第333話・仕事にしよう
コンコン、とノックの音がした。
「……どうぞ」
入って来たのはアパル。
「アナイナが泣きながら出て行ったけど、喧嘩でもしたのかい?」
「呼び止めた?」
「いや……そう言う顔じゃなかったから」
「ならよかった」
ぼくはベッドから起き上がる。
「何やったんだい?」
「兄に完璧超人を求める妹を一喝しただけ」
「?」
ぼくが精霊神の分霊とは知らないアパルが不思議そうな顔をするけど、すぐに苦笑に変わる。
「……アナイナはクレーが大好きだからね」
「それが悪い方に作用するんだよ、あいつは」
「ああ」
一年以上アナイナを見てきたアパルはすぐに納得してくれたようだ。
「確かにクレーには出来ないことなんかないって思っているね」
「そ」
ストレッチしながらぼくはアパルに頷く。
「ぼくはそんな人間じゃないって言ってんのに」
「アナイナの世界の中ではクレーが一番なんだよね」
そう、そうなんだ。それが一番の問題。
アナイナがぼくのことを好いてくれているのは分かる。小さい頃からずっとそうだった。ぼくのことが大好きで大好きで、エアヴァクセンを追い出された時もぼくを追って町を出て来たほど。
一介の町民が、何の装備もなく町を出るってのは相当な覚悟がないとできない。
何故かって言うと、町を出ればそこには凶獣や魔獣がいるし、町を追い出されて盗賊と化した人間もいるから。
戦闘スキルのない町民は、出る時は町の衛兵などに守られていないと、隣の町に行くにも命懸けになる。
一年前のアナイナが平然と町を出たのは、頼れるスキルがあったわけじゃない(未成年だからスキル自体ない)。単にぼくの傍に居ればぼくが何とかしてくれると根拠のない自信があったからだ。その時、アナイナは確かに、ぼくのスキルが「まちづくり・Lv.1」と知っていた。凶獣や魔獣なのにぼくなら自分を何とかしてくれる、という、本当に根っこのない自信。
そんなものをいつまでも持たれても、困るんだ。マジで。
エアヴァクセンを出て来た時に追い返せればよかったんだろうけど。
精霊神の意図と偶然と幸運が重なって、町を創ってしまってからは、成り行きでアナイナを置きっぱなしにしていた。
誰かに頼んで、アナイナが寝ている間にでもエアヴァクセンに帰せれば……そうすれば、もうアナイナにはぼくを追いかけてくる術はなかったはずだ。
アナイナが可愛くて、傍に置いたぼくが悪い。
しかも、もうエアヴァクセンには帰せない。
アナイナが聖女だってことは知れ渡っている。町を出れば、すぐにでも聖女を求める町の連中が押し寄せる。乱暴な手段を使ってでも、という町もあるだろう。
アナイナは自分がそんな存在だってこと、これっぽっちも理解してない。
聖女であることを告げた時、その時は確かに分かって、神殿に永遠に閉じ込められる運命を受け入れたような顔をしていたけど、ぼくが精霊神の分霊……精霊神の力を使えると知ってしまって、「お兄ちゃん一番信仰」に磨きがかかってしまった。
ぼくが精霊神なら、この大陸でぼくに出来ないことは何もないと思ってしまったのだ。
あいつは聖女だから、ある程度神の力は感じ取れる。だからいらん確信を持ってしまった。「お兄ちゃんが一番」で間違いないと思ってしまった。
一番なのは精霊神そのものしかないだろうが。ぼくは精霊神の一割でしかないんだぞ。
だけど、自分からお兄ちゃんを取り上げた精霊神への信仰を失って、精霊神の力を持ったお兄ちゃんに切り替えてしまったアナイナが精霊神の聖女に戻ることはないだろう。
となると、あいつはどうなるか。
む~ん。
難しい顔をしているぼくに気付いたんだろう。アパルは一度外に出て、よく冷えた水を持ってきてくれた。
「ありがとう」
グイっと飲み干す。
「今日の仕事はどうする?」
「一週間であの野郎が書いた書類全部持ってきて」
「ああ」
アパルもぼくに気付かなかったことを悪く思ってるんだろう。頷いて、書類を集めに出て行った。ぼくも町長の部屋に向かう。
ドアを開けたぼくをサージュが見て、無言で頭を下げて書類をまとめる作業に戻った。
やっぱり、一週間ぼくと気付かなかったってのが効いてるんだろうなあ。
……二人を責める気はない。
ぼくが町長の仮面を使って誰の目にも立派な町長として振舞っていたのと同じく、精霊神がぼくの仮面でぼくになり切っていたら、余程の勘の持ち主か観察力の持ち主しか見抜けないだろう。ティーアが話してくれたけど、ティーアもエキャルの態度で疑問を持ったという。鳥の世話を日常的にしている鳥飼の目線があって初めてエキャルの意図を読み取れたんだ。
そのエキャルはいつもの止り木に止まって嬉しそうにしている。
「取り敢えず、決裁したのも含めて、これだけだ」
アパルが山と言っていい程大量の書類を持ってきた。
あの野郎、人がいないと思って勝手にやりやがって。
ドン、と置かれた書類の山を睨みつけ。
「さーあ。仕事、するかあ!」
大声を出すことで気合を入れて、ぼくはアパルが持ってきた大量の書類に取り掛かった。
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