第276話・小さな感謝
子供の足で少し歩くと、川沿いに小さな水車のついた家があった。水車と言ってもかなり簡素なもので、それでもこの家の一番の財産だなと思わせる。
「ただいま!」
ドアの前で二人が声をあげると、ドアが軋みながら開いた。
「お帰り……って何持ってきたの」
母親らしき人がぼくに目を止める。
「お母さん、この子、お家に入れていい?」
「ダメに決まってるでしょ」
うん、分かってたけど。ぼくが子供の頃も似たようなことあったし。
「でもね、あのね、このわんちゃん」
お姉ちゃんが藤のカバンを差し出す。
「何この血塗れ! ……って」
血塗れの布から出てきた死んだ蛇を見て、母親、絶句。
「人噛み蛇……!」
「このわんこ、それ、つかまえたの!」
フィウ君がぼくの手柄をアピールする。
「わんちゃんに干し肉あげたらね。わんちゃんがね、つかまえてくれたの! 草むらの蛇をね、がぷって!」
「本当に?」
母親は蛇の傷をじっくり見て、拭いてはもらったものの口周りや胸が血塗れのぼくを見る。
蛇とぼくを交互に見て、小さく溜息をついた母親。
「そう。命の恩人で、ご飯を自分で捕ってきたんなら、入れないわけにはいかないわね」
はい。ご飯はその蛇でも文句は言いません。ていうかぼくも食べたこと何度かある。凶暴で厄介な蛇だけど、鶏に近い味がしてなかなかいけるし栄養もある。何より無料。なので、エアヴァクセン近くの草原では人を噛みたい蛇と蛇を食いたい人の間で火花散らす争いが繰り広げられていた。
にしても、ここは何処だ?
精霊神がすっ飛ばしたんならグランディール……スピティからは離れてる。
あの底意地の悪い精霊神だ、大陸の外であったとしても驚きゃしない。
何としてでも帰りつく気ではあるけれど、途中で道に迷ったら元も子もない。この身体は悪意の察知が出来るようだけど、スキルが使えるか分からないし、精霊神の力が使えるかはなお怪しい。
とにかく、この家で知識を溜め込み、やれることを覚え、グランディールに辿り着いてあの精霊神を叩き出してやる。畜生。
「ちょっとそのわんちゃん貸してね」
「お母さん?」
母親はひょいとぼくを抱き上げる。
「ちゃんと洗って来るわ。このままじゃ生臭くなるから。あんたたちはお父さんに蛇を見せて、捌いてもらってきなさい」
「はい!」「はーい!」
姉弟は手を挙げて、母親から蛇を受け取ると家の裏の方に回っていった。
母親はぼくを抱えて水車が回っている小川のあるところへ行く。
まさかですが。
まさか、このまま川に流しちゃう気じゃありませんよね?
小さい頃拾ってきた猫を捨てられた思い出が蘇る。
鳥を拾ってきて絞められて捌かれたとかも。
確か犬を食べる民族もあったような。
お願い、ここがそんな場所じゃありませんように!
まさか精霊神、ぼくを死なせることで一割の浄化を狙ってるとか?
だとしたら呪うぞ! 新たな闇精霊になってやるぞ!
水につけられた。
つべたい。
ぶるるっとしたぼくを、川の浅い所につけて、あの姉弟の母親らしき人がこびりついた血を丁寧に落としてくれる。
……良かった。
そして疑ってごめんなさい! 完璧に親切だったのに!
母親は前足の爪の間から口の端まで丁寧に血を拭ってくれた。
「人噛み蛇を仕留める仔犬なんて聞いたことないけど……あの噛み傷はあんたの口にぴったりだったしねえ」
川から上げられる。
本能とでもいうのか、無性に体が動きたがる。
「ほら」
布でガードしているので、遠慮なくブルブルブルっと体を震わせる。うん、こうやって水を弾き飛ばさないと、毛皮の奥に入った水が乾かなくなる。
冷たいのがなくなるまでブルブルしてから、大人しくしていると綺麗に拭ってくれる乾いた布。
「ツェラとフィウを助けてくれてありがとうね」
姉弟の母親がぼくの顔を覗き込む。あのお姉ちゃんはツェラって名前なのか。
「あの子たちはあたしたちの
感謝しなくていいです。むしろぼくが一飯の恩義で感謝しなきゃいけないんです。
「さ、あとは調理炉の傍にいようね。そうすれば綺麗に乾く」
尻尾が勝手にふるふる振れる。
抱えられ、汁物がかかった小さな炉の傍に連れていかれる。
ほこほこになって、まったり。
「おう、これか。人噛み蛇を仕留めた犬は」
ぬっと入って来たのは、びっくりするくらいの大男。
いや、ぼくが小さくなったから大きく見えるだけかもしれないけれど。
でも怖い。怖いです!
ティーアに負けないほどの強面だし!
その強面さんはじっとこっちを見てくる。
見返すぼくの尻尾は……後足に巻き付いている。まずい、ビビってるって一発でわかる。
「おう、驚かせたな」
大男は
その後ろから姉弟も入って来た。
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