第253話・嫌いになった

 アナイナはまるで初めて見る町のようにきゃあきゃあ言いながら町に向かって行く。


 一人いた町民がこっちを見た。


 アナイナが笑顔で近付いてくるのを見て……。


 慌てて地面に這いつく……違うな、五体投地した。


 最も尊い相手にする礼……聖女だもんな。精霊神に最も近い場所にいる存在だもんな。


「?」


 アナイナ、本気できょとんか。


 自分が聖女だってまだ理解しきってないな?


 這いつくばった町民の、頭の先を見て。


「……なんかある?」


「なんかある、じゃない」


 この町民は肌の色でわかる。淡い褐色の肌は西の人。そして西の人は信仰心が篤い。


 道で聖女なんかと出っくわしたら、まあこうなる。


「えーと?」


 アナイナは首を傾げた。


 そして、振り返る。


 自然にアナイナの後ろにいるぼくと目が合う。


「お兄ちゃん、なんかしたの?」


 お兄ちゃんは何もしてません。


 その人が五体投地してるのは、お前が聖女だからです。


「あのー。大丈夫ですか? お腹でも痛い?」


 違うと思います。


「アナイナ」


「ん?」


「立てって言わないと、その人はお前が行くまでずっとそのまま」


「なんで?」


「聖女だから」


 ……うん! 全然理解してないね! 聖女ってのはただの偉い人的な認識しかなかったね!


「聖女ってのは一番精霊神に近い所にいる人間だから、どんな格好してようとどんな態度だろうと信仰心篤い人ならこうなるの。そもそも道で出くわすことすらない人なんだから」


「ええんああもう~! 立って! 立ってください!」


「畏れ多い……聖女様……」


「大丈夫だから! わたしにそんなことしなくていいから! ねえお兄ちゃんどうしよう~」


 こっちを向いて聞いてもお兄ちゃんには答えられません。


「え、えぇと……」


 困り果てたアナイナが目線でぼくに助けを求めてる。


 しょうがないねえ。


「お立ちください」


 ぼくはアナイナの前に出て、膝をついて言った。


「聖女様がそれをお望みです」


「し、しかし、あまりにも勿体ない……」


「聖女様の望みを聞き入れないと?」


「失礼しましたっ!」


 五体投地の体勢から膝立ちになる。


「私はポリーティアーから移民してきたプロセウケー・オーラーティオーと申します! 聖女様に直にお目にかかれるとは何と有難いことか、聖女様と聖女様をお守りする精霊神様に永久とわの栄光がありますように!」


 膝立ちに手を組んでここまで一気に言い切ったプロセウケーさん。


 やっぱ西の人だったか。しかもアナイナに会ったことがなかったんだな。


「え……えーと?」


 見上げてくるアナイナに、ぼくは頭を掻いて、アナイナに囁いた。


「ありがとう。貴方に精霊神の御恵みがあるように、と」


 パッと顔を輝かせ、アナイナが言う。


「あ、ありがとうございます。貴方にも精霊神の御恵みがありますよう」


「大いに感謝します!」


 そのまま頭を地面につける。


 ぼくはその人の前を通り過ぎ、歩いていく。


 アナイナはしばらくプロセウケーさんの後頭部とぼくの背中を交代で見ていたようだけど、小走りでぼくの所に来た。


「今の人」


「あれが、当たり前だから」


「え?」


「あれが、聖女って言う存在に対する当たり前だから」


「……え……」


 アナイナは言葉を失う。


「精霊神の許可を得て町を歩けるようになっただろうけど、聖女って存在の扱い方は今のプロセウケーさんが当たり前だから。西の人たちにとってお前は最も精霊神に近い、とても手の届かない尊い御方だから」


 眉間にしわを寄せて首を傾げるアナイナ。


 理解できないだろうなあ。


 今までアナイナに礼儀を求めて来た人間が、全員頭を下げることになる。町長のぼくですら敬意をもって対しなければならない相手。


「もちろん、ぼくだってお前に敬意をもって話さなければならない。今こうやって普通に喋っているのは、ぼくとお前が兄妹で、ぼくが町長で……それでもかなり無礼になることなんだ」


「無礼?」


「やっちゃいけないこと。尊い人に対する扱い方じゃない」


「拳骨だってくれたじゃない」


「神殿の中だったからな」


 小声で喋りながら、ぼくは歩き続ける。


「神殿の人間は、お前のことを知っている。それでも神殿の奥って言う場所があるからこそ、聖女と軽口が叩ける。町の初期メンバーは、お前のことを知っている。それでも今までのように気軽には喋れなくなる。ぼくも、ここから先は聖女に対する町長としてやらせてもらう」


「……お兄ちゃん?」


「で、どちらに参りたいのですか、聖女様?」


 言葉を切り替えたぼくに、アナイナは一瞬無表情になった。


 ぼくが初めて見た顔。


「ちょっと、お兄ちゃんだけに言わせて」


 タタッと駆け寄って、ぼくの腕を引き、吊られて下がった耳元に顔を寄せる。


「わたし今、精霊神様が嫌いになった。聖女なのにね」


 うん。ぼくも精霊神が嫌いになった。当人なのにね。


 言葉の代わりに手を伸ばして頭を軽く撫でてから、ぼくはアナイナの少し後ろを歩いた。


「……食堂」


 アナイナがぼそっと喋った。


「食堂に行きたい。清浄を保つ必要がないなら、食べてもちゃんと後で清めればいいんだよね?」


「畏まりまして」


ぼくは人の少ない通りを選んで歩いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る