第65話 内通露見と呂布の弓
下邳城、注目を浴びた中、簡雍は小沛に入ると伝えた。
これでは、まるっきり呂布と劉備の立場が入れ替わることになる。
そんな屈辱的なことも受け入れるというのか?
呂布と陳宮の頭の中には疑問符が浮かぶ。
「国難にあたり、内輪の闘争を見抜けなかったのです。州牧の器ではございません。・・・痛恨の極みですが、致し方ないと考えております」
言っていることは、随分としおらしいが、額面通り受け取っていいのだろうか?
陳宮も小沛に入ったが、あの小城では大したこともできないはずだが・・・
あえて、そうする劉備陣営に不気味さを感じるのだった。
分からない。・・・分からないのであれば、ここはやはり処断すべきか。
呂布は、もう徐州牧になったつもりでいるので役に立たない。
『ここは、儂が引導を渡してやらねばなるまい』
陳宮が、劉備側の提案を断るよう、動こうとしたときだった。
「和睦に対して、一つ手土産がございます」
「手土産とは?」
簡雍が下邳城を訪れたときは手ぶらだった。
身体の確認も行ったので、小物、一つ持っていないと思われる。
「こちらに
「郝萌は、私だが、何か?」
「ああ、そうでした。先日もお会いしましたね」
張飛が倒れた際に、陳宮の命で斬りかかってきた武将だった。
その郝萌に何の用だろうか?
簡雍が陳宮に対して、意味深な視線を送る。
『何だと言うのだ?・・・いや、まさか、あれはもう半年前のことで、結局、流れた話・・・』
陳宮は心の中が騒いだ。
このまま簡雍に話を続けさせていいのか?無理に遮っては、不自然ではないか?
逡巡していると郝萌も何かに気づいた様子で、陳宮の方を見てくるのだった。
『・・・馬鹿者。こちらを見るではない』
陳宮には、急ぎの対応を迫られる。
もう、簡雍はあの情報を掴んでいるとみて間違いないからだ。
『よもや、半年も前にあった袁術からの内通の話を、今、こんなところで、ばらされてたまるか』
ちょうど呂布軍が小沛に駐屯し始めたころ、陳宮と郝萌のところに袁術から、調略の使者が来たことがあった。
その後、袁術は劉繇との争いに没入したため、うやむやになってしまったが、実はいいところまで、話は進みそうだったのだ。
今となっては、応じるわけもないが、呂布の耳に入るのはうまくない。たとえ、過去の話であったとしても。
陳宮は、そっと移動し、
郝萌は知らないだろうが、実はその話は曹性という将のところにも来ていたのだ。
曹性自身の身も危うくなるため、二人で相談し、尻尾切りを決めるのだった。
「郝萌殿、半年前のことですが・・・」
簡雍が、郝萌に話しかけ始めたので、もう時間はない。
「お待ちください。曹性殿、郝萌を捕らえよ」
陳宮は話が真相に行きつく前に、強引に郝萌を拘束することにした。
曹性は衛兵数名引き連れて、郝萌を縄にかける。
「な、何をする?」
「黙りなさい、この裏切り者めが」
「それは、お前もだろ」
咄嗟の言葉だが、その言い方では、郝萌は自分で裏切りを認めたことになる。
しまったと気づくが、後の祭りだった。
「ほう、俺さまを裏切っていたのか、郝萌」
呂布の恫喝に、郝萌はすくみ上る。
滅相もないといういいわけしか、言葉に出てこなかった。
「陳宮、お前もか?」
「いえ、私は他に裏切り者がいないか内偵をすすめていただけです」
そんな馬鹿なという郝萌の叫びを曹性が抑えつける。
陳宮は、これで押し通すと腹を決めたようだ。
今確実に分かっているのは、郝萌の裏切りだけで、陳宮については判断できない。
呂布は、切り捨てる人間とその後の影響について、そろばんを弾く。
考えた末、やはり、疑わしいというだけで陳宮を処分することはできなかった。
「分かった。それでは郝萌を連れ出せ」
呂布の指示は、それだけ。結局、陳宮は不問となる。
「簡雍殿、お手を煩わせました。実は儂も期を見計らっておってな」
「これは差し出がましいことをいたしました。一応、和睦の手土産になればと思いまして」
簡雍は、そう言うと陳宮に近づいて行った。
陳宮は顔を背けて視線を合わせようとしない。
「そう言うことですので、よろしくお願いいたします」
「分かった、今は和睦をのんでやる。・・・これ以上、騒ぎ立てるでないぞ」
「ええ、承知していますよ」
こうして、呂布は仲裁に入っただけで、劉備と争っているわけではないということに落ち着く。
呂布と劉備の和解は成立することになった。
簡雍の帰り際、このまま引き下がれぬと陳宮は虚勢を張る。
「今のうちだけじゃぞ」
「えっと、それって、もしかして・・・負け犬の?」
「くっ」
陳宮は顔を真っ赤にして歯噛みする。
その顔を見られただけで簡雍は、満足するのだった。
呂布との和睦が成立した劉備軍は、袁術軍を避けて徐州の州内を通り、小沛に向かった。
軍勢は二千ほどにまで減ったが、今の劉備に多くの兵を養う能力はないため、丁度いい。
小沛に着くと、早速、曹操に使者を送る準備をする。
この小城に身を置くことにしたのは、同盟国の曹操に近づくのが目的の一つだった。
