矛先を折る!【完結】

おーぷにんぐ☆あうと

第1章 桃園結義編

第1話 放逐

「今より、お前を耿家こうけから追放する。二度と耿姓を名乗るな!」

少年は、たった今、父親から受けた言葉を深くかみしめる。

「承知いたしました」


上座に座る父に一礼したのち、その場を立ち去るのであった。

その家の家宰と思しき初老の男が、慌てて少年を追う。

少年の父親は、深い嘆息とともに天井を見上げた。


縦横家じゅうおうかなど・・・この耿家からは出すまいぞ」



自室に戻り旅支度をする少年の名は、耿雍こうよう

いや、今は姓がなくなったので、ただの雍である。


幼いころより、厳しい父親の指導の下、軍略を学んでいたが、人を殺める学問よりも人を活かすことに自身の能力を役立てたいと考えるようになった。

そのためには話術、交渉によって、多くの人の命を危険から回避する。


その意向を伝え、たとえとして縦横家という表現を用いたが、それが裏目に出たようだ。

平和主義と言えば、考え方として墨家ぼっかに近いかもしれないが、そこまで狂信的ではない。


縦横家に主義思想はなく、自身の地位と栄誉を得るために権力者の考え方に寄り添った主張をする。そこに忌み嫌われる理由がある。


しかし、裏を返せば自由な発想をもって、物事にあたるという面がある。

そういった柔軟な考え方こそが、自分に合っていると感じるのだ。



「ここから、新しい生活が始まるのか」

実家と比べるのもおこがましいあばら家であるが、雍には新鮮に感じる。


「何もついてこなくもよかったのに」

「そういう訳にもいきません」


そう言ったのは、耿家の家宰を務めていた蘇双そそうであった。

実家は馬商人をしているとのことだが、雍が生まれる前から耿家に仕えている。


「ここは楼桑村ろうそうそんだったね」

「何もないところですが、村の代表の方はいい人のように思います」


楼桑村は幽州にあるが、生家の冀州とは比較的に近い位置にある。

移動は、それなりに大変だった。

雍にとっては初めての長旅だったが、無事に終えることができた。


「そういえば、この村に高名な盧植ろしょく先生の門下生がいるって話だけど、分かるかい?」

「はて、私もついたばかり。詳しい情報はわかりません」


これより、確認してくると告げて、蘇双は家を出て行った。

「すまない」

雍は、その後ろ姿に言葉を送った。


さて、いつまでもただの雍では、しまらない。

そういえば、昨日会った、村長は耿家のことを何度も簡家かんけと言い間違えていた。


面倒くさいので、これからは簡雍かんようと名のることにするか。

蘇双が戻ったら、そのことを相談しよう。


雍、改めて簡雍は、そう思いながら、自身も村の中を探索するために家を出るのであった。



「おい、そこの兄ちゃん。新顔かい?」

そう呼び止めたのは、簡雍と同年齢と思しきむしろ売りの少年だった。


「長旅の後だろ」

その少年は、簡雍の足元を見てそう尋ねたようだ。


「ほら、この草鞋わらじはどうだい?」

確かに簡雍の靴は旅塵を払ってあるものの、多少のくたびれ感は否めない。

しかし、少年が手にする草鞋よりは大分ましなような気がするが・・・


「こっちの方が、履き心地は上だぜ」

「そんな訳は・・・」

「作った俺が言うんだから、間違いない」


何の根拠にもならないが、少年は満面の笑みを浮かべている。

どうやら自意識過剰な人物のようだ。

簡雍は、あまり関わり合いにならないようしようと、その場を離れようとする。


「えっ」

目の前に飛んできた物を反射的に掴むと、それは少年が持っていた草履と気づいた。


「この村に越してきたんだろ。お祝いにやるよ」

下手な押し問答は、時間の無駄と悟った簡雍は、素直に草履をいただくことにする。

簡雍の背中からは、他の客を呼び込む少年の威勢のいい声が聞こえた。


「変な奴だなぁ」



家に戻ると蘇双が、簡雍の帰りを待っていた。


「件の門下生について、分かりました」

「へぇー。早いね」


狭い村のこと、情報の通りもいいのだろう。

夕刻には家に戻っているとのことなので、時間を見計らって会ってみることにした。


