第7話 序章・転移前 皇帝ルキフェラ・リリスティア=キスキリラ


 七


 2024年の秋アメリカ合衆国大統領選挙も過熱する中、東京は永田町で異世界から訪れた彼女が、正式にその存在を地球世界に向かってお披露目していた。


「諸種族を束ねる聖グラヴァナル=ツティロンの玉笏の継承者、ルクシニア帝國皇帝ルキフェラ・リリスティア=キスキリラと申します。こうして地球世界の皆様方にご挨拶できることを嬉しく思います」


 霜銀の長髪をその形良い頭部の左右でまとめて垂らし、切れ長の眼の中の瞳が赫色に輝いている。よそおいは真珠色のワンピースドレスの上から飾り気の無い闇紺色のジャケットとベレー帽という姿で、その女性らしい柔らかくめりはりのついた曲線を描く肢体を際立たせていた。

 珊瑚色の艶やかな唇が動くたびにフラッシュがたかれ、全世界にそのこの世の者とは思えない麗しくも艶やかな姿が、テレビでネットで配信される。


「我々は、日本国の転移に先立ち、その円滑なる事を望んで協力させていただきました。その結果として、今日この日、日本国およびアメリカ合衆国と正式に国交を結ぶことができたことを、心より喜ばしく思います」


 女帝ルキフェラの言葉に再度フラッシュがたかれ、続いて日本国内閣総理大臣畠山武雄と、アメリカ合衆国大統領と三人で握手を交わした。

 ひと通り撮影が済んだところで三人は手をはなし、それぞれの席に座った。


「アメリカ合衆国大統領として、異世界から来訪した客人と友誼を結び、きたる日本国の異世界転移というイベントにおいて友人として大いに貢献できたことを誇りに思っている。そして、日本国と入れ替わりに転移してくる土地の領有権を合衆国が獲得し、「開かれたインド太平洋構想」を継承することを、ここに約束したいと思う」


 大統領選のさなかに候補者である現職の大統領が、アメリカ本土を離れて異国の地の記者会見にのぞんでいるのも、この人外の麗人である皇帝ルキフェラと一緒の絵をニュースとして合衆国中に流すためであり、また新領土の獲得をアピールするためである。

 そして彼の目論見は今のところ上手くいっているようで、各社の世論調査では共和党候補に対して支持率でリードしていることが報じられていた。


「日本国内閣総理大臣です。きたる日本国の異世界転移という激甚災害において、アメリカ合衆国より多くの支援を受けることができました。日本国国民を代表して、合衆国の皆様に心から感謝を申し上げたく思います」


 畠山首相は、カメラに向かって深く頭を下げると、サンキュー・ベリーマッチ、と付け加えてから言葉を続けた。


「そして、転移する先の世界に、あらかじめこうして友人を得ることができた幸運を感謝したく思います。転移後、どのような艱難辛苦が我が国をおそおうとも、政府は、日本国民の皆様と一緒になって全力で立ち向かうことをお約束いたします」


 ここで一度言葉をきった畠山首相は、視線をルキフェラ帝に向けてから正面に向き直り口を開いた。


「我が国は異世界でも孤独ではありません。この地球世界ではアメリカ合衆国が、そして異世界ではルクシニア帝國という友人がおります。当然、我が国が一方的に頼るばかりであってはなりません。アメリカとは、北海道で、ヴェトナムで、イラクで、艱難辛苦をともにいたしました。同じように異世界でも、日本国はルクシニア帝國と艱難辛苦をともにする覚悟を決めたことを、ここに表明いたします」


 決して激情や気負いがこもっているわけでもない、むしろ淡々とした言葉でありながら、畠山首相の言葉はそれゆに日本政府の覚悟のほどを全世界に理解させる力強さがあった。

 その意思表明に続くように、ルキフェラ帝もその玲瓏たる玉声を発した。


「帝國は、日本国と末永く友誼を結び、ともに繫栄し発展してゆけるよう誠心誠意努力することをお約束いたします。日本国民の皆様、どうか帝國の良き友人となって下さるようお願いいたします」


 この日、日本国は、アメリカ合衆国を見届け役として、ルクシニア帝國と平和友好条約及び修好通商条約、相互防衛条約といった諸々の条約を締結し、異世界転移のための準備に入ることを公式に認めた。

