第3話 海賊狩り
その船には一人の青年が乗っている。
顔、首、肩、腰、どれをとっても非常に大きい偉丈夫で、太い眉毛が一層、
名は
かの有名な孫子の著者として知られる
その孫堅が
それは地元の漁師はもちろんのこと、官兵ですら近付こうとしない海賊船だった。
「見張りもいないとは、油断しまくりだな」
そう呟くと孫堅はそのまま海賊船に近づき、先に
勢いがついたところで船へと投げつけ、へりに引っかける。
縄を扱いて十分な強度を確認すると、孫堅は器用に縄を伝って登って行った。
海賊船から離れた草むらがかすかに動く。
その陰には、孫堅の様子を覗う者たちがいた。
彼らは孫堅が頼りとする部下たちだった。
今回、銭唐を根城としている海賊を退治するため、隣の
「それにしても、隣の県の賊を我らが討つ必要があるのか?」
「いつもの隊長の思いつきらしいぞ」
韓当と祖茂はそう話すが、表情に不満の色はなく、むしろ無茶に付き合わされるのを楽しみにしているようでもある。
「おい、喋っていると合図を見失うぞ」
二人の間に黄蓋が割って入り、注意を海賊船に向けるよう促した。
「面目ない」
二人は、素直に反省し、今度は目を皿のようにして海賊船の様子を覗う。
そのやりとりに程普が、やれやれと苦笑いをする。
この四人は、生まれた土地は違うが何の縁か孫堅の地元で悪さをしていた無頼漢たち。
いわゆるゴロツキ仲間だった。
孫堅との出会いは、当時、県の治安を担当する役人だった孫堅に一人残らず叩きのめされたことによる。
その後、全員がその強さにほれ込み、孫堅の配下になることを懇願。
その流れで、本日に至る。
程普が黄蓋の隣に移動すると、
「様子はどうだ」
「さすがにもう気付かれたようだが。まだ、合図はない」との会話を交わした。
四人の中で一番、目がいいのが黄蓋である。
まだ、辺りはうす暗いとはいえ、見落とすことはない。
「そうか」
孫堅が海賊船に潜入してから、少々時間が経ちすぎている。
それが四人の中で不安として膨らみつつあった。
「いい具合に集まってきたな」
孫堅は船の甲板の上で、腕組みしながら集まる海賊たちを見渡した。
海賊たちに取り囲まれているとは思えないほどの余裕の表情である。
足元には、二、三人の海賊たちが転がっていた。
侵入に気付いた者たちが、孫堅に一斉に飛びかかったが、あっさり返り討ちされた結果である。
相手は一人だが、思いのほか手練れであると気づき、海賊たちの中に警戒心が強まる。
時間が経つにつれ、海賊たちの囲みは厚くなるが、一定の距離を保ったまま、お互いに牽制する状況に陥ったのであった。
「おい。てめぇ、何者だ?」
海賊の中から、一際大きく貫禄のある男が、怒鳴り声をあげた。
「ただの正義の味方だ。・・・って恥ずかしいじゃねぇか」
「ふ、ふざけるな」
甲板の上、二十人はいる海賊たちの前で、軽く赤面する男に神経を逆なでされる。
「あんたがここの頭かい?」
「そうだ」
怒鳴り声をあげた男が、そう答える。
「え、何だって?」
「だから、俺がこいつらの頭だ」
「ん、何?」
孫堅との問答に、苛立った海賊の頭は囲み中から乗り出して、
「俺が、か・・・」
言葉が途中で途切れてしまった。
囲みから出た瞬間に孫堅に斬られたからだ。
「聞こえているよ。うるせぇな」
海賊たちにとって、あまりにも理不尽な言葉だ。
しかし、あっという間のできごとに唖然とするだけで、理解が追いついていかない。
「か、頭!」
動揺する海賊たちに孫堅は追い討ちをかけた。
「てめぇら、一気に滅ぼすからな」
そう言うと孫堅は、動かなくなった海賊の頭を軽く担ぎ上げ、海面へと投げつける。
ドボンという大きな音と水しぶきが立ち上がった。
「隊長からの合図だ」
待ちに待った合図に四人は、
そして、時をわずかにずらして、海賊船に近づく船影が見えた。
