第50話 濮陽攻防

兗州、東郡の濮陽県

定陶県ていとうけんで曹操に敗北し、濮陽に戻った呂布は、大いに荒れる。

部屋の中にある壺やら、机、椅子などを蹴とばす叩く、手のつけられないほどに暴れまくるのだった。


ほんの少し前までは、兗州の九割方を手中にしていたのだが、曹操の逆襲にあって、今は五分五分といったところ。

勢いでは、完全に曹操の方が上だった。


「呂布さま、落ち着いて下さい。我らは、まだ、敗れたわけではありません」

陳宮のたしなめられると、呂布はばつの悪そうな顔して、床の上に腰を下ろした。


濮陽では作戦を無視し、乗氏じょうしでは陳宮の情報を信じず、疑兵の計を見破れなかった。

その積み重ねが、今の現状を招いていることを自分でも理解しているため、陳宮の前では文句が言えないのだった。


「この後、どうすればいい?」

「まずは、各方面に展開している将たちを呼び戻しましょう」

「しかし、曹操は兗州内で自勢力を広げている。他の地をみすみす明渡すことにならないか?」


陳宮は、それでもかまわないと呂布に伝えた。

ここに至っては、曹操を討ち取ることに全力を尽くすべきで、州内の城主たちは曹操さえ討ってしまえば、再び、呂布になびいてくると説明する。


「分かった。それでは、任せる」

「はい。各将校が揃いましたら、曹操との一大決戦に望みます。それまで、自重の程、よろしくお願いいたします」


そう言うと、陳宮は呂布の前を辞す。

釘を刺された呂布は面白くなさそうに陳宮の後ろ姿を見送るのだった。



曹操軍が濮陽を取囲む。

連日、連夜、呂布に対する罵詈雑言を城外ではやし立てた。


幼稚な手だが、呂布のような武辺一辺倒で単純な男には一番、効く作戦である。

郭嘉の指示だが、妙を得ていた。


呂布は、城壁から曹操軍を怒りに満ちた目で睨みつけ、体を震わせる。

「まだ、奴らを野放しにしておくのか?」

「あと、一日、お待ちください。張遼将軍と臧覇将軍がお戻りになります」


陳宮は更なる自重を促す。しかし、呂布の我慢が限界に近いことを陳宮は見逃していた。

ここで気の利く参謀であれば、適度に毒抜きをさせるのだが、陳宮は、やや自分の考えを譲らずに相手に押し付けるきらいがある。


そして、その夜、呂布は陳宮に黙って夜襲をかけるのだった。

その報告を寝所で受けた、陳宮は慌てて飛び起きる。


「あの猪め。あと僅かの我慢ができんのか」

陳宮は、すぐに戦況の確認を行った。


大事に至らねばいいのだが・・・

軍師たる者、天に祈るなど情けないと思うが、今は本当に大きく不利に傾かないよう祈りたい気分だった。



「郭嘉殿の推察通り、呂布が夜襲をかけてきました」

「では、作戦通り、あたるように」

曹操は物見の報告を受け、指示を与えた。


それにしても陳宮には同情する。

呂布軍は敗戦続きで、戦力が整っていない。

当然、曹操はそこをつく作戦を立てたのが、敵の軍師もそれは承知のはず。


今は、ただ耐え忍ぶ指示を出しているはずだが、当の大将がこれでは作戦も指示もあったものではない。

皮肉にも開戦当初は、陳宮の指示が行き届いていないように曹操軍に見せかける作戦をとっていたようだが、今は本当に行き届いていないのが手に取るように分かる。


後は作戦通り、呂布を捕らえることができれば最上の結果だが、さて、どうなるか・・・

曹操は、郭嘉の報告を待つのだった。


呂布が攻めてきたところに、まず、新鋭の許褚が単騎であたった。

初めて見る武将だが、呂布も気配で只者ではないとわかり、油断することなく対峙する。


十合ほど、刃を合わせると強さは認めるものの、まだまだ、自分の域ではないことを悟った。次第に許褚を圧倒し始めるのだ。


「こんな強いやつ、初めてだぁ」

「許褚。助太刀するぞ」


そこに典韋が参戦する。

「おお、馬鹿力野郎か。この前の借りを返すぞ」


体が温まってきたのか、許褚と典韋、二人を相手にしても呂布にはまだまだ、余裕があった。

豪傑、二人を相手どり三十合ほど、打ち合うが呂布は傷一つ負うことがない。

逆に許褚と典韋の方が傷を負ってしまう。皮膚が破れ、血飛沫が舞うのだった。


「虎痴、悪来。待たせたな」

「呂布、今日が貴様の命日だ」

更に夏侯惇と夏侯淵が救援に向かった。


曹操軍が誇る豪傑四人に対して、呂布一人が闘うのだ。

普通に考えれば、これで終わるはずだが、呂布の強さはやはり異常だった。


さすがに余裕はなくなってきているものの、致命傷はおろか傷を受けそうな素振りすら見せない。

それどころか、夏侯惇、夏侯淵の方が軽い切傷を受けるのだった。


「ちっ、やはり作戦通りにしないといかんか」

