第320話・眠れる町長
慣れた足でティーアは会議堂に踏み込む。
ぞろぞろと後に続く聖獣神獣精霊虫。
おろおろとその後をついてくるサージュとアパル。
きゃあきゃあと楽し気な子供の声が後ろから聞こえてくる。
会議堂を真っ直ぐ進む。うん、ぼくの足で駆け込んでいたら途中で捕まって追い出されてたな……。ティーアが抱えてくれているから捕まらないだけで。
会議堂に居た人間もきょとんとした顔でこっちを見る。
ティーアは真っ直ぐぼくの寝室に向かう。
「クレー」
ティーアがようやくぼくに聞こえるくらいの声で言った。
「お前の寝室に、あの野郎が何かしている可能性は高い。もしかしたら部屋の主のお前しか入れないようになっているかも知れない。そうなった場合」
ぼくはティーアの腕をてし、と叩いた。
「覚悟の上か」
てし。
「俺に出来ることがあるかは分からないが、全力で手伝うつもりだから。だから……」
てし。
「……そうだな」
ティーアが笑った。ちょっと困ったような感じの笑み。
「お前は最初っから、俺たちを信頼してくれてたんだよな。誰かがエキャルを飛ばしてくれるって。自分の居場所を見つけてくれるって」
てしてし。
「ああ。分かった。信じるよ。お前を。……グランディールのみんなを」
てしっ。
ティーアの腕から下ろされた、目の前にはぼくの寝室の扉。
ティーアはドアノブに手をかけようとして……。
パチンッ!
鋭く弾かれた。
「やっぱりか」
ティーアは弾かれた指先を振って、ぼくを見下ろす。
ぼくは頷いて、ドアを前足で押す。
きぃ、と音を立てて、ドアが開いた。
ぼくは隙間からするりと部屋に入り込む。
後ろからついてくる気配は……ない。
やっぱりな。自分以外に入れない……そう言う結界を巡らせてたんだ。その結界の正体が明らかにならないようにアパルやサージュに妨害させる暗示をかけて。
暗示のかかったサージュやアパルでも、プファイフェの行進状態だったティーアに度肝を抜かれて呆然と見送ってしまったのが精霊神の失敗だろうな。
ぼくは後ずさりしてベッドから距離を取ると、ダッシュ、そしてジャンプ!
布団に引っ掛かってわしわしと落ちるシーツを走ってよじ登り、ベッドの上に立つ。
目の前には……ぼく。
ぼくが入っているべき器。
今、そこには、何もない。
一見、死んでいるようにも見えるけど、小さく胸が上下してるから呼吸しているのは確かだ。
この中にどうやって入ればいいのか。
口の中に入る……いくら仔犬の肉体でも顎が外れる。元の身体に戻ってすぐやることが外れた顎を治してもらう……。
ダメだ、避けたい。
精霊神の力で、この仔犬の肉体から魂を引きはがして、そのまま人間の肉体に入り込む……。
そこでライテル町長さんの言葉を思い出した。
(「我が祝福を受けたその肉体を捨てるならば、どんな肉体にも二度は宿れなくなるだろう」、と)
ぼくにも同じような呪いがかかっている可能性がある。
まずはそれを解かなきゃ……。
次の瞬間、ぼくの背中の毛という毛が全部逆立った。
危険じゃないけど危険を告げるその気配。
(解けるとでも? 私の一割でしかない君が?)
ぼくは見上げる。
天井を抜けて入ってくる、金色の炎。
ぼくの本能とでも言うものが身動きを止める。
今、自分にできることは、何もないのだと。
金色の炎は当然のようにぼくの身体を覆い、その中に吸い込まれて行く。
(
「これは私が用意した肉体だ。私が入れても不思議ではないだろう?」
ゆっくり「クレー」の顔で起き上がりながら、精霊神は静かに全身で布団の上に踏ん張っているぼくを見る。
「注意されなかったかな? 私が祝福した肉体を無理やり切り離せば、二度と肉体に宿れなくなると」
ベッドに半身を起こした精霊神と、足元の方で四肢を踏ん張って睨みつけるぼく。
(何が祝福された肉体だ! お前が勝手に突っ込んだんだろうが! しかもペテスタイの人たちに至っては、忘れたから嘘じゃないって理屈で半精霊の肉体に封じたままにして! そう言うのをなんていうか知ってるか? 無責任、って言うんだ! このいい加減精霊神が!)
「自分に課せられた使命を忘れて好き勝手している君のセリフではないね」
(課せられた? 使命? そんなの誰が頼んだ! お前が勝手に決めて勝手にしてるんだろうがっ!)
ぼくは無表情の精霊神に怒鳴りつける。
(ペテスタイの人たちに対してもそうだ。ペテスタイの人たちは
「私が決めた、だから人間はそれを守らなければならない」
(誰も頼んでないって言ってるだろうが!)
「クレー? クレー!」
どんどんどん、とドアを叩く音。
「その唸り声はさっきの仔犬か? 放り出す、開けてくれ!」
「サージュ」
無表情だった顔が、柔らかい笑みに変わる。
「大丈夫だよ。今開けるから、この犬を追い出してくれるかい?」
ベッドの上のまま、右手をドアに向かって伸ばすクレー。
ぼくを捕まえようとする、左の手を逃れて、ぼくは。
その小指に噛みついた。
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