「官兵だ。官兵が来た」
急な展開に海賊たちは、冷静な判断ができなくなる。
孫堅にも追い立てられ、完全に浮き足立つと、残った海賊たちは次々と海の中に飛び込んで逃げ出した。
船から海賊が誰一人としていなくなると、孫堅は近づく船に向かって手を振る。
船先に立っているのは、弟の
「よく見りゃ、ただの漁船だって気づくのによ」
海賊たちは孫堅の気迫に飲まれ、近づく船を大きく見間違えてしまったようだ。
海辺に目をやると、逃げ出した海賊たちが四人の手にかかり、次々と捕縛されている。
「これで、ひとますは落ち着くか」
孫堅が陸に戻ったところ、ほどなくして孫静もやってきた。
「兄者、うまくいきましたね」
「ああ」
孫静の肩をたたいて、労をねぎらうと、船を貸してくれた漁師のもとへ向かう。
「協力、ありがとうな」
「いえ、こちらこそ、海賊を退治していただいてありがとうございます」
海賊のせいでしばらく漁に出られなかった様子。
食べるものにも困っていたのか、漁師は頬が少しこけ疲れの表情も見えた。
「この船の宝、食糧もある。漁村の連中で分けてくれ」
「え、・・そんな」
「上の指示で動いたわけじゃない。今回は細かい報告もいらねぇから、あんたらの好きにしていい」
「あ、ありがとうございます」
漁師は何度もお辞儀をして、礼をのべる。
「もともと俺の物じゃない。気にしないでくれ。」
そう言うと、孫静をともなって漁師の前から立ち去るのであった。
後をついていく、孫静は、
『兄者、照れているな』
孫堅の陰に隠れて、思わずにやけるのだった。
「さて、富春に戻るか」
「そうですね」
二人が歩いていると、程普が慌ててやってきた。
「急報です。呉郡の隣、
「世も末だな。こういった馬鹿が後を絶たない」
孫堅は深いため息を漏らすと、天を見上げる。
「で、会稽のどこだ?」
「
孫堅は頭の中で地図を思い浮かべる。
「富春に戻るより、ここから向かった方が早いな」
「え、我らだけで?」
孫堅の呟きに、孫静が反応した。
「俺たちはな。徳望、公覆とともに富春に戻って、兵馬を整えてから追いかけ来てくれ」
程普と黄蓋が馬に飛び乗り、急ぎ駆け出す。
「義公、大栄。俺とともに句章県に向かうぞ」
「はっ」
三人は馬上の人となり、自身の武具の確認をする。
「兄者、私は?」
命を受けなかった孫静が尋ねた。
すると、孫堅は少し意地悪な顔をする。
「捕まえた海賊の処置が必要だろ?お前に任せる」
「はい。分かりました」
素直に引き受けた孫静だったが、ふと気になることがあった。
「そう言えば、ここの役人に話は?」
「通してない。だから、お前に任せるんだよ」
厄介ごとを押し付けられた。
まぁ、今回に限ったことではないので、孫静は怒る気もしない。
諦め気味の孫静は、
「分かりました。私で処理しておきます」
「すまん、頼んだぞ」
少しは悪いと思っているのか、孫静に手を合わせて、謝意を伝える。
「いつものことですから」
「はは。すまん」
もう一度、謝った後、孫堅は馬を駆け出す。
その背中に向かって、孫静が声をかけた。
「兄者、相手は大軍です。今回のように単独で乗り込むとかやめて下さいよ」
「ああ、気を付ける。・・・でも結構好きなんだよ、単騎駆けが」
豪快に笑う孫堅に呆れる孫静だが、こればかりは兄の性分。
仕方がないと諦めるのだった。
捕まえた海賊たちから不満の声が出始める。
慌てて海賊たちの方へ向かう孫静だが、ふと立ち止まり、句章県の方角を見上げた。
「兄者、ご武運を」
しばらく、空の一点を見つめていた孫静だが、
「あ、いけない」
朝日が登り、辺りは完全に明るくなっている。
まぶしさを感じながら、自身の職務に戻るのであった。
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