夏侯惇は悔しがりながら、李典と楽進を迎え入れた。

郭嘉の作戦は、六人がかりで呂布を捕らえるというもの。

夏侯惇は、呂布一人にそこまでと反発したのだが、郭嘉の読みの方が正しかったようだ。


「なっ、まだ増えるのか。俺一人に大業なことよ」

「ほざけ、余裕がなくなっているぞ」


夏侯惇の指摘通り、ついに方天画戟でさばききれず、呂布の肩から鮮血が飛ぶ。

薄皮一枚、切った程度だが、ついに呂布が傷を負ったのだ。


「くそ、勝ったと思うなよ」

たまらず呂布は方天画戟の一振りで、囲みの一角を崩すと、その隙間から赤兎馬を全力で走らせる。


「あの馬に追いつくのは無理だ」

「諦めて、残った兵士の殲滅を目指そう」


六将は、すぐに頭を切り替えて指揮官の顔に戻る。

実は、呂布に逃げられることも想定済みで、郭嘉から、そうなった場合の次案も六人には示されていたのだ。

それぞれ自分の隊の指揮に戻るのだった。



呂布が濮陽の城門に戻るが、開門指示を出しても門が開けられることはなかった。

「おい、どうしたのだ」

いつもであれば、呂布の姿を見ただけで、すぐに門が開かれる。


夜の暗がりとはいえ、呂布ほどの体格に赤兎馬のような立派な馬に気づかないわけがない。

「開門しろ」

もう一度、呼びかけるが城兵からの返事はない。


すると城兵ではなく、呂布の配下ではない男が城郭に姿を現した。

「これは呂布将軍、どうされましたか?」

「田氏、どうされたではない、早く門を開けろ」

濮陽の富豪田氏は、呂布を見下ろすと首を大きく振った。


「また、負け帰ってきたのですね。将軍の魅力は、単純な強さ。・・・それに陰りが見えるとなると我々も考え直さなければなりません」

「何が言いたい」

「濮陽は、曹操殿につくことに致します」


その言葉に呂布は烈火のごとく怒りをあらわにする。

腰に備えてあった弓を構えて、田氏に照準を合わせた。

その様子に、田氏は慌てて身を隠す。


「将軍のご自慢の弓に狙われては、ひとたまりもありませんからな。」

「卑怯者。姿を見せろ」

「ご冗談を。・・・もう一つ、ご自慢の方天画戟で濮陽の門を斬り開けばよろしいでしょう」

田氏の高笑いに悔しさをにじませた。


そこに、

「やられました。田氏は城兵の多くを抱き込んでおります。もう濮陽に戻ることは叶わぬかと・・・」

やって来たのは陳宮だった。


「お前がいながら、これはどういうことだ」

「申し訳ございません。ただ、兵力が整うまでは、戦をお止めしていたはず・・・」

確かに陳宮の言を入れなかったのは呂布。その結果の責任についても呂布にある。


とはいえ、ここで言い争っても仕方がない。曹操軍がやってくれば、逃げ道がなくなるのだ。

「これから、どうする?」

「もはや、兗州を捨てて、どこかに落ち延びるしかございますまい」

「くそっ」


兗州の完全掌握まで、あと一歩というところまで行ったというのに・・

これまでの苦労が泡と消えた。


「では、どこに行く?」

苛立ちから、語気は荒いものになる。行く当てが思いつかないことが、一層、呂布を苛立たせた。

張超のところで世話になる前は、袁術、袁紹の元を転々としてきた。


もう頼れそうな諸侯がいないのだ。

すると、思案に暮れた陳宮は、

「徐州の劉備を頼りましょう」

「それは無理だ」


呂布は即座に否定する。劉備の義弟、張飛の父親をこの手にかけているのだ。

劉備はともかく、張飛が受け入れに承諾するわけがない。


「その因縁は知っております。・・・が、徐州はいつ曹操に狙われてもおかしくありません」

「俺の武を高く売るということか?」


その通りと陳宮は頷く。もちろん、それでも受け入れてくれない可能性はある。

しかし、陳宮には勝算があった。


劉備は民には甘い男。

曹操の大量虐殺から守るためと考えれば、感情を押し殺してでも呂布を受け入れるはずだった。


「あそこには関羽、張飛といった豪傑がいる。値踏みされる可能性があるぞ」

「呂布さま、かの二人は確かに類まれなる豪傑ですが、あなたの方が断然、上です。」


曹操との敗戦に、珍しく弱気なところを見せるが、こんなところで折れてもらっては困る。

陳宮は呂布を何とか奮い立たせる言葉をかけた。


「天下の飛将軍の力、さび付いたとは言わせませぬぞ」

「もちろん、さび付いてはいない。・・・それでは、あわよくば徐州を乗っ取ってやろう」

「その意気でございます」


くしくも陳宮も同じことを考えていた。

呂布と陳宮は、僅かとなった手勢を率いて、徐州へと落ち延びるのだった。

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