に悔やまれるのは、重要な分岐点で選択をことごとく誤ったこと。自身の後継者について明確に定めていなかったことが、痛恨の失敗となる。

それが袁家衰退の引き金となるのだった。


袁紹の息子は三人。長男・袁譚えんたん、次男・袁煕えんき、三男・袁尚えんしょう

本来であれば、長男の袁譚が跡を継ぐべきだった。


ところが、袁尚の容貌がよく袁紹からの寵愛を多く受けていたことを強みに、野望を抱いたことから、跡目争いが勃発する。

袁譚についたのは、辛評と郭図。袁尚についたのは逢紀と審配だった。


そんな中、袁尚が先手を打つ。

袁紹が亡くなった際、青州を任されていた袁譚が鄴に戻る前に、後を継ぐ手続きを済ませたのだ。これには袁譚が、大いに憤慨する。

どうやら審配が袁紹の遺言を捏造したようだが、何を言っても、もはや手遅れだった。


この状況に袁譚は、車騎将軍を勝手に名乗ると鄴の近く、黎陽県に駐屯した。

この身内の内紛に曹操はつけ込もうと、曹操は黎陽県に向けて軍を起こす。


仲違いしているとはいえ、国家の一大事。

袁譚は袁尚に救援を求めるが、袁尚からの返信はなかった。

これに激怒した袁譚は、監視役としてついてきていた袁尚派の逢紀を斬り捨てる。


「どうする。我らだけで曹操に勝てるだろうか?」

「黎陽県が落ちれば、次は鄴です。それくらいは誰にでも分かることでしょう。援軍は必ず来ます」

袁譚の問いに答えたのは、辛評だった。


審配は、同じ派閥とはいえ仲が悪い逢紀が袁譚に始末されるのを待ってから、援軍を出すことにしていたのだ。

予定通り逢紀が殺されたため、黎陽県に兵を送ろうとする。


しかし、袁尚が異議を唱えた。

「ちょっと、待て。送った援軍を兄は自分のものとするかもしれん」

「しかし、援軍を送りませんと黎陽県は曹操の手に落ちてしまいます」

「そうならないように、俺が自ら援軍に行く」

こんなやり取りがあり、袁尚自身が黎陽県に向かうことになるのだった。



この袁家の危機を憂いた匈奴の単于・呼廚泉こちゅうせんが司隷河東郡の平陽へいようを攻める。

それに袁尚が任命した河東太守の郭援かくえんと袁紹の甥にして并州刺史の高幹こうかんが呼応した。


司隷校尉の鍾繇しょうようが平陽で呼廚泉にあたっていたのだが、郭援たちの増援にはたまらず西涼に使者を送る。

曹操が黎陽県にかかりきりになっているため、外に援軍を求めるしかないのだ。


西涼に向かったのは、京兆尹新豊けいちょういんしんほうの県令・張既ちょうきである。

馬騰の居城に着いた張既は、滾々こんこんと説得するが、馬騰は中々、首を縦に振らなかった。

実はすでに袁氏との密約が成っていたのである。


張既が諦めかけた頃、馬騰の配下である傅幹ふかんが助け舟を出す。

傅幹は、馬騰が袁氏に近づくことを危うく思っていたのだ。


「馬騰さま、古来より、『徳に順じる者は栄え、徳に逆らう者は滅ぶ』と申します。今、天子さまを奉じているのは、どちらで、天子さまに逆らっているのは、どちらでございましょうか?」

