第448話・お話を始めましょう

「なまくりいむ、楽しみにしてるからね?」


 フォンセが微笑んで、ふいっと影の中に姿を消した。


 テイヒゥルがやっと緊張を解いて「伏せ」の体勢に戻る。さっきまで痛々しい程強張っていた筋肉が、ゆっくりと柔らかくなっていく。


「よーしよし。大丈夫大丈夫。あのひと精霊は大丈夫だから。大丈夫って言っても信じられないだろうけど、多分、ぼくが思うよりあのひとはこっちを心配してくれているから」


 大丈夫大丈夫、と背中をとんとんしてやる。しばらくぱたぱたと神経質そうに尾を振っていたテイヒゥルだが、ぼくが落ち着いているのに少しは安心してくれたようだ。


 こんこんこん。


 窓が叩かれているのに気付いて、慌てて窓を開けてやる。入ってきたエキャルはぼくの頭の上に留まると心配そうにぼくの顔を上から覗き込む。


「大丈夫だよ。……あ、そうだ」


 ぼくはペンとインクを取り出して二通手紙を書いた。


「エキャル、お願いね」


 二通の手紙を、それぞれ指定した人間以外に開けられない封をして、エキャルの封筒に入れる。


「スヴァーラと、聖職者三人の内誰か。……お願いだから、アナイナのいる目の前で渡したりなんかしないように。アナイナに気付かれないように。頼めるね?」


 エキャルは黒い瞳を真剣に瞬かせて、頷き、バサッと外へ飛び出した。


「テイヒゥルはティーアを呼びに行ってもらえるかな。多分気付いてるとは思うけど、一応。頼める?」


 テイヒゥルは心配そうにこっちを見ている。


「大丈夫。フォンセは多分本音で語ってくれているし嘘もついてない。ぼくの思い込みかもだけどね」


 テイヒゥルはぼくの足に軽く頭でごっちんすると、するりとドアを開けて出て行った。



 ぼくは息を吐きだして、町長室の周りに結界を張った。


 人間であり精霊神の分霊でもあると言うなかなかに複雑な立場のぼく、でもそのことに気付いてから、訓練して、少しは精霊神の能力を使えるようになった。結界もその一つ。特に町長室の周りには、張り慣れたもので、特定人物以外は精霊小神ですら入り込めない強度まで上げることが出来る。ま、さすがに精霊神までは無理だけど。


 それを張って、紅茶を淹れていると、スタスタスタと歩いてくる気配。


 この時間で、ここに来れるのはただ一人。


 とんとんとん、とノックの音がした。


「どうぞ」


 ドアの隙間から音もなくするりとテイヒゥルが入ってきて、その後ろから案の定ティーアが入ってきた。


「お茶……の前にこれ要る?」


 剥き出しの腕や顔に赤い線が幾つもあるのを見て、ぼくは小さな瓶に入った軟膏を渡した。


「助かる」


 フォーゲルの鳥業者パサレがくれた、鳥のくちばしや爪の傷に効く人間用の軟膏だ。


 パサレは鳥飼が優秀だからいらないでしょうけどと笑っていたけど、鳥が暴れ出すのを落ち着かせるには必要なんだってことをここしばらくでぼくもティーアも思い知っている。鳥を驚かされた時にいると今フォーゲルに注文してある。


 瓶の蓋を外し、軟膏をすくい取って傷口に塗り込むティーア。


「まただろう?」


「やっぱり宣伝鳥たちは気付いた?」


「最初は大人しくしてたんだが、時間が経てば経つほど不安になって、鳴き出しそうになってきたから落ち着けって言ったら俺に爪を立てたり嘴を押し付けてきたりしてな……。暴れはしなかったし鳴きもしなかったからちゃんと俺の命令を聞いてくれたんだが、ここまでしなければ落ち着けないって言うのは、またかと思っていたんだが、テイヒゥルが来たことで確信を持った」


「うん、彼女。フォンセ」


「まるで人間のように扱うんだな」


 不満そうなティーア。


 ティーアは精霊神二柱とも好きじゃない。の陰謀に町で唯一気付いたせいで散々嫌な思いをさせられたし散々あの「自分は大陸で一番偉い」節を聞かされて「だから正しい」まで聞かされたんだからまあ精霊神信者でも嫌になる目には遭わされている。そして、その対……スヴァーラに乗り移っていたフォンセには、町長室までの案内を強制されてあれよあれよという間に目の前でとんでもない会話をされて、終いにゃ聖職者や町長しか知らない、トップランクの秘密を共有することになってしまったんだから。


 紅茶を淹れていると、コンコン、と控えめなノック。


「失礼します」


「はいどーぞ」


 スヴァーラがそっとドアを開けて入ってくる。その手にはぼくが書いた手紙。


「フォンセが来たとのことですが……今回は随分うまく気配を消していたみたいですね。気付かなかった……」


「オルニスは?」


「そう言えばやけにワタシの肩に爪を立てて止まっていて……ああ」


 右肩に乗っている青いインコの頭を撫でる。


「ごめんねオルニス。気付かなかった……」


「いや、具体的な気配はぼく以外には動物にしか分からなかったみたいだから」


 スヴァーラは一時フォンセに乗り移られていたので闇の気配には敏感なんだけど、今回は気付かなかったらしい。まあ気付かない方が幸せだよね。


「失礼します」「こんちは」「町長」


 聖職者三人が慌ただしく入ってきて。


 全員で息を吐きだして、とりあえずぼくが紅茶を淹れて、全員で飲んで深呼吸して。


 お話が始まった。

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