第252話・着替え完了

 神殿に招き入れられる。


 ヴァチカが先頭切って歩いてくれるおかげで、通路で迷わずに済んだ。


 ……迷う?


「……西の人って、神殿に迷路を求めてた?」


「あー。それ、マーリチクです」


 神殿の守りを引き受ける守護者マーリチク。精霊神から与えられた力で、神殿の内部に影響を与えることが出来る。その影響から逃れられるのは、神殿に住む聖職者たちのみ。


 で、そのマーリチクは結構内向的で臆病な性質たち。宴会が終わっても町民が聖職者から祝福をとか色々な理由をつけて押しかけて来るので、怯えたマーリチクが押しかけてこられないよう迷路にした、と。


 町長のぼくも迂闊うかつに入ると迷うだろうな。マーリチクがぼくに気付いて迷いの術を解いてくれれば別だけど。


 ……もちろん精霊神の力を使えば、神殿だろうが何だろうが大陸中何処でも秒で行けるけど、それは使わない。便利だろうが不便だろうが、使わないったら使わない! 僕は精霊神じゃありませんっ!


「町長?」


「え? あ、何でもない何でもない」


 手をひらひらさせる。


「心配事だったら、聞きますよ? 役に立たないだろうけど。でも、どんな相手だろうと愚痴とかを聞くのは聖職者の役目ですからね。それがあたしたちの仕事ですから!」


「心強いよ」


 どんっと胸を叩くヴァチカは、聖職者というより頼れるお姉さんって感じだ。いや、ぼくより年は下だけど、そういう頼りがいがある人って意味で。


 グランディールの女傑たちが手を出せなくなった今、アナイナの傍にヴァチカがいてくれることが本当にありがたい。


「アナイナを、頼むね」


「それについては、もう任せちゃってください!」


 ……てかなんでうちの町の女性陣は強者が多いのか。


 ぼくが気の強い女性に弱いから? うーん。どうだろう。


 精霊神が気の強い女性に弱い? うーん。そっちはありそう。


「町長、さっきから何考えてるんです?」


「いや、人とそうでないものの思考回路について」


「?」


 きょとんとするヴァチカ。うん、まあ、そうなるよね。


「とにかくアナイナの所に行かないと、あいつ腹立てるから」


「そうだね。あたしもそう思う」



 ヴァチカは早足になり、ぼくもその後についていく。


 一番奥の、美しい彫刻が施された扉の前に出る。


 それが、聖女の私室の扉。


 ヴァチカが、精細な彫刻何のそのの勢いでドアノック。


「アナイナ! お兄ちゃんが、服持ってきてくれたよ!」


「え? マーリチクが?」


 ぼくは崩れ落ちそうになった。


「なんでマーリチクがあんたの服持ってくんのよ! あんたのお兄ちゃん、クレー町長に決まってるでしょうが!」


 がちゃっ!


 扉が開き、くしゃくしゃになったグランディール正装のままのアナイナが笑顔で出てきた。


「お兄ちゃん! 来てくれたんだ!」


「お前、まだそんな恰好だったんだ」


「だって、お兄ちゃんに会えなくなっちゃうって言われたし泣いてるうちにミアスト出たし頭痛くなったし気絶しちゃったし寝て起きたら今日だったしそれに」


「分かった、分かったからとりあえず着替えろ」


「えー? わたしの着替え見たいの?」


 鉄拳制裁。


「痛い~、お兄ちゃんひどい~!」


「兄をからかってはいけません」


「聖女殴っていいと思ってんの~?」


「兄として妹を躾けただけです」


「ほら、早く着替える!」


 ヴァチカがアナイナを引きずって部屋の中へ消えた。


 扉が閉められれば、聖女の私室は完全に断音となる。聖女は眠りの中でお告げを受け取るので、時々寝言になることもある。誰にもそれが聞かれないようにされてるのだ。


 それにしても……元通り生活していいって分かったら、本当に元通りになったな。アナイナは。


 意識の切り替えは早い。とにかく早い。ダメだとなると大泣きして、それが何とかなると笑う。表情のよく変わる子。


 良く言えば感情表現が豊か。悪く言えば気紛れ。


 アナイナはそういう子。



 着替えて出てきたアナイナは、いつも通りの服装だった。


 町中歩き回ってあっちに顔出しこっちに手を出し、食堂から陶土採掘所までウロチョロするアナイナには、一張羅いっちょうらは町の正装、とにかくオシャレより行動しやすさが第一。


 七分丈のシャツにハーフパンツ。剥き出しの足は、よく見るとかさぶたや引っかき傷がうっすらと見えている。


 ……この姿を見て聖女と思うヤツはいないな。うん、いないな。


「町を見たい、町」


「宴会が終わっただけで何にも変わってないぞ?」


「見たいの! 町!」


 なんだってそんなに町が見たいんだ。


 っと、そうだ。


「ヴァチカはどうする?」


「あたし?」


 きょとんとした顔をするヴァチカ。


「そうだ、わたし、まだ町で案内してなかった場所があるの。行こう? 一緒に行こう?」


「んー。やめとく」


 食い気味なアナイナに、ヴァチカは申し訳なさそうに手をひらひらさせる。


「マーリチクが不安がってるからさ。片割れのあたしとしては、あんまり傍を離れたくないの。アナイナの傍にはクレー町長がいれば十分でしょ?」


 まさか聖女を助けるために使う力の出し惜しみはしないわよね? と視線が言っている。


 はい。アナイナがヤバかったら力を使うこともやぶさかではありません。


「行こう!」


 アナイナに手を取られ、ぼくたちは外への道を走り出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る