第93話・印完成

「では、このスケッチをこの大きさにせよ」


 石の印を彫る面とほぼ同じ大きさの紙を渡されて、ぼくはスケッチのコピーを始める。


 なるほど、この大きさの紙だからここまで描き込めたけれど、印にするとそこまで描き込めないな。


 となると、かなり省かないと。


 まずは輪郭だね……。


 慎重に線を描く。


 柔らかさを表現したかったんだけど、この羽毛の感じを再現すると彫るの大変そう。


 ギリギリまで線を削ったほうがいい。


 羽根のスケッチを見ながら、削れる線を確認して、羽毛のふわふわな感じじゃなくて風切り羽根のシャープな感じを出そうと頑張る。


 それをエキャルが覗き込んでくる。


「エキャル、どう?」


 エキャルがまだ翼を広げる。


「ありがとうな」


 じっくり観察して、伝令鳥の羽根らしい鋭さを出そうとすると、より一層線が少なくなっていく。


 一枚の羽根の有様を、線を絞って描き込んだ。


「……お」


 何か、良い感じ。


「どうでしょう」


「良いのではないかな」


 師匠は紙を取り上げ、紙を遠く離して目を細めた。


「翼の有様が、少ない線で良く描かれておる」


 わー。


 褒められた!


 ぼくはエアヴァクセンの学問所で褒められたことがない。地味だった。しみじみ言えるほど地味だった。一年経ってアナイナが入ってきたら余計ぼくの影は薄れた。アナイナはエアヴァクセンの学問所でやることなすこと褒められた。妹が褒められまくってぼくがどんどん影が薄くなっていって、妹に才能全部持ってかれたなとか言われて、でもアナイナはぼくが好きで、両親が拘りなくぼくも可愛がってくれたから。


 町長の仕事……スキルで出来る仕事以外、こんな場所でプロの成人に褒められるなんてことは一切なかったから、とても、とても、嬉しかった。



「では」


 師匠は紙と石を、別の黒い紙を挟んで固定した。


 ?


「この紙に描いた線を強くなぞってみよ」


 ???


 言われるがまま、石を固定してぐりぐりとなぞってみる。


「もう少し強く」


 何のために?


 だけど言われるがままぐりぐりぐり。


 全部の線をなぞり終わって師匠に渡すと、師匠は固定してあった下書きの紙と黒い紙を取り除く。


 石の表面に、黒く、翼の線が残っていた。


「え?」


「転画紙、と言う」


 黒い紙をぴらぴらさせて、師匠は言った。


「上から圧をかけると下に黒を残す。このような下書きを写すのに使われる」


「こんなのがあったの?!」


「一部の作画師しか使わぬ紙ゆえな、知らぬ者が多いが、印の作成で使うに持って来いの紙だ」


「へえ……これなら直接彫れるからいいな」


 綺麗に写った線を見て感心する。


「うむ。失敗が少なくなる。特に個人印はほとんど失敗が許されぬ故にな、直に写せる転画紙はもっと使われても良いのではと思う」


 うんうんと食いつき気味に頷くぼくに、師匠は少しだけ笑ってくれた。


 厳しい顔が緩む。


 好々爺こうこうや……いいおじいちゃんに見えた。


「では、あとは彫るだけだ。線の部分を彫るか、残すか、それを考えよ」


「え?」


 思わず石の表面から顔をあげて師匠を見る。


「不思議に思うか? 線をそのまま彫れば全体が色付くし、線を残して彫れば線のみが残る」


 ……情けないことにしばらく考えて、やっと師匠の言いたいことが分かった。


 線の部分だけ彫れば、四角い面に白い輪郭が残る。線以外の部分を彫れば、翼の輪郭だけ色がつく。


 印は大体朱色だから、伝令鳥を表すんだったら線だけ彫ったほうがいい。


 だけど、ここで敢えて線だけ残して彫るという無茶をすれば、白い面に朱の線と言う鮮やかな印になる。


 …………。


 よし。


 ぼくは師匠の手から転画紙を取り戻して、さっきの紙ともう一度合わせた。


 そして、その外側に丁寧に線を描く。


「ほう。線の部分を残すか」


 ぼくは頷いて、ついでに心配そうに見守るエキャルの頭を軽く撫でた。


「どうせならこんなのが作れるのかって思われるほどの印がいい」


「なるほど、挑戦か。善哉よきかな。実に善哉」


 ……また褒められた!


 そっと紙と転画紙を外すと。残さなければいけない線が綺麗に残っていた。


 その線の外側を、彫刻刀で慎重に彫る。


 この石は削る時は柔らかく、印として成立すると固くなって丈夫になる。その分一旦成立してしまうと戻れないという作り手泣かせの石でもある。


 成立は、「終わった!」と強く思った瞬間だという。


 ただ、それはキーワードらしく、失敗して「終わった!」と強く思った瞬間石が固くなって、本当に終わってしまったという失敗談を各地でたくさん残している。だから失敗しても「取り戻せる!」と思って彫れとは大人の言葉。


 この線を残して彫る。彫刻刀が滑れば思ってしまうかもしれないから、慎重に、慎重に。


 シュッ、シュッ、と張りつめた空気の中、彫刻刀が石の上を滑る音だけが聞こえる。


 よし、あともう少しだ、よし……!


 最後の面を彫り終えて、ぼくは師匠を振り向いた。


 終わった、と言う手ごたえを感じて。


「その顔は、終わったということかな」


 ぼくは大きく頷いて、石を差し出す。


「恐らく印として完成している。押すと良い」


 ぼくはスケッチの紙を引き寄せて、その端にぐっと彫った面を押し付けた。


 外すと、何も塗っていないのに、白地に朱色の四角い枠と内側に羽根の形。


 ……完成!

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