第339話・人間ではない存在
アナイナの顔が途端に不安に曇る。
「お兄ちゃん……いなくなっちゃう……?」
「肉体を捨てればね」
もちろん、精霊となってもあいつのように自分の魂を入れるための器を作って人間の振りをして生きることも出来る。
でも、寿命が違うのだ。
肉体は衰える。人間なら普通で五~六十年。堅固な肉体であれば八~九十年はもつけれど、それでもいつかは老いて死ぬ。
一方精霊には肉体がない。つまり力を完全に失わない限り死なない。
精霊が力で生み出した肉体をまとった半精霊……神獣や聖獣と言ったものは肉体は創り主の精霊が滅びない限り衰えないし老いない。つまり周りが老いても自分だけ変わらぬ姿で生きていくのだ。
つまり、ぼくが人間であることをやめたら、グランディールのみんなと一緒に年を取って、毎日公園へ散歩をしてはベンチで猫と一緒に日向ぼっこをしながら鳥とパンを分け合うということも出来なくなる。
ぼくには平和な老後、というものがないのだ。どれだけ憧れても、それは与えられないのだ。
それを思い知る日を先延ばしにしたいという気持ちがあるのは否定しない。ぼくは自分が人間でないと思い知る瞬間が怖い。今まで町長と町民という、少し差はあるけれど埋められないものではなくて意見を言い合える間柄。でも神になったらそれはない。どれだけ意見を言い合いたくても、神と人間の間には広くて深い河がある。互いを理解できない。
今まで一緒に町を創ってきたみんなと、そんな関係になるのが嫌なんだ。
笑い合って喧嘩して、怒鳴って泣いて。そんな当たり前が出来なくなるのが、怖い。
ぼくだけが、みんなとの思い出の溢れる町に取り残される。
だから……。
「ゴメン……お兄ちゃん、ゴメン!」
アナイナは立ち上がって、床に付きそうな勢いで頭を下げた。
「お兄ちゃんの気持ち、なんにも考えてなかった! お兄ちゃんが神様になれば全部上手く行くって思って……!」
「……ぼくが覚悟を決められないのが一番悪いんだけどね」
「ううん、わたしだったら、決めらんない……決めらんないよきっと……。みんながいなくなった後も、町を見続けなきゃいけないなんて……。精霊神や精霊小神は、なんでそれに耐えられるんだろう……」
「人間としての視点がないからさ」
別れの悲しさ。取り残される虚しさ。それを、精霊たちは知らない。ずっと昔から人間と接していても、人間だったことはないから、別れと取り残されることを当然として受け入れて、そして次の人間を見る。
人間にはそれが出来ない。人間は次の人間に前の人間の気配を見る。そして思い出を蘇らせ、悲しみと虚しさを思い出す。
「あのね、お兄ちゃん」
アナイナの声に、ぼくは物思いに沈みかけていた思考を取り戻してアナイナを見た。
「わたし、お兄ちゃんの妹だから」
真っ赤で涙に潤んだ瞳が、ぼくを見ている。
「おばあちゃんになっても、死んでも、生まれ変わっても、……ずっとお兄ちゃんの妹だから」
「うん」
ぼくはアナイナに手を伸ばした。
同じ色をした髪を撫でてやる。
「分かってるから」
「ずっと、ずっと、妹だから」
「うん。分かってる。分かってるよ。こんなに手間のかかる妹を忘れることはないよ」
ぐすっぐすっと鼻をすすりながら、アナイナは髪を撫でる僕の手の下で何度も頷いた。
「じゃあ、神殿に戻って。多分みんな、心配してると思うから」
うん、と頷いて、気付いたように顔をあげた。
「スピーアは」
「これから行って、話を聞いてみる。聖女を町の外へ連れ出すっていうのは間違いなく町に反する行為だし、彼がもしかしたらスピティの命令を受けて潜り込んできていた場合、スピティとの関係が悪化することも考えられる」
「……わたしが何も考えないでスピーアについてったのが悪いんだよね……ごめんなさい……」
「うん。分かった。だから、二度繰り返すなよ?」
こくんと頷いた妹に笑って、ぼくは置いてあった水をアナイナに渡すと、静かに部屋を出た。
◇ ◇ ◇
ティーアが壁に寄りかかって待っていた。
「ティーアなの? アパルかサージュだと思ってたのに」
「多分アナイナとお前の会話を聞かれたくはないだろうって思ったんで、立候補した」
ぼくが精霊神と繋がりがあると知っている数少ない人間。ぼくを神だと思ってはいないんだろうけど、ぼくを信じてくれている人、手伝おうとしてくれている人。
「実際、他の連中に聞かせたくない話が目白押しっぽかったしな」
「うん。……ありがとうティーア」
「気にするな」
ぽん、とぼくの肩を叩いて、ティーアは歩き出す。
「スピーア君は?」
「一般仮眠室」
「なんで仮眠室」
「音が漏れないし外に出るドアさえ塞いでおけば逃げ場はないし」
スピーア君のスキル「遠話」では部屋から出るのに役立たないと思うし、とティーアは続ける。
「あのな、クレー」
「ん?」
「何て言っていいか分からんが……俺にとってグランディールの町長はお前だけだ。ここは、お前と俺たちが創った、俺たちの町だから」
……聞いてたんだろう。ぼくの話を。そして、ぼくの正体を察したんだろう。
でもそれ以上触れずに、ただ一言、言ってくれたその言葉が、嬉しかった。
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