第6話 序章・転移前 間に合った装備


 六


 東京の夏が、日中人間が外を歩くことすら苦痛を感じさせるようになって随分とたつ。その首都の政治の中枢である永田町から多少離れたところに位置する市ヶ谷の防衛省庁舎で、馬場健司統合幕僚長は、早河太一防衛大臣にウクライナ事変が始まってからさらに激しさを増しつつある中国軍の活動について説明を行っていた。


「中国軍機による我が国の領空侵犯件数は、前年度比で二割増しというところです。幸いにして「北」とロシアの活動が低調であるため、訓練名目で機体を展開させて対処しておりますが、このまま消耗戦を仕掛けられたならば、空自の稼働機数の減少は看過しえなくなります」

「整備部品が枯渇して共食い整備とか、また起こりえるのかね?」


 心底うんざりしたしわい表情になった早河防衛大臣は、執務机の上で何度も指を組み合わせたりほどいたりしている。無表情の時は険のある悪人顔だが、普通に話していると愛嬌を感じさせる、そんな彼が不機嫌そうにしていると実にこわい雰囲気となる。

 そんな上長の内心をあえて忖度することなく、馬場統幕長は手元の報告書を机の上に置いた。


「さすがに財務省も、総理直々の意向ということもあって、装備品の整備補修予算の要求を片端からはねのけるような真似はしなくなりました。現在の状況は、中国軍が我々の対応能力の限界を試すために行っている威力偵察に近いもの、と統幕では判断しております」

「……やはり台湾有事のためかねえ?」

「それも当然あるでしょうが、それ以上に我が国の異世界転移についての情報を得たから、という可能性が大きいかと考えられます」


 馬場統幕長の指摘に、早河大臣は不意をつかれたかのようなきょとんとした表情になった。


「中国の情報工作員の我が国の政治中枢への浸透は、決して浅いものではありません。さらに異世界転移の情報は、米英豪印各国に開示されおります。当然、中国も朝鮮もこの情報は入手しているでしょう」

「それは確かにそうだ。とはいえ、外務省にはまだ接触してきてはいないようだけれど?」

「現在のところ、自衛隊各部隊は中国軍の挑発に対して、毅然とした対応をもって対処しております。つまり、なんらかの要求をつきつけたくとも、そのための隙を見いだせないでいる、というところではないでしょうか」

「このまま日本が異世界に転移してくれれば、中国にとっては台湾攻撃がとても楽になるだろうからねえ。そのための威力偵察のようなものか」


 早河大臣は、納得がいった、という表情になると、机の上の報告書を手にとってざっと目を通しはじめた。

 日本は今のところ中国の挑発に対して、真っ向から受けて立つ姿勢は見せているが、反撃に出る姿勢は見せていない。このまま日本がおとなしく異世界に消えてくれるのであれば、彼らの懸念も大半が解消されるということになるのだろう。


「とはいえ、数では中国軍が優勢なのは変わらないからなあ。米軍は台湾防衛の準備にかかりきりなわけで、相対的に優勢な日本にこれ以上テコ入れはしてくれないだろうし」

「すでに決まっている支援だけでも、これまででしたら国粋主義者の夢想も同然の内容ですから」

「いや、本当にそうなんだけどね。まさか来年に退役する予定の原子力空母「ニミッツ」を、艦載機もつけて売ってくれるとか、今でも信じられないよ」


 日本が異世界転移すると知らされたアメリカは、日本が有する各種債権や技術、知的財産と引き換えに、自国の技術や知財の譲渡に積極的となっている。

 なにしろアメリカは、前世紀末から家電産業も自動車産業も造船業も衰退し、いまや製造業で国際的に優位にあるのは航空宇宙産業と情報通信産業くらいなものとなって久しい。それらの産業のためのマザーマシンすら全て日本製で、高度技術部品も日本製が大きなシェアを持っているとなれば、その技術を基盤ごと可能な限り移転させたいと考えるのは当然ですらあった。

 そういうわけでアメリカは、日本の先端技術と設備の対価として、ありとあらゆる自国の技術の提供に積極的になっている。


「そういえば、「ひゅうが」型に載せるF-35Bも来年には全て引き渡しが終わる予定だね」

「はい。厚木と岩国の空自戦闘飛行隊を基幹部隊として、新規に戦闘飛行隊を編成いたします。これで将来的に「ひゅうが」型四隻全て、固有の飛行隊を搭載可能となります」

「東日本大震災の時にも思ったけれど、あれ作っておいてよかったねえ」


 早河大臣の感慨深そうな嘆息に、馬場統幕長は微笑みを浮かべて答えた。


「陸上交通網が寸断された地域に、海から被災地救援のための人員と物資を運びこむのに、「ひゅうが」は実に役に立ってくれました」

「熊本の時も「いずも」が大活躍だったしね。いや、侵略用兵器だなんだと、当時は野党に散々叩かれたものだけれど、本当に何が何の役に立つかわからないものだよ」


 「ひゅうが」型ヘリ護衛艦は、きたる台湾有事において戦場になる可能性の高い南西諸島防衛を念頭において建造された船である。

 基準排水量2万7500トン、制海艦としてならばF-35Bを16機とSH-60Kを8機、MCH-101Jを2機搭載し、輸送艦としてはF-35Bを8機にV-22を12機、CH-47JAを4機とUH-2を2機搭載した上で陸自の空挺連隊650名を乗艦させて揚陸させる事が可能という、文字通りの多用途母艦として建造された海上自衛隊最大の護衛艦であった。

