第12章 忠烈の士編
第67話 傾国の美女
元董卓配下として権力を握っていた李傕、郭汜、張済。
献帝から見放された後は、長安の維持もままならず、三者は別れて、それぞれの道を歩んだ。
その中で、郭汜は部下、
続いて、李傕は長安の北に位置する
そして、最後の一人、張済についてだが、司隷弘農郡に駐屯していた際、兵糧不足に陥ると南下して、荊州の劉表を頼ろうとする。
しかし、劉表が受け入れを拒否したため、強引に荊州南陽郡の
その際、不運にも流れ矢に当たって、命を落としてしまう。
元董卓の配下として権勢を誇った三人は、献帝奪還に失敗したときから、味噌が付けられ、後は坂道を転げ落ちるように、転落していくのだった。
これで董卓の直臣、残党とも呼ばれた者たちは、全て一掃され、一つの歴史に幕が降ろされる。
それまで荊州で略奪行為を繰り返していた張済が亡くなると、荊州の官吏は皆、祝辞を述べるが、なぜか劉表の心は晴れなかった。
董卓を含めた張済の過去の行為に目くじらを立てて、困窮して頼って来ただけの人間を拒絶したのである。
そのことから、争いは始まり、結果、張済が命を落としてしまった。
それならば、張済の死は喜ぶべきではないのでないかと自責の念にかられたのだ。
「今後、私は窮鳥が我が領地に逃げ込んできた際には、できる限りのことをしようと思う」
劉表は、そう宣言すると、張済の敗残兵を受け入れるのだった。
張済亡きあと甥である
張繡は、劉表から宛城を任され、ここに駐屯すると、間もなく賈詡が合流した。
曹操が賈詡を危険視しており、張済と引き離すために段煨に預けていたのだが、張済の弔問という名目で抜け出して来たのだった。
以降、宛城にとどまって張繡の配下となる。
それからというもの徐々に元董卓配下の将兵が宛城に集まるようになった。いつしか朝廷も、その兵力を見過ごせなくなる。
張繡からは、叛意などないという上奏が上がるが、朝廷は信用しなかった。
特に幼少のころから董卓の息がかかった者たちが常に周りにおり、その中で成長した献帝の心の中には影が落ちている。
董卓、または董卓に類する者たちへの忌避感があったのだ。
宛城に巣くう董卓の残党どもを排除する。珍しく献帝の願いで、曹操は軍を起こすことになった。
曹操軍は許都から、軍を発すると
官軍、迫るという報を聞いて、宛城内は騒然となった。
「なぜ、私の言葉を信用してもらえないのだ」
「私がこの地にいるせいかもしれません」
嘆く張繡に賈詡が謝罪した。
賈詡は、曹操から目をつけられている。
そんな自分が宛城に留まっているせいで、色眼鏡で見られている可能性を考えたのだ。
「いや、元を正せば、董卓から始まる献帝との因縁が関係していると、上奏のために許都に赴いた使者から聞いている」
張繡は、賈詡を責めることはしなかった。
「しかし、どうしたらいい?」
「ここは、降伏するしかありません」
「受け入れてくれるだろうか?」
叛意はないと広言しても、攻めてくるのだ。
そもそも生かす気が、最初からないとしか思えない。
「いえ、今回の戦、曹操に乗り気はない様子。無理に戦って、損害が出るのを嫌うでしょう」
「分かった。それでは、早速、降伏の使者をおくろう」
賈詡は、張繡のいう通り、使者の手配を行う。
ただ、「降伏した後、そのまま曹操につくもよし、油断を誘って、この地から追い払うもよし。どちらにでも対応できる策は、この脳漿の中にあります」と付け加えた。
張繡は、改めて、賈詡の智謀に感心すると、
「心に留めておく」と、答えるのだった。
曹操は、張繡の降伏を受け入れると、宛城に入る。
この地の統治に関しても、そのまま認めるという大盤振る舞いに、張繡はほっとするのだった。
良好な関係が気づけそうな予感がするが、その風向きが変わることがおきる。
きっかけとなったのは、曹操を歓待するために開いた宴会の席での出来事からだった。
「この城、総出で曹操閣下を歓待いたします」
張繡の宣言で始まった、宴会だが、お酒が進むと色んな雑談が生まれる。
