第175話・これから先

「あ……」


 スヴァーラさんは片手で自分の口を押えた。


「まさか馬鹿真面目にエアヴァクセンに帰るつもりじゃなかったでしょうね?」


 しばらく絶句したまま。


 そう、考えたこともなかったんだろうね。鳥と一緒にエアヴァクセンを出られる日が来るだなんて。


「オルニスくんにとってはこのフォーゲルにいれば安心だと思いますが……エアヴァクセンの人間が来る可能性もありますし」


「一応釘は刺したが、ミアストは都合よく忘れる天才でもある。そして図々しい。再び何かを言いにエアヴァクセンから使者を派遣するかも知れない。その時に貴女の姿を見られると厄介が起きるかもしれない」


「それは……困りますね」


「では、いっそグランディールに来ますか?」


 え、とスヴァーラさんがまた目を丸くする。


「でもワタシ、エアヴァクセンの人間で……」


「グランディールの初期メンバーは、エアヴァクセン町民ばかりでしたよ」


 うん。ぼくとアナイナが仮町民で、残りはエアヴァクセンを追い出されたり自分から出てきたりした盗賊団。ぼくがエアヴァクセンを追い出されたほぼ直後に作ったからな。そりゃあ近場の人しかいないだろ。


「でもワタシ、ミアスト町長の側近で」


「扱き使われてたんでしょう?」


「……ええ」


「モルに脅されたり殴られたりしてたんでしょう?」


「……ええ……」


「こうなってまでミアストに味方する義理はあります?」


「……ないわ」


「ならいいじゃないですか」


「……いいのかしら……」


 スヴァーラさんはアパルと同じように生真面目な性格らしい。目を伏せ、腕を組んで考え込んでしまった。


「まだ体が完全に治ってはいないんですよね?」


 ぼくの問いはアッキピテル町長に。


「しばらく静養したほうがいいとは言っていたね。定期的に殴られていたのだろう?」


「……オルニスを庇うとワタシも殴られたから……」


「鳥を質にとって痛めつけ、それでも聞かないと本人を殴る。いずれ鳥への暴行でモルとやらを罰したいところだが」


「今やるとスヴァーラさんが巻き添え食うからやめてください」


「分かっているよ」


 アッキピテル町長は分かっている、と言いながらも、言いたいことはたくさんあるという顔で腕を組んだ。


「しばらくフォーゲルで養生してください」


 ぼくは壁の近くに行って、窓を開ける。


「おいでエキャル」


 バサバサッと羽音がして、緋色の伝令鳥……ぼくの愛鳥エキャルラットが入ってきた。


「綺麗な伝令鳥……」


「こいつがオルニスくんをグランディールまで連れてきたんです」


「……エキャル?」


「エキャルラット」


「ありがとうエキャルラット……あなたのおかげでオルニスも、ワタシも、助かったわ」


 エキャルは機嫌よさそうにスヴァーラさんの前に喉を差し出した。喉はほぼすべての生き物の弱点で、伝令鳥には封筒を括り付ける大事な場所でもある。それを差し出すのは、信頼しているよ、という証拠。


「撫でていいでしょうか?」


 恐る恐る聞いてきたのに頷くと、スヴァーラさんはそっと手を伸ばして、緋色の羽毛で包まれたエキャルの首を指先で撫でる。


「ありがとう……本当に。あなたのおかげ。私がいまここに、オルニスと一緒にいられるのはあなたのおかげ。感謝してるわ……ありがとう」


 エキャルは喉を反らしてもっと撫でろと要求。スヴァーラさんが撫でてやると、ますますそっくり返る。


「はいエキャル、そこまでね。それ以上首が反ったら変なことになりそうだから」


「さすがにり過ぎで担ぎ込まれた鳥は今のところ一羽もいないな」


「フォーゲルの史上最初の例になるんじゃないよ、エキャル。ほら」


 エキャルを掴んでぼくの頭に乗せると、首を曲げてぼくの額にこつん。


「可愛がられているんですね」


「焼きもちもしばしばですけど」


「分かります。オルニスも時々ワタシをつついてこっちを見ろって言いますから」


 自分の右肩に手をやって、そこに留まっているオルニスを指先でくすぐる。オルニスは機嫌よさそうにさえずった。


「しばらくこの部屋を貸すから、養生してくれ」


「いえ、鳥を守れなかったワタシがフォーゲルのお世話になるなんて……」


「貴女が鳥を丁寧に扱っていたのは分かる」


 アッキピテル町長は、険しい印象を与える顔を微笑ませていた。


「そうでなければ、エアヴァクセンから逃がしたオルニス君がわざわざグランディールまで助けを求めて飛びはしない。お互い愛し、愛されて、町から解放された時にまず飼い主を助けることを選んだ鳥の飼い主は、フォーゲルで把握している飼い主の中でもトップクラスだ。だからこそグランディールがこの提案を持ち込んだ時、喜んで了承したんだ。そんな鳥と飼い主が幸せになれないと、嘘だろう?」


 ぼくとアッキピテル町長の視線を受けて、スヴァーラさんはしばらく困ったように視線を泳がせて、ちょっと俯いて、それから顔を上げた。


「これまで、これからのことを考えたことがないんです。今目の前にある難題をクリアすることしか思ってなかったから」


「ああ。ミアストの常套じょうとう手段だ」


「急に自由を与えられて、さあどうすると言われても……何と言っていいか分かりません。だから……しばらく時間をいただけませんか。ワタシが、オルニスと一緒に、どうやって暮らしていくか考える時間を」


「ええ。構いません。体が治った後、何処に行くとしてもそれはあなたの自由ですから」


 スヴァーラさんは目尻に浮かんだ涙を拭い、そっと小鳥を撫でて頷いた。

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