第99話・家族

「えーと、ここと、ここと、ここに、サインと町長印を。こっちは個人印で」


 言われるがままにサインを書き、印を押す。


 にしての自分の名前が短くてよかった。ヴァローレは確かヴァローレ・ヴィーゼンだったか。名前を書くのが面倒くさいとよく呟いていた。


 短くても面倒なのには変わりないけどね。


 もうこの一刻で名前を何回書いたか覚えてないよ!


 町長って言うのは利き腕を壊す仕事だとよく言われた。やったら分かった。自分の名前を何回書いても書いてもすぐに次が来る。


 印はそれほど力を入れなくてもいいけど、ぼく以外に町長印は押せないから手がくたびれる。


 あ~手がおかしくなる。


 そこへ、こんこん、と窓からノックの音がした。


 そっちを向くと、エキャルが嘴で窓を叩いている。


「エキャル?!」


 出したのは昨日の朝なのに。ここからエアヴァクセンまで結構距離あるのに。翌日の夕方帰ってくるって早すぎるよ!


 アパルが近付いて窓を開けると、エキャルは優雅に飛んできて止まり木に留まった。


「エキャル、そんなに急いで来なくてもよかったのに」


 立ち上がってその頭をコリコリしてやると、エキャルは機嫌よさそうに首を伸ばす。


「とりあえず休憩にするか。町長も手紙を読みたいだろうし」


「ありがとう。手がヘロヘロだよ」


 軽く右手を振って、グーパーして手の感覚を取り戻す。


「エキャル。ぼくに急いで届けてくれたんだね。ありがとう」


 エキャルは得意げに封入れが括り付けられた首を差し出した。


 そこから手紙を引っ張り出す。


 クレーへ、アナイナへ、と見慣れた筆跡でそれぞれ書かれた封筒二通。


「アパルかサージュ……」


 腰の軽いアパルが立ち上がった。


「アナイナに渡してくるんだろう?」


「ありがとう」


 アパルにアナイナ宛の手紙を渡して、ぼくは手に馴染んできたペーパーナイフで封を切る。その間にサージュがお茶をれてくれた。


 お茶を一口、口の中を湿らせて、封筒の中身を取り出す。


『クレーへ。』


 丁寧に書かれているこの字はお父さんのものだ。


『無事でよかった。そして、お前を受け入れてくれる町があってよかった。どこの町にいるかは聞かないよ。父さんたちは元気だから安心しなさい。お前たちがいなくなったことで何かがどうなったわけでもないから。


 それから、自分を受け入れてくれた町の人のためにしっかり働きなさい。


 あと、アナイナの面倒を見てやってくれ。あの子はちょっとワガママだから手間がかかるだろうけど、決して意見を聞かないわけではないのだから、上手くコントロールしてやってくれ。


 また何かあったら手紙をおくれ。お前たちが元気で暮らしているのだけを祈っている。


 父より。』


 多分エキャルを前に書いたんだろう。少し走り書き。


 よかった。町長ミアストには気付かれなかったし、何かされたわけでもなさそうだ。


 しっかり働け、か。


 働いてるよ、しっかり。


 大丈夫。


 背負っている責任は重いけど、一緒に背負ってくれる人もいる。手伝ってくれる人もいる。信じてくれる人も、頑張ってくれる人も。


 だから、大丈夫だよ。心配しないで。しっかり働いている。


「ありがとう、エキャル」


 黒い目を細めて撫でる指に頭を寄せるエキャル。


 そこに、アパルが戻ってきた。


「ただいま」


「おや、アナイナは来なかったのか」


 不思議そうに聞くサージュにアパルは苦笑を返す。


「仕事中に来てはいけないと言われているから、飛んできたいのを我慢していたようだ。仕事が終わったら絶対帰ってきて、ダメだったらわたしが行く、と言う伝言をもらったよ」


 少しは我慢することを覚えたのかな。シートスとフレディのお説教と躾が効いたかあ。多分お母さんからの手紙でも注意されてたんだろうなあ。


 ぼくはもう一度手紙を読んで、たたみ直して服のポケットに入れると、服の袖をめくった。


 ここしばらく自宅に帰ってなくて、ヴァリエも正式な町民として家に移って行ったから、アナイナが一人で家にいることになる。シートスやフレディが顔を見に行ったり時折夕食に誘ったりしているけど、広い家に一人っきりってのも寂しいだろうし……。


「これ、今日の夜までに終わらせられる?」


「終わるようにしよう」


 サージュが急ぎの仕事とそうでない仕事を選り分ける。


 書類の山は大山と小さい丘に分けられる。


「今日中に終わらせなければいけない書類は、これだけ」


 小さい丘を指す。


「頑張れば、食堂が閉まる前までに終わるはずだ」


「エキャル」


 ぼくは不要紙の端に走り書きで、食堂で待っていてくれと書いてエキャルを見る。


 エキャルは表情があって、露骨に嫌な顔をしているけど、ぼくは封入れに紙きれを入れた。


「これをアナイナに。喧嘩しないでくれよ? アナイナはぼくの妹で、お前はぼくの鳥なんだから。どっちも大事なんだから、喧嘩してほしくないんだよ?」


 ちょっとムスッとして手紙を受け取ったエキャルは、バサッと翼をはためかせて飛んで行った。


「よし。これだけ何とか終わらせるぞ」


「手伝おう」


「手分けすれば終わるね」


 サージュとアパルも気合を入れて書類に取り掛かり始めた。

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