第393話・虎の過去

 鮮やかな黄色に黒い横縞の毛皮。


 威圧感のある瞳も黄色で、ちょっと空いた口から覗く牙がまあ立派なことで。


 四つ足ぶっとくて爪が鋭い。


 ぼくの腕程の太さがある尻尾はしたんしたんしている。


 うん、これは、どう見ても、昔エアヴァクセンに来た動物使いの一行が連れていた猛獣、トラ。


 虎さんである。


「あの、これ、普通に飼うものじゃないんじゃ。ていうか頭からガプッて行っちゃうタイプの生き物なんじゃ」


「大丈夫です、テイヒゥルは紳士です、生き物は許可されたもの以外は絶対に口にしません」


「あらあら、さすがにこれは想像しなかったわね」


 フレディが口元に手を当てて呟く。


「いや、想像以前にあり得ないわな」


 シエルもさすがに引いている。


 だってさ。虎さんだよ? 猛獣だよ? 動物使いの一行が目玉として連れていた虎さんはごっつい檻の中にいたよ? そんなのが部屋のど真ん中でくつろいでいて、こっちとあっちには檻どころか仕切すらないよ?


「いや猫をいただきに来たんですが」


「学者は、虎は猫の仲間と認識しています。町スキルもそう認識しています。獅子や豹も同じく猫の仲間です」


「いや、湯処に置くには大きくて威圧感あり過ぎて」


 それ以前に獅子や豹も扱ってるってこと? 町スキルの認識で? ぼくが言うのもなんだけど、それってどうなの?


「そもそも、何故、虎を扱っているんですか? 猫を愛でるのはフェーレースの流儀で、虎も猫の仲間ならばフェーレースで扱っているのは不思議ではありませんが、世間一般にこんな風に回せる獣ではないでしょう」


 それまで空気と化していたサージュの当然の疑問に、コチカさんが微かに俯いた。


「この子は、ある町の町長の注文で育てていたんです」


 そっと虎の所に近付いていくコチカさん。手には大きなブラシ。気付いた虎は大人しく「伏せ」した。


 その背にブラシを当てるコチカさん。ぐーーーーっと音がする。あれ、確か機嫌がいい時の喉の音。


「その町長の注文は、見栄えのする護衛猫でした」


「ごえいねこ?」


「フェーレースで扱う中でも、最も高価で有用なものです」


 気持ちよさそうにブラシを受けている虎さん。その姿を見ているとちょっと可愛く思えてくる……いや、猛獣だ。猛獣なんだって。


「護衛犬は珍しくはありませんが、気紛れな猫を一人の人間に仕えさせてその身辺警護をさせるには難しいものがあります。猫の素質と、フェーレースの町スキルと、長い時間と莫大なお金を必要としますが、完成すれば常に傍に居て罠や毒、刃物、様々な緊急事態に対応できる猫になります」


「なるほど、猫なら四六時中傍に居ても居場所はあるわな」


 シエルが感心したように呟く。


「ですが、その依頼は見栄えのする、自分に相応しい、雄々しい獣、でした。実際に来て頂いて候補の猫たちに引き合わせた所、その方が選んだのがテイヒゥル……まだ子供だったこの子でした」


「いや、虎は小さくても虎でしょう」


「はい。ですがその方は、自分に懐く虎であれば確実に己の名誉となると……。必要なお金も全額置いて行かれたので、前払いであれば断る余地はありません。テイヒゥルを護衛猫として訓練しました」


「そして、成功した、と」


「はい。テイヒゥルは優秀な護衛猫になりました。そして注文通り見栄えして、雄々しい虎として育てて、納品しようとしたのです……が」


 膝の上に頭を預けてぐーぐー言っている虎さん……テイヒゥル君をそっと撫でながらコチカさんは辛そうに続けた。


「引き取れないと。町長が消えて、警護対象がいなくなったから、町でも引き取れない、金は返さなくていいと……」


「酷いな」


 シエルが嫌悪感一杯の顔で呟いた。


「動物を自分の理想通り育てておいて、引き取れないからって……」


「えーと、その町」


 ぼくは恐る恐る聞いた。


「エアヴァクセンって名前じゃないですか?」


「買い手の情報は出せません」


 コチカさんは固い顔に戻って言ったけど、それがぼくの想像が間違ってなかったのだと確信させる、


 ミアストか……。


 こんな所にまで迷惑かけて……いや……ミアストが町長じゃなくなったのはぼくの本体のやったことだから、ある意味ぼくのせいか……?


「ただ、可哀想なのがこの子で……。護衛猫は護衛する対象がいなければ何の意味もありません。ましてやテイヒゥルは虎。簡単に引き取ってくれる町はありません」


「何も知らないうちグランディールなら引き取ってくれるかも、と?」


「いえ。そんなことは考えておりません。ただ」


 丁寧にブラッシングしながら、コチカさんは目を伏せた。


「この子に居場所を与えてあげたいだけなんです」


 確かに……そうあれとして育てられて、その通りに育ったのに必要とされなくなったなんて、な……。


 ぼくはそっとテイヒゥルに近付いた。


 ゴロゴロしていたテイヒゥルが、ぼくの気配に気付いて、片目を開けた。


 ひょいと拳を出す。手を広げてやると指の一・二本持ってかれそうだったから。


 テイヒゥルが顔を上げ、拳の匂いを嗅いで。


 鼻先がぴとりとついた。

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