第390話・まみれるとはこれか

 で、「猫を猫猫と猫しに」、大きな部屋へ通される。


 二重入り口でドアを開けると木製の仕切りがあって、その向こうは柔らかいクッションなどが置かれて、部屋の真ん中には平机が置かれている。


「取引所、と聞いたのですが」


 あまりにも印象が違うので、それを聞くと。


「取り扱っているのは猫ですから」


 コチカさん、さっき一瞬の覚醒は嘘のようにまた固い顔に戻っている。


「猫は感情のある生き物ですし、飼い主との相性もあります。相性の合わない猫と飼い主の組み合わせは、猫を不幸にするだけです」


 さすがは猫の町、猫の幸せしか考えてない。いや、この人やシエルが極端すぎる可能性はあるけれど。


「どうぞ、お好きなところにお座りください」


 コチカさんは平机を前に座る。


 そわそわしているシエルを押さえつけるようにサージュが座り、その隣のクッションにフレディも座る。ぼくも適当なクッションにお尻を乗せた。


「スキルで懐かせることは可能ですか?」


 フレディの問いに、コチカさんは固い声で答える。


「可能ではあります。ありますが、やはりスキル主との相性が影響してきます。そして何より、猫を一生涯かけて愛してくれるかどうか。とどのつまりそこに落ち着くのです」


「では、猫たちに会わせていただけますか?」


 フレディさんは人好きのする笑みをコチカさんに向ける。


「ええ、ではまずは普通の住宅などで飼う愛玩用兼ネズミ捕りの猫を紹介いたします」


 コチカさんは懐から金色の鈴を取り出して、ちりちりと鳴らした。


 部屋の奥にある小さな小さな扉が開き。


 そこから……。


「なー」「にゃー」「なーお」


 たたたたたたたっと小さな微かな足音と共に出て来たのは、大きさこそ似ているが、毛色も表情も一匹一匹違う二十匹近い猫。


「う……ううううう……うう……」


 不気味な呻き声が聞こえると思ったら、シエルがサージュに羽交い絞めにされて口を押えられていた。


「あら、可愛らしい」


 フレディが笑顔で手を伸ばす。


「にゃー」「にゃー」「にゃー」


 数匹の猫がフレディの差し出した手に頭をこすりつける。


 ……困った。


 猫との接触経験がほとんどないぼくには何もできない!


 と、お尻のあたりにごっちんと衝撃があって、振り返ると、尻尾を立てた猫がぼくの背中にすりついてた。


 ああ、これがシエルの言ってた「尻尾ぴーん」か。


 そっと驚かせないよう体勢を変えて、手を伸ばしてみる。


「なっ、なんか言ってる」


「喉を鳴らしてるのよ」


 フレディが笑顔で説明してくれた。


「このグーッ、グーッて言うのが?」


「一般的にはごろごろって言われるけどね。機嫌のいい時とか好きな人の前とかで喉を鳴らすの。つまり町長はその子に気に入られたんじゃないかしら」


「グ、グリグリしてくる」


「すりついてるの。大好きっていう意思表示ね。何かをおねだりしたいときもやるけど」


「クレー町長は猫は初めてですか?」


 コチカさんに聞かれ、ぼくは素直に頷いた。


「犬なら経験があるんですが、野良猫を見かける程度しか接触機会がなかったので、何だかぶつかったら壊しそうで」


「なんてもったいない」


 あ、まずい。コチカさんを怒らせた?


 コチカさんはやおら立ち上がると、二匹の猫を抱えてぼくの前に来た。


 そして、座っているぼくの膝の上に猫を二匹とも乗せる。


 猫はぼくの両ひざで、四角い形に座っている。


「結構重い」


「頭を撫でてやってください。背中も。猫にどんどん触れてください。ただ、逆撫でだけはしないでやってください」


「逆撫で?」


「毛の生えている方向とは反対に撫でることです。人間でいえば首筋から後頭部に撫で上げられるようなものです。毛並みに沿って撫ででてください」


 顔は無表情なのに言葉に熱意がこもってる。


 言われるがままに恐る恐る頭のてっぺん、耳と耳の間に手を置いて、そっと背中の方へ。


「うわ、ごろごろ言った」


 猫が体勢を変える。


 でろーんと伸びる。


「うわ、伸びた」


 コチカさんは表情を崩さず猫を観察。


「顎の下から首にかけて撫でて見てください」


「え? そこって弱点だから、他の生き物には触れられたくないんじゃ?」


「犬は撫でられましたよね」


「ああ、そう言えば……」


「そこは弱点であると同時に、毛繕いできない場所でもあるんです。信頼する相手に撫でてもらいたい場所です」


「へ……へえ」


 そっと指先でくすぐると、また猫が別方向に伸びる。喉をさらけ出して、さあなでろと言わんばかり。


「猫ってこんな撫でられたがりなんですか?」


「ご用意したのは、みんな撫でられるのが好きな猫です」


「なるほど……」


 指でこちょこちょ。また明後日の方向に伸びる猫。


「うおお……」


 唐突に地響きのような声がして、膝の上の猫が間違いなく固まる。


 猫を落とさないように顔をそっちに向けると、床の上で大の字になったシエルと、その横に座る猫、腹の上で丸くなる猫、ごっちんごっちんする猫。猫。猫。


「ああ、素晴らしい。まみれていらっしゃいますね」


 石のようだったコチカさんの顔が……特に両目がキラキラと輝いている。


「そう……これだ、オレの求めていたのはこれだ、猫にまみれる……っ!」


 なるほど、これが猫まみれか。良いことを知りました。

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