第87話・名前を付けて

「お待たせいたしました。書類を……あら」


 頭の上の伝令鳥を見てパサレが笑う。


「お前、本当にこの方のことを気に入ったのね」


「これが?」


「頭に乗るのは信頼しているからですよ」


「そうなの?」


 頭の上に手を伸ばすと、掌に頭をぐりぐりしてくる感触。


「では、ここにお名前と印を」


「大人しくしててね」


 ゆらゆら揺れている伝令鳥にそういうと、ぴたりと動きを止める。


「この気難しい子がこんなに好くなんて、本当に運命の相手に巡り合えたのね」


 書類を渡された。


「この鳥の名前をこの欄に書いてください」


「名前?」


「ええ。名前を与えて、主従の契約を結ぶ。そういうものでしょう?」


「名前……」


 まさか入手したその場で名前を付けなきゃいけないとは……。


「前の持ち主はどんな名前を付けてたんですか?」


「同じ名前を付けることはお勧めしません」


 何で? というぼくの顔に気付いたんだろう。パサレは真剣な目でこっちを見た。


「名前を与える、ということは、この子に対する全権を名付け親が得る、ということに他なりません。前の飼い主と同じ名でこの子を呼ぶと、この子は果たして自分がどちらに仕えてどちらを愛しているか混乱するでしょう。名前、とは、その相手に責任を持つという一番分かりやすい例なのです」


「ちなみに前の飼い主はどのような方でしたか?」


「かなり強引な方でしたね。明らかにこの子が嫌がっているのに自分にこそこの子が相応しい、とお金を置いて強引に連れ帰ってしまいました。その後、この子が逃げ帰ってきた時連れ戻せ、でなければ弁償しろと言われましたが、ええ、伝令鳥をただの持ち主のステータスと見做している方にはお譲りできませんとお金と弁償金を叩き返しましたよ」


 ……何か、その元の飼い主って、ぼくの知っているヤツのような気がする。


 そいつのおさがりと思うと嫌だけど、無理やり連れていかれたのを嫌がって戻ってきたと言われたら、放っておくわけにはいかない。


 じゃあ、名前つけないと……。


 う~ん……。名前って……言われても……。


 緋色か……緋色……緋色……。


「エキャルラット」


「古語、かな」


アパルの言葉に頷き返す。


「通称はエキャルかな?」


 頭の上でエキャルと名付けた伝令鳥が揺れている。


「踊ってる?」


「踊ってるねえ」


 踊るの?!


「ではここにもう一度お名前と印、そしてここに伝令鳥の名前を書いてください」


 名前を書き、町長の印を押して、エキャルラットの名を書く。


「エキャルラット。降りてきなさい。でないと契約できませんよ」


 エキャルはゆっくり降りてきて、書類の上に足を押し付けた。


 ゆっくりと足を上げると、そこに伝令鳥の足跡が残った。


「これは?」


「伝令鳥や宣伝鳥は足跡を契約印の代わりにするんですよ」


 へー。知らなかった。


「では、クレー・マークン様がお買い上げになった伝令鳥はこれよりエキャルラットと呼ばれ、クレー様にお仕えすることとなります」


 足首につけられた紐が解かれ、その先を渡される。


「末永いお付き合いを」


「ありがとう」


「近いうちに宣伝鳥も買いに来ます」


「はい。いい子を揃えてお待ちしておりますよ」


 買った鳥かごに入れようとしたけれど、エキャルは嫌がってぼくの頭の上に隠れた。残念なのはぼくは背が低いので、アパルが軽く手を伸ばしただけで捕まったんだけど。


「大人しく入りなさい? でないとクレー様と一緒に町を出られませんよ?」


 パサレにそう言われ、渋々、本当に渋々という目で、エキャルは鳥かごに収まった。


「では」


「ありがとうございました」


 外に出ると、とたんに鳥の鳴き声やさえずり。


 うん、うるさいわ。そしてあの店、何で入っただけで静かだったんだろう。誰か……何かのスキルかな。


「では、さっさと帰りましょう。さっさとね」


 アパルがさっさと移動したがっているのは、多分エキャルの元の飼い主のことが頭に引っ掛かってるんだろうなあ。


「そうだね。早いところ戻ろう」



     ◇     ◇     ◇



 フォーゲルを出て、荷馬車である程度行ってから「移動」で帰る。


 グランディールも最初の頃から比べたら、随分と賑やかになったなあ。


 それだけ人が増えたってことなんだからいいんだけど。


「お兄ちゃん、お帰りなさい!」


 アナイナがご機嫌で出てきた。


「うん、ただいま」


 アナイナは興味津々で荷馬車の中を覗き込む。伝令鳥が見たいんだろうな。


 ぼくは鳥かごを引っ張り寄せて、出入り口を開けてやった。


 緋色の美しい鳥が、翼を広げてぼくの頭の上にとまる。


「綺麗……名前はなんて言うの?」


「エキャルラット」


「エキャルラットかあ。よろしくね」


 ぼくの頭の上に手を伸ばそうとしたアナイナは、慌てて手をひっこめた。エキャルが首を伸ばして鋭いくちばしをアナイナに向けたので。


「な、何、この子」


「どうやら異様に町長を気に入ったようで」


 アパルが説明してくれる。


「どこぞの誰かに無理やり飼われて大暴れして逃げてきた鳥だから、気に入らない人間が近付くとつつくかも」


「そっか。お兄ちゃんがわたしのこと大好きだってのに嫉妬してるんだね」


 頭の上でエキャルが羽根を広げる。これはあれだな、ぼくでもわかるな。威嚇だな。


「エキャル、アナイナはぼくの妹なんだから、突いたり蹴ったりしたらいけないよ」


 くぅ、とエキャルが首を垂れる。


「アナイナも、要らないことを言ってエキャルを怒らせないでくれよ」


「ふーん。……ふん」


 アナイナは行ってしまった。……なんで?

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