「そういう御託はいいのだ。今、西涼の地にいる戦士の血をたぎらせてくれるのは、どちらかというのが問題よ」

この主君を、理詰めで説くことは不可能と傅幹は悟る。


そもそも曹袁の争いは、曹操側についていたのだ。それを鞍替えしたのは、大黒柱の袁紹を失った逆境の方が燃えるという理由からだった。

それならば、正攻法を捨てる。


「狂気という理由で徳に逆らえば、董卓の二の舞となりますぞ。今、曹操殿に味方すれば、馬騰さまの功名は歴史に名を残すことでしょう」

董卓の名は、西涼では禁忌に近い。効果はてき面だった。

傅幹の言葉に馬騰は立ち上がると、勢いよく傅幹の前に行き、その手を取る。


「董卓の二の舞。・・・俺は、また、西涼を誤らせるところだった。お前の金言のおかげで目が覚めたわ」

続けて、張既の方に向き直すと、

「この馬騰、曹操殿にお味方する。鍾繇殿にもよろしくお伝えください」と、援軍を了承するのだった。


馬騰は、息子馬超を総大将に一万の軍勢を編成する。

馬超は、龐徳を率いて、早速、河東郡へと向かった。

「龐徳、すまないが、少し遠回りをする」

河東郡に入ると真っ直ぐ平陽には向かわずに南下する。


郡境の大陽たいよう城内に降り立つと、

「俺は馬超孟起である。誰か勝負する者はいないか」と、大声で叫んだ。

馬超は、西涼の錦と呼ばれる男。こんな片田舎で、馬超に挑むような者などいないと思われた。

そんな中、一人の青年が人垣をかき分けて進み出る。


「私でよければお相手します」

すると馬超は、その青年に駆け寄るのだった。

「お前が俺の従弟だな」

「私のことがお分かりになるのですか」


実は馬超は出発前に、馬騰から河東郡大陽県に将来、馬超にとって欠かせぬ存在となるであろう、身内の者がいることを知らされていたのだ。


確認する方法を問うと、我が一族に連なる者なら、無謀とも思える勝負でも挑んでくるに違いないと教えられる。

教えられた通りにして、現れたのがこの青年だけだったため、馬超は間違いないと確信したようだ。


「ああ、親父殿から聞いている。どうだ、俺についてくるか?」

「ぜひとも、お供いたします」


この青年は母方の姓を名乗っており、黄巌こうげんという名だったが、本日より馬姓に戻すことにする。

「今より、馬岱ばたいと名乗ります。以後、よろしくお願いいたします」


馬超は、新たに馬岱という仲間を加えて、北上し鍾繇と合流した。

西涼の騎馬隊の移動である。遠回りしたとはいえ、大した遅れとはならない。

むしろ鍾繇の感覚では、到着は早い方だった。


「馬超殿、西涼の合力、感謝いたします」

「いえ、天子さまに忠誠を誓う身、援軍は当然のこと。それより、敵を討つにあたって、何か策はございますか?」


早く戦いたくてうずうずしている馬超は、この戦場における戦略を確認する。

多少、ためらいが見られるのが奇妙だったが、鍾繇は馬超に今回の作戦を告げた。


「郭援は剛情で自信過剰なところがあります。きっと、うかつにも先陣を切って、汾水ぶんすいの流れを渡ってくるでしょう。全軍が渡り切る前に郭援を叩くのです」

「さすが鍾繇殿、相手の性情をよく見抜いた作戦です」


馬超は、喜んで戦の準備を始める。

すると、鍾繇の発言通り、郭援は仲間の助言も聞かずに迂闊にも汾水を渡りだした。


これには、待ってましたとばかりに全ての渡河が終わる前に、馬超軍が襲いかかる。

川を背にして逃げ場もなく、兵数も揃っていない郭援は、あっけなく討ち取られてしまった。


戦場をともにしていた呼廚泉や高幹も勢いに飲まれて、散々に打ちのめされると、すぐに国元へと逃げ出す。

河東郡における乱が西涼の馬超らの活躍で、簡単に鎮まるのだった。

呼廚泉、高幹は退却したが、討ったはずの郭援の首が見当たらない。


戦後処理をしていると、まさか討ち漏らしたかと味方陣営が騒ぎだす。

将らしき男を斬った記憶がある龐徳がもしやと思い、弓袋から首級を取り出すと、鍾繇が涙ながらにその首を抱きかかえた。


実は郭援は、鍾繇の甥だったのだ。血縁だからこそ、郭援の性格をよく理解し、今回の作戦を立てたのである。

泣いている鍾繇の姿にいたたまれなくなった龐徳が謝罪すると、

「郭援は我が甥ですが、漢に逆らった国賊です。貴方が気に病むことはございません」

と、気丈に鍾繇が答えた。

龐徳は、その鍾繇の振る舞いに拝礼し、敬意を払うのだった。



河東郡から馬超は龐徳、馬岱を従えて西涼に戻ると、父の馬騰に呼び出された。

「孟起よ。これから我が軍閥はお前に任せる」

「え?」


父馬騰も年を取ったとはいえ、引退には早すぎる。

その理由が思いつかなかった。

「張既殿の奨めでな。入朝しようと思う」


父の朝服姿など想像できないが、どうやら真剣な様子。

まさに寝耳に水の出来事だった。

一族を連れていくそうで、西涼に残るのは家族では馬超のみ。

それで、突然、従弟の馬岱と会うよう指示したのが合点いく。


「親父殿のこと、一度、決めたことは変わりますまい。西涼はお任せください」

「うむ。龐徳は置いていく。しっかりな」


こうして、西涼に若き軍閥の長が誕生した。

その激しく猛き心で、西涼の地をどのような色で染めるのか。

息子の成長を馬騰は非常に楽しみにするのだった。

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