第94話 戦後処理と汝南の戦い
官渡の戦いで、曹操軍が捕らえた捕虜の中に沮授の姿もあった。
曹操と沮授は旧知の間柄、その知略の深さに、昔から尊敬の念を抱いていた曹操は、丁重な扱いを指示する。
「別々の人生を歩み、お互い交流が途絶えてしまったが、今日、捕虜となって私の前に君が現れるとは思ってもいなかった」
「この度の敗戦では、袁紹殿を助けること叶わず、私の知略が尽き果ててしまった以上、捕虜とされるのは当然のこと」
そう自分を卑下するが、今回の官渡での結果はひとえに、袁紹の自尊心の高さと選択した戦略が、間違っていたせいだった。
誤った戦略を示した者と、それを採択した君主が悪いのであって、それを全て沮授のせいにするのは、あまりに酷というものである。
「本初が君の意見を採用していれば、こちらが危うかったのは、許攸殿の言で知っている。決して、君が悪かったわけではない。・・・どうだろう。今だ、動乱が続く世の中、君の力を貸してくれないか?」
沮授自身も聡明な君主の元で、自由に自分の手腕を発揮してみたいという願望がないではないが・・・
曹操の勧誘は、魅力的なれど、沮授にも守るべきものがあった。
「私の家族は冀州におります。私が裏切ったとなれば、どのような事態が待っているか、想像に難くありません。お慈悲があるならば、私をここで処断して下さい」
その意思は固そうだった。
曹操は、嘆息すると沮授の願いを受け入れることにする。
ただ、「もっと早く、君を味方にしていれば、この乱世を鎮めるのがどれほど楽だっただろうか」と、呟くのだった。
沮授は、曹操の指示によって処刑されるのである。
沮授と並ぶ、もう一人の天才軍師、田豊の処遇だが、袁紹が敗戦の帰国途上、まだ獄につながれたままだった。
獄にいる間、ずっと田豊の講釈を聞かされた獄吏は、すっかり心酔しており、袁紹の敗戦の報せを聞くに、これからはきっと田豊こそが重宝されるだろうと自分の予測を鉄格子越しに告げる。
しかし、田豊は首を横に振るのだった。
「袁紹殿が勝っていればお慈悲をいただけたかもしれないが、負けたとなると答えは一つしかない。その自尊心の高さから、儂を処断するだろうよ」
その理屈は獄吏には理解できなかったが、田豊の言うことが外れるわけがないと、知者の命がなくなることを嘆く。
果たして、田豊の予測が当たるのだろうか・・・
運命は、袁紹の心ひとつで決まる。
敗戦に茫然自失となりながら、鄴へと向かう袁紹たちの胸中には、田豊の
郭図の提案がことごとく外れたことを考えれば、尚更である。
「私は愚者を近づけ、賢者を遠ざけたのかもしれない」
その言葉は、沮授に対しても言えることだった。
伝え聞く情報では、沮授は忠節を守り、曹操に処断されたと聞く。
本当に惜しむべき人物を失った。
「田豊殿は、沮授殿とは違いますぞ」
「何が違う?」
打ちひしがれる袁紹に、田豊と沮授を同一視するべきでないと逢紀が唱える。
「田豊殿は、獄中でこの大敗を大笑いしたそうです。忠義の士、沮授殿とは、その態度が大きく違います」
この敗戦を機に、田豊が重用されることがあれば、仲の悪い自分が代わって獄につながれるかもしれない。
そんな心配から、田豊を貶める発言を逢紀はしたのだ。
敗戦から、急ぎ戻る途上の路、そんな噂話にしても行軍中に届くはずがないのだが、この
その場で、田豊を処刑する指示を鄴へ送るのだった。
袁紹自身が、田豊の言うことを聞かなかったに対して、後ろめたさがあり、会うことを避けようとした心理が働いたのかもしれないのだが・・・
結局、田豊の予測が当たることになった。
袁紹が鄴に到着する前に、憐れにも田豊は帰らぬ人となる。
官渡の敗戦により、黄河から北へ戻った袁紹は、まず魏郡
この黎陽県において、袁紹の健在を内外に知らしめると、官渡で逃げ延びた者たちも次第に集まってくる。
