第239話・アナイナの涙

 重い息を吐いて神殿へ向かう。


 アナイナが聖女であることを受け入れるかどうか。もう町民は聖女を得たということで有頂天になっているけど……受け入れなかったらどうするか。心変わりがあればいいけれど、なかったら……。


 また溜息が漏れそうなのを気力で引っ込める。


 聖職者四人、しかも大神官や聖女と言ったトップクラスが生まれて溜息をついているなんて、何を考えてるのかと不審に思われても仕方がない。


町長クレー


「何だい?」


 振り向いた先で、サージュが微かに眉間にしわを寄せ、アパルが眉を下げてぼくを見ていた。


「ここは……町民以外は入れない」


「町民は居るだろう?」


 完全に町長の顔を作って、ぼくは前へ向き直る。


「そうだ、が」


「今は、町長であることを優先させる。いや、優先させてほしい」


町長クレー……」


「心配顔もやめてくれ、二人とも」


 ぼくは振り向かずに言った。


「この状況でぼくたちが沈んだ顔をしていたら、町民が不安になる」



 神殿の聖堂に着いた。


 聖職者四人はそこにいる、と西出身の町民がこっそり教えてくれた。


 ぼくは町長の顔を作ったまま聖堂の巨大な扉をノックする。


 ぎぃ、と中からドアが細く開いた。


 「守護者」のマーリチクが隙間から確認して、ぼく、アパル、サージュと確認して人が通れるくらいドアを開いた。


「町長……」


「アナイナは?」


「ずっと泣いてる……」


 アナイナがそこまで負の感情を引きずるのは初めてだ。


 やっと、分かったんだろう。


 グランディールと言う町の一番深い所から、出られなくなってしまったということに。


「例えば……」


「うん?」


「ヴァチカが聖女だったら、何の問題もなかったと思う。僕たちは聖職者になるのが夢で、その為に何を犠牲にしなきゃいけないか知ってたから。ヴァチカが選ばれたなら、ヴァチカはきっといい聖女になっていたと思う」


「……ああ」


「……精霊神様は何をお考えになったんだろう。アナイナは……聖女向きじゃないよ。せめて癒し手だったなら、グランディールの中なら問題なかったのに」


 マーリチクは決してアナイナを軽視しているわけでも、ヴァチカを高く見ているわけでもない。同じ成人式を受ける仲間として紹介されてから、一緒に町中歩き回ったり、遊んだり、学問所で一緒に勉強したりしていた。だから、短い付き合いだけど、アナイナのことも性格も分かっている。


 神殿の奥深くで一人祈る生活が似合うとはぼくも思わない。


「……町長、アナイナって何処かで踊ったことある?」


「え?」


「伝承にあるんだ……。美しい舞手を精霊神が聖女として求めるって……」


「踊り……踊りね……」


 そこでハッと思い出した。


 グランディールが出来たばかり。まだ住民が七人しかいなかった時。


 町が出来た記念に、グランディールの初期メンバーで行った宴会。


 そこでアナイナは躍った。焚き火の炎の周りで。


「……それだ」


 そのことを話すと、マーリチクは暗い声で言った。


「焚き火の周りで踊るのは、精霊神に直接繋がること……。だから聖女も町中に灯された炎の中で踊る……」


「……まさか」


 あの時、素朴な祭りを盛り上げるため、焚き火の周りで踊ったアナイナ。それを精霊神が見てた? 気に入った?


 ……シャレにならない。


 怨むよ精霊神……。


「……町長、アパルさんとサージュさんも、とりあえず入って」


「清浄が基本なんじゃ?」


 アパルの言葉に、マーリチクは首を竦めた。


「怪我人とか病人とか、あと別の町の神官とかが会いたいとかって言ってるらしいんだ。町民も。ここにいるって分かったら町民と町民についてきた人たちが押し寄せて来るから。ここが一番安全なんだ」


 頷いて、アパルとサージュと一緒に聖堂の中に滑り込む。マーリチクが手を触れると、扉が閉まる。


「これは?」


「スキル「守護者」の力。神殿の中にさらに安全な場所を作って守るんだ。今はこの扉に神の錠前と硬化の力をつけた」


 なるほどね。守護者ってのは、聖職者にして他の聖職者を外敵から守るためにあるんだ。


「アナイナ」


 奥から聞こえるすすり泣き。


「なんで……なん、で」


「アナイナちゃん……」


「わたし……もう神殿から出られないの……? お兄ちゃんとも……お父さんお母さんとも……クイネとも……アパルや、サージュや、それから……」


 ヴァチカがよしよしとアナイナの頭を撫でる。


「なんで……わたし……」


「アナイナ」


「お兄ちゃん……!」


 目も鼻もぐしょぐしょにしたまま、アナイナがぼくを見る。


「……どうする?」


「…………」


 ヴァチカの胸に顔を埋めるアナイナ。


「……みんな、聞いた……よね。わたしが……聖女、だって」


「……ああ」


「スキル持ってて、聖女やらないって言ったら、みんな……ガッカリ……するよね……」


「…………」


「分か……てる……分かってる……スキルで、将来、決まらないって……言っても……」


 ぐしゅんとヴァチカの胸の中で鼻をすするアナイナ。


「「聖女」なんて……何でも、自由って言う、この町でも、逃げ……られない……!」


 西の三人組は顔を見合わせ、ぼくはヴァチカの胸に抱き付いているアナイナを黙って見つめる。

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