第300話・ぼくと精霊神

 衛兵も誰もいない、誰もここを傷付けないと確信しているからこその無警備状態。……そりゃあ神様そのものがいるんだから、ここで悪さをする奴は命どころか来世そのまた来世またまた来世までの分の人生を捨てる覚悟が必要だろう。


 刃向かう存在に憐れみと怒りを同時に向けるのが精霊神。全能の存在である自分に刃向かう無知を憐れみ、そして知らずして自分に牙を剥いたことへ怒り、罰を下す。自身の一割であるぼくが牙を剥いたら、即座に町や人と切り離され、監視下に置ける聖地にすっ飛ばしたんだから、全く関係のない普通の人間はどんな目に遭わされるか。


 ちょい、と冷たいものが鼻先に当たって、我に返ると、目の前でペローがぼくの鼻の頭の匂いを嗅いでいる。さっきのちょいはペローの鼻か。


「ふん?」


 鼻息で返すと、パテルさんが振り向く。


「おー、えー、どっちだ?」


「今匂い嗅いでる方がペロー。嗅がれてる方がペルロよ」


 マトカさん、相変わらず僕たちを的確に当てますね。ぼくの分身で、作った時は毛の本数までもぼくと一緒だったはずなのに。


「ペローは楽しいこと好きそうだけど、ペルロは色々考えちゃうんだよねえ。ペルロは難しい顔してる時が多いから、見分けがつくようになっちゃったのよ」


 そうか、表情か。にしても良く犬の表情が見分けつくな。ぼくだったら多分区別つかない。


「お会いしたことがないのだものね。緊張するのも分かるわ。でも、大丈夫よ。精霊神様は全てを愛してくださるわ」


 自分の一割でも切り飛ばすヤツが全てを愛しているとは思えないんだが。


 愛ゆえに厳しい試練を与えるとか?


 いやそれはないな。愛する、という感情を知っているならば、ぼくをグランディールから引き離すのがどんなにひどいことか分かるはずだ。ひどいこと、と分かってやったのなら、それは精霊神の心に愛はあっても慈悲はないってことだ。


 この扉の向こうに精霊神がいるという。


 もしそれが本物だったら……文句を言ってやろう。そりゃあもうたくさんの文句がある。どうせイコゲニア一家には鳴き声にしか聞こえないんだろうしね。



     ◇     ◇     ◇



 白い蛍の精霊が、扉の真ん中にある円形の穴に入った。


 扉がゆっくりと開く。


 開く隙間から見えてくるのは、白いもや


「何これ? 何これ?」


「静かに。精霊神様の御前よ」


「黙って奥まで進むんだ」


 イコゲニア一家と一緒に、部屋に入る。


 白い靄が漂う静謐な空間。貴人を葬った墓地だと言われても信じただろう。


 奥まで進むと、パテルさんが立ち止まった。


 マトカさんも、子供たちも。


 ……何だ?


 ペローに警戒を頼み、そっと足を踏み入れる。


 と、白い靄が目の前でこごった。


 ゆっくり、ゆっくりと形になっていく。


 背中の毛が逆立つのが感じられる。


 これは……間違いない、あいつだ。


 精霊神!


「……その顔」


 ゆっくりと白い靄は集まって形になる。


 ぼく……いや、ペルロの姿。


「全く反省していないようだな」


「反省する必要もないと思っているからな」


 ぼくは半目で相手を見る。


「何度も言うけど、ぼくの望むグランディールは、あんたの望むものじゃない。第二のスペランツァにするつもりは、これっぽっちもない!」


「私は、それを君にやってほしいと思っていたのだ」


 仔犬は、白い目で真っ直ぐぼくを見つめる。


「私の現身よ、私は、君に新しい手本の町を創ってもらいたかったのだ。すべての町が手本にしようと思う、そう言う町を」


「ぼくが望む理想の町は、みんなが笑って暮らせる町だ」


「それ即ち、手本になる町、と言うことではないのか?」


「違う」


 ぼくは言い切る。


「町の在り様はその町に住む人が考えなきゃいけないんだ。どんな町に住みたいか、その為に何をしなきゃならないか、みんなで考えて作る。そうじゃないと、みんなが笑って暮らせる町にはならない。グランディールもそうだった。立ち上げた時も、何か起きた時も、みんなで悩んで考えて答えを出して試して失敗して。そうやって創った町だ。ぼくたちが考えに考え抜いて作った町を、簡単にマネできると思ってもらいたくない!」


 白い仔犬ははあ、と息を吐く。


「まだそんなことを言っているのか、君は……」


「ならぼくも言う。まだそんなことを言ってるのかあんたは。他所の人間が簡単にマネできる町なんて、長く続くはずがない!」


 首筋から背中にかけて毛が逆立っているのが感じられる。


「ならば、もう少し私はグランディールにいなければなるまいな。そして、君はもうしばらく聖地にいなければなるまいな。やはり君が頂点に立つのが一番なのだが、このままではまだ君は第二のスペランツァを作りはしないだろうから」


「死んでも作るか、馬鹿野郎!」


 すぅ、と白い仔犬は靄に戻った。


 あの野郎……。


 言い返さなければ、もしかしたら大陸に戻れていたかも知れない。


 でも、ぼくに言い返さないという選択肢はない。


 黙ってグランディールに戻っても、精霊神の意図と外れることをすれば、絶対に精霊神はまたぼくを乗っ取りに来るだろうから。


 ……犬の姿でもいい、グランディールに帰って、精霊神を完璧に追い出さなければ、グランディールはお手本になる簡単な町になってしまう。


 それだけは許さない。許せない!

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