第41話 義務と責任

彭城県から十里ほど離れた野営地。

曹操軍は、ここで待機していた。


その陣幕の中、曹操、郭嘉、荀攸が顔を突き合わせている。

間者の報告で、援軍の将の正体が分かり、その対策を立てているのだ。

正直言って、関羽、張飛と並んでも遜色がない武将の登場など、誤算以外の何ものでもない。


「趙雲子龍か・・・厄介な奴が現れたな」

「はい。典韋の傷は思ったほど深くありませんが、この戦いでの復帰は難しそうです」


先ほどから、曹操と荀攸だけが会話をし、郭嘉はずっと黙りっぱなしだ。

一人、想定外の出来事を、どうやって修正すればいいか考えている。


短期決戦に持ち込むために、かなり無茶をしてきていた。

徐州の民の虐殺などは、その最たるもので、陶謙をこの地に引っ張り出すために実施した作戦だったのだ。

ここまでは予定通りだったのだが・・・


まず、絶対にしてはいけないのが、陶謙をこの彭城県から逃がすことだ。

徐州の奥まで行かれては、そこに行きつくまでに兵糧が尽きてしまう。


そして、次に、我々の兵糧が少ないことも敵に悟られてはいけない。

覚悟を決めて籠城されては、こちらが先に根を上げてしまう可能性がある。


本来は陶謙の心を折って、自ら首を差出すという展開に持っていきたかったのだが、劉備の登場に士気が上がっている。

もはや無理だろう。惜しいところまで行ったはずだが・・・

郭嘉の中で、修正案がなかなか出てこなかった。


「殿、明日、私と劉備とで、対決をさせてもらえませんか?」

「対決とは?」


「矛ではなく、あくまでも言葉でです。考えたのですが、どうにも修正案が浮かびません。・・・ただ、鍵となるのは劉備のような気がします。かの男を論破できれば、もしや活路が見いだせるかもしれません」


戦う前は小石と馬鹿にしていたが、ようやく劉備を認めたようだ。

相手を軽く見ていた郭嘉を危うく感じたが、今の状態であれば問題ないだろう。

曹操は、分かったと、許可を出すのであった。



翌日、曹操軍の囲みの中から、一人の男が馬に乗って進み出てきた。

見たところ、武将というよりは文官である。

曹操軍の軍師ではないかと思われた。


「私は軍師祭酒の郭嘉奉考かくかほうこうと申す。劉備殿に話がある」

「ここでか?それとも馬上か?」

用事があるのが自分と分かり、劉備は城郭から声をかけた。


「話せればいい。どちらでも構いませぬ」

「分かった。待っていろ」

すると、ほどなくして城門が開き、劉備が単騎で出てきた。

いつも護衛として付き従う、関羽や張飛も伴っていない。


『このくそ度胸は、どこから出てくるんだ?』


郭嘉も軍の囲みから飛び出しているとはいえ、すぐ後ろには数万の軍勢が控えている。

その前に単騎で身をさらすなど、自分で招いておきなから、劉備の行動に呆れてしまうのだった。


郭嘉は近づく劉備を観察する。二人の距離が残り一歩というところで劉備が止まった。

「待たせたかい?郭嘉殿」

「いや、わざわざご足労いただくとは、恐縮の至りです」

「それで、話ってのは、何だい?」


柔和な顔つきで声にも緊張感が感じられない。

この男の胆力は本物か・・・


「我が殿に聞いたところ、劉備殿とは親しい間柄だったと聞きます。どうして、敵に回ったのでしょうか?」

「親しい?・・・そうか、死地は確かに何度もともにした。しかし、同じ道を歩むのを誓い合ったわけじゃない。・・・それでいいよな?」


最後は、遠くにいる曹操に投げかけた言葉だったが、今回は郭嘉に任すということになっているので、曹操は返事をしなかった。

「死地をともにされたのであれば、殿の力は理解できましょう。勝てると本気でお思いか?」


もし劉備が勝てるというのであれば、戦力分析能力が足りないと責めることができる。勝てないと言えば、陶謙軍の士気が下がるだろう。

郭嘉は劉備の次の言葉を待った。


「うーん。勝てる、勝てないねぇ・・・俺が援軍の使者、麋竺殿に約束したのは、『何とかする』だよ。勝敗を約束したわけじゃない」

『何とかする』だと?・・・

そんなあいまいな言葉を信じて、徐州の臣たちは、あれほどに士気をあげているのか?