 そして当然のように、全世界の金融市場で日本円をはじめとする日本銘柄の投げ売りが発生し、さらにあらゆる資源と食料の先物市場が暴騰することとなった。



「さすがに持てる者は余裕がある」


 ある種のお祭り騒ぎが日本列島をおおう中、日本人民共和国は、日本政府の異世界転移の公式発表と同時に全土に戒厳令を施行し、転移のための準備に入っていた。

 本多・亜希・ロズィームナ少佐は、豊原の国防省庁舎に置かれた戒厳司令部の会議室の一室で、同僚らとテレビで「南」の報道番組をながめていた。どのテレビ局も日本国の異世界転移についての特番ばかりで、しかも特に根拠の無い憶測と推測を前提に議論がかわされており、まったくもって暇つぶし以外の意味はなかったが。


「「南」は、なんだかんだ言っても東アジアの地域覇権国家であったということだろう。これで東ユーラシア情勢が激変する。中共も朝労も頭を抱えて右往左往だろうさ。ざまをみろ、だ」


 本多少佐の近くでテレビを見ている中佐参謀が、葉巻を吹かしながら心底嬉しそうに表情をゆがめた。

 日本人民共和国は革命後のキューバと深い関係を持ち、ニッケル等の鉱物資源以外にも砂糖やタバコといった嗜好品を数多く輸入している。そのためある程度地位が高い者の中には、キューバ産の葉巻を愛好する者が少なからずいた。


「共和国も、北海道のみならず樺太全島と千島列島が転移するからな。露助どもも茫然自失だろうよ」

「しかも、アラスカ、アリューシャンに続いて沿海州沖までアメ公の本土となる。ウクライナで消耗しきった連中にとって、二正面での直接対峙は悪夢以外でのなにものでもないからな」

「我が国のありがたみをしみじみと噛みしめて没落してゆけばいいのさ」


 中佐参謀の周囲の幕僚らも、一斉に昏い愉悦のこもった声をあげる。

 本多少佐は、祖国にかけられていたプレッシャーがどれほどのものであったのか、今更に驚きとともに苦笑するしかできなかった。


「同志本多少佐、同志はここでだべっていていいのか? 俺達みたいなごく潰しとは違って忙しい身だろうに」

「はい、同志中佐殿。「急いで準備し、静かに待機せよ」という奴です。上が何か悪だくみを思いつくまでは、こうして司令部に貼り付けです」

「スペツナツも大変だな。その点省部幕僚はいいぞ。書類仕事の手さえ早ければ定時で退勤だ」


 中佐参謀の言葉に、周囲の皆が一斉に失笑じみた笑い声をあげた。実際には省部幕僚ともなれば、研究に会議に書類仕事、各部署部隊との連絡調整打ち合わせと、午前様に長期出張も珍しくはない激務なのである。内規で省部幕僚は家族持ちであることが定められているのも、家族の支え無しにやってゆけない、と先人が判断したほどにストレスのかかる配置だからであった。

 皆と一緒に笑い声をあげた本多少佐は、今の自分はレドヴィキであってスペツナツではないのだが、などと内心思いつつ、ここにつめている本当の理由について口にできないことを愉しみ、紙巻タバコをふかした。



「同志の大隊は、党中央委員会の直接指揮下に入る事になった」


 苦り切った表情の参謀本部陸軍次長の言葉に、本多少佐は内心で驚愕し、その怜悧な美貌から一切の表情を消した。


「同志閣下、理由をうかがってもよろしいでしょうか?」

「ああ。異世界転移が無事に終了したら、中央委員会は党の解散を宣言して新党を複数立ち上げ、最高評議会議員選挙を実施することを決定したそうだ。その際に民主化に反対する勢力が首都で暴発しようとしたならば、同志の大隊が実力でこれを鎮圧することになる」


 そこまで話は進んでいたのか、と、本多少佐は内心で、共和国唯一の国政政党である共産党の党中央委員会のお偉方を見直す思いであった。

 一党独裁体制をしいているだけあって、共産党も腐敗汚職にまみれており、改革開放経済の美名のもとに数々の経済的不正が行われているのを彼女も見知っている。


「党中央委員会が最も危険視しているのは、書記局ら党官僚の中枢と国防軍省部幕僚の癒着だ。豊原の第一師団の中下級指揮官がどこまで党官僚に取り込まれているのか、憲兵隊も国家公安省も党政治委員本部も把握できていないらしい」

