第294話・推理(ティーア視点)

 空を見上げる。


 水路天井のはるか上、小さな影が見えた。


 目を細める。


 ……緋色!


 俺は辺りを見回した。


 皆はそれぞれ自分の目的地に向かって歩いている。空を見る人は誰もいない。俺に向かう視線もない。


 俺はさりげなく人の流れから離れて、裏道を通って門に向かう。


 今の門番はソルダート。元は俺の部下……というか仲間、だった。あいつなら……!


「ソルダート」


「おう、おやぶ……じゃない、ティーア」


 まだ盗賊時代の癖が残ってないのか、言いかけて慌てて言い直した。


「ちょっと外出ていいか?」


「なんでだ?」


 門番としては当然聞く言葉。だけど。


「何も言わずに通してくれよ。俺とお前の仲だろ」


「何か奥さんに言いづらいことでもあるのかよ」


「あー……まあ」


 思わせぶりに言ってやると、ニヤッと笑うソルダート。


「しゃーないなあ、特別に通してやるよ。後で何か寄越せよ」


 ソルダートが難しいことを考えない性格でよかった。


 今はグランディールは移動していなくて、スピティから少し離れた地点に降下している。


 外に出て、辺りを見回す。


 その時、再び空を過ぎる影。


 見上げる。


 向こうの木立に降りる緋色。


 辺りに誰の気配もないのを確認して、走る。


 木の枝にとまったエキャルがいた。


「……!」


 声をあげそうになって、堪える。あの町長誰かにだけは。あいつにだけは、気付かれてはいけない。気付かれたらすべてが終わり、そんな気がする。


 木立に入り、見上げる。


「……エキャル」


 何かをくわえたエキャル。何を咥え……紙?


 それが、俺がエキャルに持たせた紙だと気付いて、俺はそっと手を伸ばした。


 エキャルが首を伸ばして、俺の手の中に乱暴に巻かれた紙を寄越した。


 そっと、開いてみる。


 紙の中央に、泥の肉球痕。


 なんだ?


 エキャルを見る。


 エキャルが誇らしげに胸を張った。


 エキャルがこんな態度を取るというのは、これが間違いなくクレーからの預かり物だからだ。言われた使命を果たしたぞ、と威張っているのだ。


「ありがとうエキャル……分かっているとは思うけど、後から頼む」


 エキャルはもう一度胸を張る。


 俺は木に生った実を適当に取って、門に戻った。



 俺が木の実を持ってきたのを見て、「それじゃどんな女も落ちねぇよ」とソルダートに言われたが、適当にあしらって家に戻る。


 フレディと、子供二人で、食卓を囲む。


「あなた、上の空ね」


「あ? ……ああ、まあな」


「また何かややこしい問題でも抱えたの?」


「抱えたっちゃあ抱えたな」


 まさかグランディールの存亡に関わる大問題を抱え込んでしまっているとは言えない。鳥のことだと思わせなければ。


「おとーさん、また鳥?」


 上の息子が不服そうな顔をして言う。


 思えばこの子たちにも可哀想なことをしている。俺が夢中だった鳥の世話をしていることで、あんまり遊んでやれていない。盗賊時代は子供そのものがいなかったので、同年代の子供たちのいるグランディールはいい環境なんだろうが、父親の俺が遊んでやっていないのは不憫だ。


 この一件が終わって平和になったら、もう嫌だと言われるほど遊んでやろうと心に決める。


「ぼくも遊びたい」


「あたしもー」


 下の娘も頬を膨らませている。


「鳥、嫌いか?」


「おとーさん連れてっちゃうから、嫌い」


「今度、会わせてやるよ」


 不服そうな顔をしていた二人が、一瞬目を輝かせて、でも、と口を尖らせる。


「さわるなって言うんでしょ?」


「あれは俺の鳥じゃないからな。ちゃんと町長に聞いて、許可を取って。そうしたら撫でさせてやる」


「なでれるの?」


「鳥が機嫌いいならな」


 うんうんと頷く二人。


「いつになる? いつ?」


「さーあ。ちょっと今抱えている問題を片付けてからだから」


「西の問題は片付いたんじゃなかったの? それともあなたが関わっているんだから鳥の問題?」


「鳥の問題」


「なら仕方ないわね」


 フレディが肩を竦める。


「あなたは鳥が関わると人が変わるんだから」


「変わるの?」


「変わるわよ」


 そんな平穏な会話を続け、夜が更けていく。



 フレディが寝たのを確認して、そっと起き上がり、懐に隠していた紙を取り出す。


 肉球判の押された紙。多分犬。大きさからみて仔犬の足跡。


 町長クレーが送って寄越したんだから、適当な犬の足跡を押して送ったわけがない。


 仔犬……足跡……クレーの送ったもの……。


 仔犬が傍に居る……?


 いや、それだったら仔犬について何か書くだろう。何も書かずに足跡だけ……。


 仔犬の足跡しか送れない状況……?


 そんな状況があるかどうか考える。


 エキャルが持ってきたもの。エキャルはこれがクレーのものだと分かっている。クレーが送って寄越した犬の足跡……足跡しか送れない状況……。


 まさか。


 いや、冗談としか思えないけれど……伝説や物語では語られている、今ある情報を全部集めて思いつける、その状況。


 今、クレーは。


 グランディールではない、何処かで。


 犬に……なっている?

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