その中で、曹操が何気なく、総出といったが、この席に参加している者たちで、城の者全員か?と張繡に問いかける。
「職務もあるため、全員がこの場にいるかと言えば、そうではありませんが、・・・そうですね、主だった者は全て、一度は、曹操閣下にご挨拶しているはずです」
「そうか。いや、他意はない」
「あっ」
すると、張繡は、何かを思い出したようだ。
しかし、何かに迷っている様子。
「何かあったのか?」
「いえ、・・・叔父、張済の後妻が、喪が明けておりませんので、この場には来ておりません」
「そうか。そういう事情であれば、仕方ないだろう」
曹操は、特段、気にすることはなかったのだが、張繡の方が過剰に意識してしまった。
少しでも曹操に気に入ってもらった方が、今後、何かといいと考える。
無理を言って、張済の後妻をこの場に呼ぶのだった。
ほどなくして、一人の女性が曹操の前で挨拶をする。
名前は、
曹操は、その女性を見て、思わず手にしていた杯を落としてしまった。
絶世の美女とは、彼女のことを言うのではないか・・・
曹操がふと我に返ると、自分の失態を恥に思う。
「こ、これは、失礼」
曹操の服が濡れてしまったところを、慌てて鄒氏が、自身の衣服の袖の部分で拭いた。
思わず見とれてしまいそうな鄒氏の顔が近くにあることと、自身の落ち度が相まって、曹操は動悸が収まらなくなる。
曹操としては、かなり珍しい。
「気を使われずとも、結構」
「あ、申し訳ございません。私の着ていた服なんかで・・・」
「いや、それより、あなたの服が汚れてしまったでしょう」
お互い、遠慮してぎこちない会話となっている。
その様子を賈詡が、遠くから目を細めながら眺めていた。
頭の中には、すでにいくつかの策略が浮かぶが、どのように用いるのが一番効果的か算段するのだった。
その後、宴会はつつがなく無事に終わる。
主催した張繡に賈詡が近づき、曹操の印象を尋ねた。
「いや、思っていたより友好的な関係が築けそうな気がする」
賈詡としては、この後、起こるであろう未来のことを考えると、そうはならないと思うが、わざわざ主の機嫌を悪くする必要はない。
「そうですね」と、同意するのだった。
その宴会から、三日後、張繡は血相を変えて、賈詡のもとにやって来た。
その様子に、思った通りだと内心、ほくそ笑む。
曹操は、まだ、宛城に滞在していたのだが、その曹操から鄒氏に対していくつもの贈り物が届けられているというのだ。
「あの宴会の席で、汚してしまった代わりの衣服ではありませんか?」
「いや、それだけではない。何やら、宝石の類も山のように贈っているらしい」
張繡としては、降伏はしたが一族の女性まで自由にしていいと許したわけではないと、憤慨する。
実は、道ならぬ恋と知りつつ張繡も鄒氏に横恋慕していたため、その感情はなおさらだった。
「では、どういたしますか?」
「どうするというのは?」
賈詡は、曹操に降伏を申し出るとき、どちらにでも対応できる策があると伝えていた。
そのことを思い出してほしいと告げる。
「しかし、本当に曹操を撃退できるのか?」
「当初と状況が変わりましたが・・・今はより、撃退できる可能性の方が高くなっております」
その言葉に張繡は喜ぶ。
但し、鄒氏に対して叔母以上の感情を抱いているのならば、それは断ってほしいと言われると、深く考え込んでしまった。
「分かった。私のこの気持ちは、そもそも成就するものではない」
「承知しました。それでは、この賈詡にお任せください」
賈詡は早速、策略のための準備を開始する。
宛城では平穏な暮らしができると思っていた賈詡だが、やはり策謀の中に身を置く方が性に合っているのだろう。
『あの曹操を撃退。いや、うまくいけば殺害まで持っていくことができる』
そう思うと、心躍る自分がいることを認める。
策士、賈詡の手腕が、間もなく宛城で輝きを放つのだった。
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