「それで、空中襲撃旅団所属の自分の部隊でしょうか?」

「そうだ。元々が参謀本部直属の特別任務部隊指揮官であり、元「勇者」でありながら異世界から「帰還」後も共産党に入党し志願して国防軍士官として精勤しているなど、政治的信頼性は証明されている、とのことだ」

「随分と高く評価されているのですね」


 確かに本多少佐は、自分が任務に精励してきた自信はあるし、特に政治的野心があるわけでもない自覚もあった。共産党に入党したのも士官学校付きの政治将校に勧められたからでしかないし、「帰還」後に国防軍士官たることを望んだのも、他にやれそうな仕事が思いつかなかったから、というのが大きい。


「党政治委員本部の友人が教えてくれたが、同志の評価は「純粋無雑な武人」だそうだ。同志と共に勤務した同志政治将校が、嘘か本当かそろって自分の政治的姿勢を省りみねばと思わさせられた、と感心していたそうだ」

「それは、なかなか笑えない評価かと」

「ああ。私も最初聞いた時は、どんな冗談かと思った。だが、同志が国防軍で最も武勲赫々たる忠勇無比な将校の一人であることは、私も太鼓判を押すところではある」

「ありがたくあります」


 かけらもそうは思っていない表情を浮かべて、本多少佐は陸軍次長に対して軽く一礼した。そんな彼女の不遜な態度を片手を振ってあしらうと、彼は言葉を続けた。


「そういうわけだ。同志の部隊は、表向き戒厳司令部付きということで豊原市内に配置される。だが、省部幕僚がおかしな動きをしようとしたら、即座にこれを制圧し逮捕せよ。それが党中央委員会からの命令だ」

「命令書を受領させていただいてもよろしいでしょうか?」

「もちろんだとも」


 陸軍次長から手渡された封書には、党中央委員会委員長と国防軍参謀総長のサインの入った命令書が入っていた。



「異世界転移したら、秘密投票で国政選挙か。本当かね?」

「さすがに露助のシロヴィキどもの目が無くなるんだ。いつまでも一党独裁では、党の負担が大きすぎるという自覚があるんだろうさ」

「それで軍縮となったら、お偉方は受け入れられるのか? 国防軍の再編となったら、真っ先に予備役に編入されるのはろくに仕事もしないベタ金どもだぞ」


 幕僚達がおのおの好き勝手に放言しているのを、本多少佐はぼんやりしている風をよそおいながら耳に入れていた。

 今ここに政治将校はいないが、盗聴器くらいは仕掛けてあると考えていないうかつ者は、さすがにいない様子である。共産党批判の言葉はぎりぎり回避しつつ、民主化の第一歩たる秘密選挙による最高評議会議員選挙について話の花が咲いている。


「同志本多少佐、貴官は選挙があったらどうする?」

「そうですね、できもしない綺麗事を公約に入れていない政党に投票したいですね」

「なんだ、白紙投票か」


 中佐参謀の言葉に、またも周囲から笑いが起こった。


「まあ、自分も党員ですから、共産党の誰かに入れますが」

「それを言ったら、ここにいる全員が党員だぞ。党内派閥の政争で政治が決まるんじゃ、これまでと変わらないじゃないか」


 皆から同意の声があがり、中佐参謀と顔を見合わせた本多少佐は、二人そろって笑い声をあげた。

 日本人民共和国共産党は、一党独裁をうたいつつ、党内派閥間の力関係や取引によって国政の政策が決まるという性格を有している。なにしろ党内での役職から失脚しても、本部や各地の支部の行政委員選出の党員選挙で勝てば復活できるように制度設計がなされているのだ。事実上の政党政治となっていると言ってもよい。

 法で定められた立法府である最高評議会選挙では国政を変えることはできないが、共産党の本部と各支部の行政委員の選挙で国政を変えることができるように、わざわざ制度を作った者がかつていたということである。

 そのためにも行政委員選挙は秘密投票が保証されており、事実上の制限選挙制で共和国が動いているようなものであった。

 その結果、国民の大半が共産党員という他国ではまず見ない体制となっており、日本人民共和国がまがりなりにもソ連崩壊から30年もの間、国家として機能し続けることができた要因でもあった。


