第283話・ブラッシング

 グランディールの皆は大丈夫だろうか。


 用を足してから、天を仰いで、ぼくはみんなの心配をする。


 もちろん、今ぼくを名乗って行動しているのは精霊神。だから、人間を傷付けたり怯えさせたり、というのは、基本、しないだろう。


 基本、と断りを入れるのは、精霊神あいつ、ミアストにやったことがあるから。


 守る存在を傷付ける者には、精霊神は容赦しない。それが人間であろうとも。ミアストはあの腰巾着と共にどの町にも留まれず、放浪を続ける罰を受けた。期間は分からない。恐らくは心から悔やんだ時という縛りがついているけど、その縛り解除の方法は本人には知らされないから、恐らくは一生解除できないんじゃなかろうか。二人とも、反省とか後悔とか金を積まれてもやりたくないって人間だから。


 だから、精霊神をぼくだって思っている間は、安全なんだろう。それは精霊神の意図に沿った行動だから。


 問題は、ぼくに疑問を抱いた人。


 精霊神が第二のスペランツァを作ろうとしていることに疑問を持ち、調べようとする人。


 それが、精霊神の意図に反する行動だとしたら。


 グランディールから追い出されるだけならまだマシ。


 ぼくにやろうとしたように、その考えを捨てるために、と異空間へ閉じ込める可能性もある。


 そして、精霊神は人間のひ弱さを知らない。……っつーか、分かってない。


 あんな空間に普通の人間が一人閉じ込められたら、一日ももたずにおかしくなる。


 誰もいない、灰色の空間以外何もない、時間の経過すら分からない、そんな場所で、どこまで持ちこたえられるか。


 ……いや、正直言うと、グランディールの誰にもあんな空間に入って欲しくない。あんな、あやふやで、無彩色で、感触もなく、自分の存在すら分からなくなってしまう場所に、ぼくのせいで誰かが入れられるかと思うとそれだけで心臓をわしづかみにされる気がする。


 となると、ぼくが直接精霊神をぶん殴るしかないが。


 この身体じゃあなあ。


 視線を下に移すと、ふわふわの胸毛と将来大きくなりそうな太いけど幼い前脚が目に入る。


 そもそもこの身体、育つのか?


 この大きさのまま延々生き続けるんじゃなかろうか。


 ゾッとするぞ、おい。永遠に仔犬のままって。


 この太さからしてかなり大きく育つとは思うんだけど、それも成長したら。


 成長しなければ、一生肉体的にか弱い仔犬のまま……?


 くっそ、ここでぼくの心を折ろうとでもしてんのか?!


 なら、意地でも屈してやんない。


 絶対に戻る。グランディールへ!



     ◇     ◇     ◇



「ペルロ?」


 あ、しまった。考え事しすぎた。


 ごめんなさいマトカさん。ドア開けて待っててくれたんですね。


 たったったっと足取りを軽くして、何にも考えていませんよ、という顔で家の中に入る。


 途端に子供二人に襲われた。


 いや、あっちは襲った気はないんだろうけど、ぼくの今の身体からしてみれば人食い熊にのしかかられたようなもんだから!


「ほら、飛びつかない。ペルロが可哀想でしょう?」


 マトカさんがやんわりと二人を引き離してくれたおかげで、ぼくはほっとした。


「ほら、ブラッシングしてあげなさい」


「ぼくがやる!」


「あたしがやる!」


「取り合いしない。交代です」


 ツェラちゃんがブラシを持ち、毛を……毛を……!


「きゃいん!」


「力尽くでやらない!」


 痛い……痛いですツェラちゃん! 力いっぱいブラシで引っ張られると、皮膚とか絡みついた毛とかが引っ張られて……!


「あっ、ご、ごめんペルロ!」


「もーう、お姉ちゃんはダメだなあ」


 今度はフィウ君がブラシを持つ。……もう嫌な予感しかしません!


「ほーら!」


「ひぃんっ!」


「逆撫でしない!」


 尻尾から頭まで、逆撫でにザーッと、ね! 全力でね!


 毛並みと逆だから引っ掛かるしギシギシ言うし! 何より違和感と嫌悪感が物凄い!


「ほら、ダメでしょう、嫌って言ってるでしょう?」


「え? ダメなの?」


「ダメに決まってるでしょう」


 マトカさんは手を伸ばし、ツェラちゃんの頭をガシガシして、フィウ君の髪の毛を毛先から頂点まで逆撫でした。


「痛い!」


「いやあ!」


「痛いし、嫌でしょう? そう言うことを、二人はペルロにやってたの」


 ぼくの気持ちをやっと理解してくれたのか、しょんぼりする二人。


「見てなさいね」


 マトカさんがブラシを持って、ぼくを膝の上に乗せて、逆撫でされて毛羽立った背中を丁寧にほぐしてくれた。


「そっと、そーっと。毛が引っ掛かってもすぐに直してあげられるくらいに、そーっとよ。丁寧にやってあげるの」


 ああ~気持ちいい~。


 ブラシの毛先が皮膚を心地よく刺激して、もしゃもしゃにされた毛も綺麗に整えてくれる。


「ブラシの先がペルロの身体にちょっとつくくらい。それで、ゆっくりと絡んだ毛をほぐしてあげるの」


 気持ちいいですマトカさん。犬とか猫とか飼ったことがおありで?


「お母さんは何処でそういうことをならったの?」


「お父さんの取った獣の毛皮を整えたりしてね」


 ……すいませんぼくの毛皮剥がないでください。


「ペルロの毛皮、ダメ!」


「大丈夫よ、ペルロの毛皮は剥がないから」


 うん、冗談だろう、冗談だろうとは思っているけど、なんかマトカさんって時々真顔で言うから怖い。


 でも膝の上でぬくぬくで毛をかれるのは気持ちいい。

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