徐州を奪い返すにしても独力では不可能と考えているため、連携のとりやすさを考えれば、小沛は最適なのだ。
どうせ、呂布との関係は長続きしない。早い段階で曹操に渡りをつけておく必要がある。
劉備はその役目を孫乾に任せると、簡雍には袁術の動きを探らせた。
呂布が早めに広陵郡に進出したために、袁術は思うように領地を切り取れなかったようだ。
どうやら、まだ、呂布との正面衝突は避けようとしているらしい。
ということは、袁術の兵力の矛先は、劉備に向かう可能性が高いことになる。
案の定、紀霊率いる三万の兵が小沛に迫って来るのだった。
ここで意外だったのは、劉備が救援の依頼をする前に呂布が小沛に騎馬隊、一万を引き連れてきたことだ。
呂布の方は、当面の敵を袁術と定めたのだろう。
劉備より袁術の方が強大であるため、協力してあたるという判断だと思われた。
苦渋の決断をした陳宮のことを思い浮かべると、簡雍は面白かった。
とはいや、実は面白がっていられる状況でもない。
呂布の救援があったにせよ、袁術軍の方が兵力としては上なのだ。
下手をすれば、小沛のような小城など、あっという間に制圧されてしまうかもしれない。
ところが、袁術軍の進軍は突然、止まる。
攻めてくる気配はなく、どうやら、呂布に使者を送っている様子。
再び、劉備をともに攻めようと持ちかけてきたらしいのだが、この申し出に呂布は激怒した。
「この前の約定、兵糧二十万石はどこにいった?この呂布奉先を、小間使いと勘違いしているのか!」
呂布の怒声に袁術の使者は縮み上がる。使者に手をかけようとするので、陳宮が慌てて止めるのだった。
陳宮としては、袁術とは正面からあたらず、何とか穏便に済ませられないかと考えていた。
袁術とも和議を結べることができれば最上である。
そこで、使者を返した後、呂布に相談を持ちかけた。
「我らは、まだ、徐州の南部を手に入れただけ。これから北部に目を向けるとき、後方に袁術がいては、思うように兵も進められません」
「うむ。確かにな。・・・だが、どうする?」
「ここは、袁術とも和睦をいたしましょう」
陳宮の説明は理解できるが、袁術との和睦はかなり難しいのではないかと呂布は考える。
どんな条件を出されるか分かったものではない。
「袁術のような男は、道理で説いては駄目です。ここは天意であることを伝えましょう」
「天意だと?」
「はい、呂布さまの技量があれば、こういった演出が可能かと」
陳宮が耳打ちすると、呂布は大層、喜んだ。
「それは面白い。早速、袁術と劉備に使者を送れ」
「仰せのままに」
小沛の外に陣営を置いた呂布。そこに袁術軍の紀霊を招く。
その陣幕の中に入ると、すでに席についている人物らを見て驚いた。
そこには、劉備をはじめ、関羽、張飛らが座っていたからだ。
「呂布殿、これは一体、どういうことだろうか?」
状況がつかめず、指定された席にもなかなかつこうとしない。
劉備も事前に知らされていなかったら、同様の反応を示しただろうと思われる。
対立している主要人物が、一堂にそろうなど通常はありえないからだ。
「まぁ、落ち着いて座ってくれ。正直、俺は争いを好まない。だから、みんなで手打ちの話し合いをしたい」
争いを好まないなど、よくその口が言えたものだと思うが、和睦は劉備としても望む展開のため、黙っている。
だが、主命を帯びてきている紀霊は、そうはいかない。
「そのような申し出、簡単に受けるわけにはいかない」
「しかし、それがもし天意だったとしたら、どうする?」
「天意?・・・だとしたら、それは人知の及ばぬもの。従うしかないかもしれないが・・・」
紀霊の返事に満足すると、呂布は弓を取り出した。
一体、どうするつもりなのか分からないが、陣幕から見える外の景色に呂布は指さす。
よく見ると、遠く離れた場所に戟が一本、地に突き立てられていた。
距離にして、百五十歩は離れている。
「あの戟が何か?」
「ここから、あの戟に矢を当てられると思われるか?」
紀霊は、当然、首を振る。
例え、古の弓の名手、
「では、俺が当てられれば、即ち天意と認めるな?」
呂布の弓の腕前は紀霊も承知していたが、さすがに無理だろと安請け合いをする。
弓を射る前に、酒を一杯、所望するので尚更だった。
ところが、呂布が放った矢は美しい放物線を描き、見事、戟の真ん中に命中する。
「よし、これこそ天の意思の賜物だ」
これには紀霊も一旦、兵を退くしかなかった。
本国の袁術に事のあらましを伝えると、天意という言葉が聞いたのか、あっさり和睦に応じる旨の連絡がくる。
呂布の超人的な弓の技量によって、和睦が成立すると、それぞれの兵が引き上げ、劉備は小沛に落ち着いた。
戦略的には理解しているが、数か月前までは、想像しなかった今の境遇。
周りからは、呂布の門番に成り下がったように見えるかもしれないが、将来を見据え、今は、ただ耐え忍ぶのだった。
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