「党が分裂でもしない限り、これまでと変わらないのかもな」


 誰かの言葉に本多少佐は、共産党行政委員選出に秘密選挙を導入した誰かが、いつの日かソ連のくびきから自由になった時に共和国に議会政治を復活させられるようにと、知恵を巡らせていたのだろうな、と、その誰かに対して感謝の念を抱いた。

 とはいえ、異世界に転移することでロシアのくびきから自由になるとは、さすがに予想はしていなかったろう、とも思ったが。



 あけて2025年に入り国際市場の混乱が続く中、日本は海外の資産の処分をほぼ終了させ、邦人の帰国事業を精力的に進めていた。

 当然、異世界への転移を望まず地球に残ることを決めた日本人も少なくはなかったが、大半の者は帰国を選び、祖国に骨をうずめる覚悟を決めた様子であった。異世界転移が公式に発表されるまでは散々反国家的言辞を弄していた者達も、政府が正式に内閣総理大臣を長とする異世界転移対策本部を立ち上げると、すっかり黙りこみ事態の推移をうかがう様子をみせている。

 そして、日本国内の日本と敵対している国家の出身者はそれぞれの母国に強制送還され、悲喜こもごもの姿を見せたが、そのことについて日本人は特に反応することはなかった。

 ほとんどの者にしてみれば、自分自身とその知人友人血縁者のことで精一杯なのである。ガイジンのために何かしよう、という余裕のある者はほとんどおらず、居たとしても日本に敵対的な国家の人間をかばったとあれば、転移後どのように世間から指弾されるか分かったものではないからだ。

 とはいえ、異世界というフロンティアに夢を見て、日本への帰化を望む人間も少なくはなかった。特にアメリカ人にそうした傾向の者は多く、各国合計で数十万人単位での帰化申請が行われた。

 日本国の世論は、苦笑気味にこれを受け入れ、新たに同胞となる者らに各地で生活基盤を用意し、転移するその日を待つことにしたのであった。

 とはいえ、お祭り騒ぎの中にあっても日常の営みが途絶えることはなく、人々は日々の糧のために労働にはげまなくてはならない。


「これ、先方から週明けに欲しいって。工程の見積もり出しておいて」

「はあ」


 東京都内のある中堅未満のIT企業に勤めるエンジニアの八坂初行は、濃い隈の浮いた眼をぼんやりとさせたまま、上司からの指示を受けていた。なお時刻は金曜日の午後四時過ぎであり、定時の午後六時までに終わる仕事ではない。


「なに、やる気あるの? 仕事だろ、給料もらっているんだからその分働かないとダメだろ」

「はあ」

「質問はないね。俺も忙しいんだから、さっさととりかかってくれる」

「わかりました」


 いらだちを隠そうともしない上司の不機嫌そうな顔から逃げ出すように、八坂は自分のブースへと戻った。どうせ不満をのべても嫌味が十倍になって返ってくるだけであるし、逆切れされて怒鳴られても自分が損をするだけだからだ。

 しかも、騒動になったとしても叱責されるのは自分の方で、上司は全力で責任回避する上に、仕事の締め切りが変わるわけでもない。ならば、適当にでも仕事を終わらせて、一分一秒でも早く帰宅するほうがはるかにマシな選択である。


「……一区切りついたらスタ飯でも食いにゆこう」


 ストレスで円形脱毛症になって以来、剃り上げるようにしているつるつるの頭皮を手の平でなで、重くだるい身体の体重を椅子の背もたれにあずけ、八坂は最近めっきり増えたひとりごとをため息とともに吐き出した。

 疲れ目と老眼でかすみがちな目でモニターを見つめつつ工程表を作り、一区切りついたところで背を伸ばす。

 一息つけようと、コーヒーの入っているマグカップに手を伸ばしたところで、彼の視界は意味不明な輝く幾何学模様と文字列で埋め尽くされた。


「を?」


 間の抜けた声がもれた直後、八坂は、自分がだだっ広いホールの床に尻もちをついて座り込んでいて、そしてなにやら得体のしれない恰好をした人間たちに囲まれていた。


「我らの召喚にお応え下さり、心より感謝申し上げます。勇者様」


 八坂初行は、目の前に立った荘厳な法服みたいな衣装を身にまとった壮年の大男の言葉に、思考が真っ白になり、そしてこう思った。

 工程表、組み終えてないけど、どうしよう。

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