第306話・アナイナの違和感(ティーア視点)
俺は黙って空を睨む。
グランディールは、少しずつ変質して行っていると感じる。
何となく
何から何まで計算し尽くされた、高等な学問のような作り上げ方。
あまりにもさりげなくシフトされているので、誰も気付かないほど。
だけど、町長の中身が別物だと知っている俺にだけ分かる、その変化。
三日ほど前、エキャルが帰ってきて、俺に仔犬の手形を渡してから、ある予感がしてならない。
そして、エキャルはもっと踏み込んだところを気付いている。
何故なら、町に戻ってこないからだ。
偽町長を警戒しているのだ……と俺には分かる。
いつもクレーの隣か後ろでクレーべったりだったエキャルが、帰ってすら来ないのだから、さすがにアナイナが不安な顔になってきている。
「ティーア」
噂をすれば何とやら。アナイナが来た。
「エキャル、まだ帰ってないの?」
「……ああ」
本当は、帰ってきている。
ただ、町の門を抜けたが最後、偽町長に捕まることを予感したんだろう、エキャルは門を抜けてこない。
「お兄ちゃんとケンカでもしたのかなあ……」
「どうしてそう思う?」
「何となく、何となくなんだけどね」
アナイナは不安そうな声で言う。
「お兄ちゃん、ピリピリしてるって言うか……何か、近寄りがたいっていうか……傍に寄れないっていうか……」
自分の感覚を何とか言葉にしようと悩むアナイナ。兄に今まで感じたことのない違和感を感じているんだろう。
だけど、俺から事実は言えない。
お前の傍に居る兄の中身は兄じゃなく、全然知らない何処かの何かだと、言えるか?
兄の中身は世界のどこかで犬になっているかも知れないと言って、信じてもらえるか?
そして、アナイナが信じる信じないに関わらず、こんな話を俺がしたと気付かれれば、俺もあの偽町長に姿を変えられて世界のどこかに放り出されるかもしれない。
クレーを探しに行くのに町を出ることは出来ない。
フレディを嫁にした時、彼女が重荷になる時は必ず来ると思っていた。だけど、こんなに重くなるとは思いもしなかった。
家族と、町と。
自分の今の存在理由……守りたいと思った二つを
そしてこうも気付く。偽町長はわざわざ自分にその重荷を科せたのだと。
そうして自分の動きを封じたんだ。
そこまで考えて行動に移せる偽町長を、俺は恐れている。いや……畏怖と言ってもいいかもしれない。
アパルやサージュに勘付かせず、アナイナにすら違和感というものしか抱かせず、町長の座をひっそりと奪い取って、少しずつ自分のものに変えて行こうとしている、そんな存在が人であるはずがない。
グランディールは人ならざる存在に変えられつつある。
それが町民の為、というよりは何か別の目的を持って動いているようにしか見えない。
それが、何とも言えず、気持ち悪い。
そこで、自分の話している相手が町長の妹というだけではなく聖女と言うことを思い出した。
「……精霊神様は、何も言ってないのか?」
「んー……」
アナイナは眉間にしわを寄せた。
「精霊神様の声が、聞こえないの」
「聞こえない?」
「うん。ていうか、精霊神様が近付いてこないっていうか。何て言うのかなあ。傍にはいる、けど声はかけてくれないっていうか」
「傍にはいる?」
「うん。気配はあって、見守ってくださっているのは分かるの。だけど、あっちから接触もしてこないし声もかけてくれない。こっちから声をかけても無視されてる……無視じゃないか、あんまりこっちを気にかけてくれないの」
「そう、なのか」
「毎日お兄ちゃんが何をしてるのか、何かあったのかって聞いてるんだけど、何か集中していてこっちに気を向ける余裕がないみたいな。……なんでだろ、聖女のわたしが心配してるんだから、精霊神様は気にかけてくれてもいいのになって思ってる」
「……祈りを聞いてくれない?」
「うん」
アナイナは宣伝鳥の桃色の羽根を撫でながら、呟いた。
「わたしの大事なお兄ちゃんのことなんだから、何か答えてくれればいいのに。もう」
「アナイナ、一つ聞いていいか?」
アナイナがきょとん、とこちらを見る。
「不敬に感じられるだろうけど、俺の純粋な質問と取ってくれ。……精霊神っていう存在は、嘘を吐けるのか?」
「出来ない」
アナイナはきっぱりと言った。
「黙ってることが出来る。演技することも出来る。でも嘘は言えない。嘘を言った瞬間、精霊は存在が歪むって言うんだって。精霊神様も同じ……っていうか、もっと大きい
「……いや、気になっただけだ。ありがとう」
思えば。
最初の最初から、あいつは自分がクレー・マークンだと名乗ったことはないのだ。
鳥部屋から出て行くアナイナを見送りながら、俺は考えた。
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