第278話・その頃。グランディール。

 クレーがペルロという名を与えられてイコゲニア一家に迎え入れられていた頃。



 グランディール。



「どうした、エキャル」


 ティーアは机の上に座っているエキャルの手入れをしながら、声をかける。


「不機嫌だな」


 エキャルラットは首をそっくり返りながらCの字に曲げて、背中を手入れしているティーアを見る。


 黒い潤んだ目は、不平不満鬱屈ふへいふまんうっくつを溜め込んでイライラしているように見えた。


 エキャルのこういう表情を見たのは、初めてじゃない。


 というか、グランディールにいてクレーが触れ合える場所にいない時は、大体こんな表情だ。


 仕事を頼まれて出かけている時はちゃんと伝令鳥らしい行動をしていて、受け取った町の町長なんかからよく褒められている。外面はいいのだ。


 ただ、グランディールにいて、クレーの傍に居られない……鳥を入れない会議中とかそういう時は一応離れているけど、鳥部屋で滅茶苦茶不機嫌に過ごす。で、クレーが出てきたと分かった途端突進して行って撫でてもらう。


 でも、今回はおかしい。


 明らかにおかしい。


 クレーは、グランディールにいる。


 西の民は一応反省しているらしく大人しくしているし、東の民もそんな西の民にしばらく様子を見ようじゃないかと言うことになって、互いに観察し合っているような状態。でも一触即発、というわけでもない。


 そんな状態で、クレーは冷静に行動している。


 最初はエキャルをもしゃもしゃにしたくらい色々ごちゃごちゃしていたようだが、今朝アナイナと一緒に食事をとってからはいつものように会議堂でアパルやサージュと話し合ったりして時を過ごしている。


 そう、いつもと、同じ。


 なのに。


 ……その中に、エキャルだけがいない。


「エキャル、お前」


 ティーアは聞いてみた。


町長クレーとケンカしたのか?」


 あの動物好きでエキャルに真っ先に気に入られていた町長が、そんなことをするわけがないと思いながら。


 エキャルは首を戻し、首を右に傾げ、左に傾げしてから、ティーアを見た。


 足はたしんたしんとタップを踏んでいる。町長がタップの踏み方でエキャルの機嫌を読み分けるので大したもんだと思っていたら、付き合いが長くなればエキャルの感情表現は大体わかるようになった。


 そして、この踏み方は。


 否定。拒否。拒絶。怒り。


 怒ってる? 町長に?


 まさか。エキャルが怒る理由がない。町長がエキャルをもしゃもしゃにしてしまって慌てて鳥部屋に駆け込んできたのはつい昨日のこと。ふわふわの羽毛をもしゃくしゃにして、絡んでいるのを解くのに苦労したけど、本鳥エキャルは自分のふわふわな羽毛が役に立ったのが嬉しいと踊っていた。


 そんなに仲が良かったのに、一晩明けただけでここまでになるか?


「町長は……何かしたのか? お前に」


 たっしんたっしん。


 これはタップというより地団駄だ。何故分かってくれないの、とでも言うような。


「悪い、鳥飼なんて言っても俺は一介の世話係に過ぎないんだ。町長のようにお前の考えていることを察してやることが出来ない」


 したしんしたしんと激しく踏み鳴らす足。


「町長、何か、あったのか?」


 エキャルのタップが終わり、羽毛が膨らんだ。


 あったんだ。


 町長に、何かがあった。


 一晩。たった、一晩。


 町長とエキャルと一緒にいたのは、ほんの昨日。


 町長がエキャルがもしゃもしゃになったと駆け込んできたのは昨日の昼過ぎ。エキャルが予想以上にもしゃくしゃで手入れに酷く苦労した。ふわふわしたものを触っていると落ち着くと言った町長に、エキャルや宣伝鳥の羽毛を入れた袋を渡してやった。


 あの時は、いつもの町長だった。


 じゃあ、今は?


 アナイナもアパルもサージュも、何かしら変な様子はない。だけど、エキャルは明らかに昨日と違う。暇があれば町長の頭の上でしたんしたんしていたエキャルが鳥部屋から出ずに町長の顔も見ずにイライラ……。


 何か、ある。


「ちょっと待っててくれ、エキャル」


 ぶん、と首を縦に振ったエキャルに頷きかけ、ティーアは外へ出た。



 会議堂。


 会議室からはいつものように話し合いをする声。


 コンコンコン、とノックする。


「はい?」


「ティーアだ」


「どうぞ?」


 いつもの町長の声。


 ドアを開けると、いつもの三人が座ってこっちを見ていた。


 いつもと違うとは思えない。普段通りの町長だ。


 だけど、エキャルは明らかにいつもと違うと言っている。


 何かとっかかりは……。


「町長」


 ん? と町長が顔をあげる。


「昨日の贈り物は役に立ちそうか?」


 一瞬。


 ほんの一瞬だけど、町長が無表情になった。


 なんだ?


 頭に刻み込まれた、目の前の自分を何とも思っていない顔。


 だが、それは幻のように消え、いつもの笑顔になる。


「うん。役立つよ。ありがとう」


「何のことだ?」


「昨日、心が落ち着く贈物をね」


 にっこりと笑う町長。


「何なんだ? それって」


「内緒」


 町長、にっこり。


「ティーア?」


「ああ、秘密だよ。大事にしてくれな。おまえに役立つと思ったんだから」


「分かった」


 ティーアは頷くと、背を向けて出て行った。


 その直後、ドアに耳を当てる。


『ティーアからの贈り物ってなんだ』


『内緒ってことで受け取ったから、言えないんだ』


 ティーアはそれを聞くと、足早に会議堂を出た。

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