今回、曹操に敗れはしたものの、国内の兵力では、まだまだ袁紹の方が上であり、国土を失ったわけでもない。挽回の余地がいくらでもあった。
但し、領内における求心力は低下している。
その後、鄴に戻った袁紹は、直ちに離反者の平定に乗り出した。
さすがに河北の雄。
僅かひと月足らずで冀州内の不穏分子を鎮めると、三十万の軍勢を黄河の畔、
一方、その頃の劉備は関羽と無事に合流し、劉辟とともに汝南郡で暴れ回っていた。
新たに
曹操に反抗する汝南袁氏の後押しもあり、許都近くの
許都と目と鼻の先の濦強を取られると、曹操も安穏とはしていられない。
しかし、倉亭に袁紹軍が陣取っており、本格的な劉備討伐には向かえなかった。
袁紹が、徐州征伐のときと同じように、曹操の留守を見逃すとは思えないのだ。
そこで曹操は、曹仁に一万の兵を与え、これ以上、被害が拡大しないように周辺諸県を落ち着かせるよう指示する。
任地に向かう曹仁は、
「劉備は汝南袁氏の後押しを受けていますが、袁紹と袁術の連携を阻んだのは劉備です。袁氏の中にはわだかまりを持っている者もおりましょう。そこにつけ入る隙があると考えています」と告げて、曹操を喜ばせた。
曹仁は大見得を切るだけあって、その用兵巧みだった。劉備に油断があったわけではないが、見事に濦強が奪い返される。
この地での敗色が濃厚となり、曹仁の手勢が迫ったとき、劉辟はしんがりを申し出た。
何とかして劉備を逃がそうと考えたのである。
「北に袁紹はいるが、ここではあんたが我らの御旗だ。絶対、生き延びろよ」
そう言い残すと、劉辟は手勢を率いて、曹仁の軍に突っ込んでいく。
「おい、勝手なことして、死に急ぐんじゃねぇ」
劉備の声は、もう届かない。命を賭して作ってくれた機会を無駄にはできないと、何とか逃れて
「兄者、追撃の兵が来ています」
曹仁の用兵に惑わされて、濦強では苦杯をなめたが、迎撃態勢さえ整えば簡単に敗れる劉備たちではない。
「兄者、ここは私が劉辟殿の仇をとって参ります」
関羽は赤兎馬を飛ばし、追ってきた曹仁軍の武将を迎えた。
「俺の名は
「いかにも」
「曹操さまにかけていただいた恩を忘れた不義理者め。俺が成敗してくれる」
この件に関しては、今後、曹操軍の武将には一生言われ続けるだろう。
しかし、関羽は、言訳はしないと心に誓っている。
顔良を討ったことで、恩を返したつもりだが、理解されない人間には、どうあっても無理なことを承知しているからだ。
どんなに蔑まれようとも劉備の元にいてこその関羽雲長。
関羽が関羽らしく生きるのが、今いる場所なのだ。
「大言は吐かぬ方がいい。返り討ちとなる定めだ」
向かってくる蔡陽に対して、冷艶鋸を真上から振り落とす。
勢い余って、蔡陽が乗っていた馬の背中まで斬りつけてしまった。
圧倒的な関羽の膂力の前に、蔡陽は斬られたのか圧し潰されたのか分からないほど、形を変えて地に転がる。
追撃軍が撃退されると曹仁も慎重になった。
とりあえず、許都周辺諸県の奪還には成功したので、無理をする必要はないと考えたのだった。
このまま劉備と対峙して、時間稼ぎをするだけで十分。
その間に曹操が倉亭に駐屯する袁紹軍を討ち破るはずなのだ。
戦略的には、その後で、曹操自身が南下し、全軍をもって劉備を討てばすむ話。
劉備は劉備で、まったく逆のことを考えた。
袁紹が曹操を破った際、必ず曹仁は退くはずである。
そうなれば、一挙に許都まで攻め寄せて、あわよくば献帝陛下を救い出す。
それを袁紹軍よりも素早く行う。
簡雍が調べた情報を考えれば、献帝陛下を袁紹に渡すわけにはいかないのだ。
それぞれ、違った結果を想定するが、思惑は一致した曹仁と劉備。
汝南では、以降、大きな戦闘は行われず、北で行われる戦いに運命を委ねることにする。
果たして、運命の女神はどちらに微笑むのだろうか?
それは、誰にも分からなかった。
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