第307話・精霊神からの問い(ティーア視点)
間違いない。
クレーの中にいるのは、精霊……それも高い確率で精霊神だ。
精霊だろうとアタリはつけていた。精霊は人間を動物に変えて罰を与えるという。クレーが犬の肉球を押しただけの返事を返してきたと言うことは、それ以上何もできないと言うこと。つまり犬の姿になっていると言うことだ。
人間を犬の姿に変えられるのは精霊だけ。しかも
疑うなという方が無理だろう。
推論の域は出ていない。でも。
コツ、コツ。
ノックの音が聞こえた。
「?」
返事をしようとして、声が喉の奥に留まった。
この……気配。
動物と付き合うことで気配に敏感になった自分の五感が、その向こうにいる存在の異様さを伝えている。
敵意や殺意であれば、自分は迷わず逃げただろう。
だけど、気配にはそう言うものはない。ただ、いる、だけ。そこにいて、自分がドアを開けるのを待っているだけ。
総毛だつ気配を感じる。背筋に冷たい汗が流れる。何というか……。
格が違う。
存在が違い過ぎる。
こんな気配を人間に感じさせるなど、自分の知る限りたった一つしかない。
……精霊神。
「誰だ?」
震える喉を必死で宥め、何事もないような声を出そうとするが、それでも上ずるのを抑えられない。
「ぼくだよ」
「ぼくだよ、じゃ分からない。名乗ってくれ」
「……分かってるくせに」
ちょっと笑いを含んだ声は、クレーそのもの。
でも、違う。
違和感……。アナイナが言ったように、完璧にクレーらし過ぎて、まるで偉人伝の説明だけを読んでその偉人に会ったとでも言うのだろうか。いつものヘマもドジもするクレーとずれて感じるのだ。
アパルとサージュは町長としてのクレーだけを見ているから、あまり気にはならないんだろう。だが、小さい頃から一緒で聖女になった
でも、ここまで気配を丸出しでくると言うことは。
「……正体を明かす、と言うことか?」
「好きなように思うといいよ。さあ、ティーア・マネハール。このドアを開けてくれるのかな。それとも開くまでぼくはずっとここにいなければいけないのかな?」
自分は引き下がらない、という意味だろう。正体に辿り着いた俺を見逃さないと。
俺は覚悟を決めてドアを開けた。
そこにいたのは、いつものあの穏やかな笑顔が……忌まわしく見える、人間ではない存在だった。
◇ ◇ ◇
「妹と色々話したようだね」
偽クレーは椅子に腰かけて、にっこりと笑った。
「……あんたの妹じゃないだろう」
「妹だよ。ぼくのね」
自分のまとっている肉体の妹、という意味だろう。にっこり笑ってこちらを向く偽クレー。
「……あんたは誰だ」
「君は辿り着いたのではないのかい?」
「俺は現実主義者……というよりは、自分の目で見て耳で聞いて頭で判断したものしか信じない。あんたの口から直接聞いて納得しておきたい」
「彼から届いたものには、状況どころか文字すら書かれていなかっただろうに、何故信じたんだい?」
「彼は、彼のやり方で、俺に知らせてくれた。俺が……俺なら、これだけで判断してくれるだろうと。どんなに突拍子のない現実でも、受け入れてくれるだろうとな。だから、俺は言い切れる。……あんたはクレー・マークンじゃない」
微笑を浮かべながら偽クレーは聞いている。
「そう。ぼくはクレー・マークンじゃない。じゃあ、何だい? 今、君の前にいる、クレー・マークンの肉体を被ったこの私は……何者だい?」
「俺の推論が正しければ」
唾を飲み込んで、言う。
「あんたは、精霊神」
相手は、声もなく笑った。
「本当に、君は、何なのだろうね」
笑いながら、相手は続ける。
「私の正体に気付くなら、彼の妹で聖女に選んだアナイナ・マークンか、常時クレーのすぐ傍についているアパル・ロウかサージュ・ビズダムかと思っていた。彼らが気付かないのは僥倖だと思っていたけれど、こんな所からバレるとは」
「敵は人間だけだと思い違いをしていたあんたのミスだろ」
「まあ……そうだね。普通、人でないものは私に信頼を寄せるものだ。それ、そこの鳥たちのように」
俺は宣伝鳥に視線を移した。
首を折り曲げ、精霊神の前で頭を下げているような鳥たち……。
「しかしエキャルラットは違った。エキャルラットは私がぼくになりきるために必要な鍵。だから真っ先に取り込もうとしたのに、私ではダメなのだと拒絶した。クレー・マークンでなければ傍に居たくないのだと……」
精霊神はここでもミスをしていた。何も知らずにただ精霊神という高い立場からエキャルを取り込もうとして、拒絶された。クレーがどれだけエキャルを大事にしてきたか、エキャルがどれだけクレーを好きだったかも知らず、割って入ろうとすればそりゃあエキャルは怒るさ。
「それどころか全くの予想外だった君が私の正体に行き当たってしまった。だから
「…………」
「私は、クレー・マークンになるのに、何処から間違っていたんだろうね?」
子供のような無邪気ささえにじませて、そいつは聞いた。
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