陽射しが傾き、そろそろ頃合いと感じた簡雍は、蘇双を伴って出かけることにする。

盧植は儒学を深くたしなみ清廉潔白で知られる人物。


そんな人物に師事していた者が、こんな片田舎にいるとあっては、一度、会ってみたいと思うもの。

自然とその足は早まるのであった。


「母上、ただいま戻りました」

目的の家の近くで、凛と通る声が聞こえた。


ちょうどよく、戻ったばかりなのかもしれない。

心を弾ませ、あばら家へと足を踏み込んだ。


「突然の訪問、申し訳ありません。私、簡雍憲和かんようけんかと言います」

ほどなくして、簡雍の前の戸が開かれた。

そして、驚きの声を上げる。


「え、君は!」

戸を開けて出てきたのは、先ほど、出会った莚売りの少年だった。


「お、数刻ぶり」

少年も驚いている様子だったが、すぐに屈託のない笑顔を見せるのであった。



家が手狭なので、ゆっくりと話すこともできないと簡雍たちは裏庭に案内される。

「えっと、簡雍さんだっけ?まさか、草鞋のお礼ってわけじゃないよな?」

そう言われて、もらった草鞋が、まだ懐の中にあるのを思い出す。


簡雍は首を振って、

「いや、あなたが盧植先生の門下生と聞いたので、少しお話をしてみたいと。・・・名前を伺っても?」

「ああ、俺の名前は劉備玄徳りゅうびげんとくだよ」

劉備と名乗った少年は、続けてばつが悪そうな顔をした。


「悪いけど、俺は学問に関しちゃ、からっきしだぜ」

けして頭が悪そうには見えないが、学問への興味は薄いのだろう。

そんな印象を簡雍は受ける。


何とも答えようがないので、「そうですか」とだけ、簡雍は告げる。

「期待外れで悪いね。・・・そうだ、代わりと言っちゃぁだけど、いいものを見せてやるよ」

劉備はそう言うと、裏庭に生える古木を指さした。


「あれ、何に見える?」

「桑?桑の木かな」

「いや、あれは天子が乗る車さ」

「は?」


簡雍が明らかに怪訝な表情をみせるが、劉備は一顧だにしない。

「あんな天蓋がついた車に、いつか乗るんだよ」

なるほど。頭が悪そうに見えないという印象は間違いだったかもしれない。

初対面の人間に、一体、何の話をしているのだろうか。


「それがいいものですか?」

「ああ。俺にはそういう明確な目標がある。どういう理由でこんな片田舎に来たのかは詮索しないけど、お前にも何かあるんだろ?」


この言葉に、簡雍は一瞬、黙り込んだ。

簡雍の心の中の機微を感じ取って、励まそうとしている?

赤の他人も同然の自分を?

簡雍は、今まで感じ取ったことのない感情にさいなまれた。


「何かを成し遂げるためには、こういう目に見えるものがある方が分かりやすい」


確かにそうかもしれないが、成すことが天子になる?

覚悟を持って家を出たが、自分は具体的に何をしたいのだろうか?

天子になるなど、馬鹿げた大望はないけれど・・・


「まずは心機一転。古いものを投げ捨てちまえば、何か変わるんじゃねぇの」

「姓を捨ててきました。簡は私が自身でつけた姓です」

「そいつは、相当な覚悟だね」


劉備は簡雍に敬意を払う仕草をすると、その直後にニヤリと微笑む。

「それじゃ、特別に俺が天子になったあかつきには、一緒に車に乗せてやるよ」


簡雍は、思わず吹き出してしまう。

「君が天子になったらだね。・・それじゃあ、手伝わないわけにはいかないな」

何気なく言った言葉だが、それも面白いかもしれない。


「ただし、私は命のやり取りは御免です。戦地以外の場所で働きますよ」

「いいね。そいつでいこう。まぁ、しばらく先の話だがな」


夕陽が照らしたせいか、劉備が輝いて見えた。

日が落ちるため、これから肌寒くなっていくはずだが、簡雍は熱いものが込み上げてくるのを感じる。

そして、懐から草鞋を取り出して履き替えた。


「古いものを捨てる。わかりやすいでしょ」

「ああ。・・・言った通り履き心地は最高だろ」


『この人、稀代の人たらしだ。・・・でも』

簡雍は劉備のことを心の中で、そう評する。

・・・しかし、自然と笑って頷く自分を認めたのであった。

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