郭嘉の理解の外にある。

また、予想外の回答に用意していた言葉が使えなくなってしまった。

「何とかするとは、どのようにして?」

「それは、これから考えるさ。そうだ、あんた頭よさそうだから、一緒に考えようぜ」

「く・・・・」


郭嘉が劉備に振り回され出した。

それが自分でも分かるだけに、流れを変えようと必死になる。

「今回は我が殿の父君が殺されたのだ。その無念たるや想像するに胸が張り裂ける。非は陶謙にある」

「そいつは確かに悲しいよね・・・・でも、それは徐州の民だって同じだぜ」

咄嗟だったのだが、郭嘉は口が滑ったと後悔した。


「今回、悪いのは張闓ってやつだ。そいつを見つけ出して、報いを与えたいっていうなら、曹操殿のために俺は手伝った」

でも、今回はやり方が違うと劉備は言う。


「張闓は陶謙の部下。陶謙には部下を管理する責任がある。その責任を放棄されるおつもりか?」

「そいつは一理ある。・・・でも、それは徐州の民に手をかける前の話だ」


いつの間にか、劉備は一歩の距離も詰めており、横並びにあぶみとあぶみがぶつかるほどに近づいて来た。

「州の長官は、州の民を守る義務がある。部下への責任より、その義務の方が大きい。だから、陶謙殿は今、あんたらと戦っているんだよ」

「しかし・・・」


郭嘉が言葉に詰まる。その時、

「もういい」と、曹操が割って入って来た。

久しぶりの曹操との対面。

こんな間近で会うのは廃墟の洛陽以来だ。


「張闓を捜すか・・・今からでも、その提案に乗りたいが・・・」

「ああ、残念だが、少し遅いな」

短い言葉を交わし、お互いに分かれる。


劉備は城に戻る途中に振り返ると、

「郭嘉殿、頭で考えてない、後半の言葉の方が胸に来たぜ。あれこそが君臣としての鑑だ」

「なっ・・・」

論理的思考を第一とする郭嘉としては、本来、嬉しくない言葉のはずだが・・・

なぜか顔が赤くなるほど照れくさい言葉だった。


「それから、・・・今回の戦に関して言えば、このままだと俺たちは勝てるらしいぜ」

その言葉には曹操も振り返った。

・・・兵糧の件が露見しているのか?


「うちの身内が言ってたって言えば、分かってもらえると思うけど」

やはりか・・・

「だが、戦はやってみないとわからないものだぞ」

「もちろん、そうさ。・・・お手柔らかにな」

そう言うと、劉備は城の中に戻って行った。


曹操は陣幕に戻るとすぐに緊急に軍議を開く。

劉備の口ぶりから、兵糧がごく僅かなことは簡雍に見破られているのだろう。


兵糧が本当になくなってからの退却では、下手をすると全滅の危険もある。

退却するならば、今しかない。

今なら、まともに動けるのは援軍の劉備だけ。

総勢、三千から四千では深追いもしてこないだろう。


「残念だか、一旦、戻るぞ」

「そうですね」

曹操の決断に郭嘉も納得した。

郭嘉は曹操に付き従って、指示の伝達を行う。


それにしても、あれが劉備玄徳か・・・

ん?

郭嘉は、ふと地面に小さな石があることに気づくが、よく見るとそれは地表から石の頭の一部が出ているだけ。

掘ってみると、大きな石が出てきた。

今回のことを含め、少し考えさせられる。


しかし、

「戻ったら、文若殿に感謝しますね」

「なぜだ?」

「殿に引き合わせてくれました」

もし、先に劉備に会っていたら、ひょっとして・・・


それを聞いた曹操は大笑いする。

「あの男は稀代の人たらしだという。戦には負けたが、劉備には勝ったか」

「戦の負けも、一旦って言いましたよね。聞き逃していませんよ」

「ああ、一旦だ」

そう言って、曹操は全軍に退却の指示を出すのだった。



「兵糧の件、ばらしたんですね」

「ああ。そうすれば無駄な血も流れずに終わるだろう」

・・・今回はそうですね。


その言葉を簡雍は飲み込んだ。

長期戦に持ち込んで勝ったとしても、曹操を討ち取ることは難しかっただろう。

であれば、損害が少ない方がいいに決まっている。

例え、曹操の徐州侵攻が再び起こると予想したとしても。


「そう言えば、私がいない間に陶謙殿の歓待を受けたそうじゃないですか?」

「ああ、酒も料理も最高だったぜ」

「人が曹操軍の内情を調べている間に・・・待ってやろうとは思わなかったんですね」

悪い悪いと劉備は謝った。

まぁ、簡雍も本気で怒っているわけではないのだが・・・


今はつかの間の休息に羽を休めるとき。

曹操がこれで諦めないことを劉備も直感で分かっていた。


休んだあと、すぐに準備にとりかからなければならない。

曹操の第二次徐州侵攻に備えて。


劉備は次の戦こそ、本気の曹操孟徳と対峙することになる。

そう覚悟を決めるのだった。

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