 統合幕僚監部の構想では、1隻が制海艦として対水中、対空、対地での航空支援を行い、1隻が水陸機動団の上陸作戦に連動して島嶼内部への空挺部隊のヘリボーンを実施する、という極めてアグレッシプな運用が想定されている。

 これは「ひゅうが」型DDHが、ヴェトナム戦争終了直前に竣工したヘリ護衛艦「しらね」「くらま」の後継艦として計画されたからであった。

 「しらね」型DDHは、全通甲板型ヘリ搭載護衛艦として計画され、その用途は当初計画ではソ連太平洋艦隊の原子力潜水艦の掃討が主たる任務であった。だが、当時としては大型に入るHSS-2B対潜ヘリを10機搭載可能であったことから、他にもUH-1JやV-106、そしてAH-1Sといった陸自のヘリ部隊を搭載して、空挺部隊のヘリボーン作戦を実施することも検討研究されたのである。

 その研究を活かすことになったのが、1975年のサイゴン撤退作戦や1995年の阪神淡路大震災であり、ヘリを使った陸自部隊や救援物資の輸送に活躍したこともあって、よりその用途を拡大した後継艦が構想されたのであった。

 結果として「ひゅうが」型ヘリ護衛艦は、護衛艦隊ではなく水陸両用戦も管轄とする掃海隊群隷下となっている。


「役に立ったといえば、F-2戦闘機も、無理してでも国産にしておいて助かったねえ。エンジンもがんばって国産にしたおかげで、F-15よりも好評だそうだし」

「F-15は非常に高いレベルでバランスのとれた傑作機ですが、どうしても基本設計が古いですから。すでに後継となるF-3の試作機が岐阜基地で試験飛行に入っています。転移後の異世界での軍事的脅威がどのようなものかは分かりませんが、必ずや我が国の安全保障に貢献してくれるでしょう」


 F-2支援戦闘機は、エンジン以外を全て国産で開発製造する、という当時の官民あげての一大プロジェクトであり、当時叫ばれていた「1985年の危機」に対応する形で進められた計画であった。

 当時の主力支援戦闘機F-1は、空対艦誘導弾を二発搭載して海面高度30メートル未満を時速750キロで飛翔し、日本人民共和国の支配下にある宗谷海峡と択捉海峡を航行するソ連軍艦艇を撃破することを想定して運用されていた。そして当時の日本の航空技術では、対水上艦攻撃機に必要十分な空戦性能を付与することはできず、要撃任務はあくまでそれ専用の戦闘機に任せる必要があった。

 だが、当時の日米両国による検討では、日本人民共和国国防軍とソ連軍の航空戦力は北海道正面だけで一個前線航空軍720機、他に防空軍や海軍航空隊も含めるならば1500機近い作戦機が投入されることが想定されたのである。そして当時の航空自衛隊の保有戦闘機数は、要撃戦闘機14個飛行隊、支援戦闘機6個飛行隊の合計600機弱、在日米軍が2個航空団150機と、数において倍近い開きがあったのだ。

 この航空劣勢に対処するために日本は主力要撃戦闘機として、当時アメリカが開発したばかりのF-15C/Dに若干手を入れたものをF-15J/DJとして300機導入した。さらに支援戦闘機として対艦対地攻撃任務に加えて、F-15の補完として要撃任務にも使用可能な多用途戦闘機の開発が要求されたのである。

 当時の日本は戦闘機用の大出力のターボファンエンジンを開発製造する能力に欠けていたため、エンジンだけはアメリカから輸入することとし、機体や武装、電子機器は全て国産で開発する、という実に野心的なプロジェクトとなった。

 ただ、開発計画は順調に進むことはなかった。

 一つには航空自衛隊内の派閥争いによって、支援戦闘機としての性能を重視するか、要撃戦闘機としての性能を重視するかで揉め、最初は両者の意見を折衷した形で、


*空対艦誘導弾4発搭載し戦闘行動半径450海里。

*最高速度マッハ2.0以上、有効上昇限度5万5000フィート以上。

*運動性能はF-16に優越するもの。


 という実に厳しい要求が出されたためである。

 要求性能を満たすとなると、機体規模はアメリカ軍のF-16どころかF/A-18すら超えることが確実視され、そのため搭載するエンジンの選定に難航することとなったのであった。

 当初はジェネラル・エレクトリック社のF404-GE-400が本命視されていたのであるが、制止推力がミリタリーで5トン、アフターバーナー使用時で8トンと、双発であっても機体規模に対して不足気味であると評価された。

 だがF-15で使用しているF100系列の採用は、サイズが大きすぎる上、エンジン不調時に全ての戦闘機が飛行停止措置になりかねない危険性があった。そしてF110エンジンはF100エンジンと同規模の大型エンジンであり、機体規模のさらなる拡大と運動性能の低下が予測されたのである。

 F-2の仕様策定は、大日本帝国海軍の戦闘機「零戦」の後継機開発を思い出させるような迷走をさらした。そして、空幕の仕様策定能力に深刻な疑義をいだいたアメリカが介入の姿勢を見せたことで、当時の防衛庁長官が本格的に調停に入ることとなった。

 政治サイドの介入によって新支援戦闘機に求められる性能は、空対艦誘導弾の運用能力を最優先とし、飛行性能はF-1支援戦闘機と同程度、空戦性能はF-16に対し劣位にならなければよい、というところまで要求が緩和させられたのである。

 これは空幕内でF404の頻繁なスロットル操作へのレスポンスの高さを評価する声が大きく、F404エンジンで作れる機体性能の上限を仕様とするよう、当時の防衛庁長官が強く「指導」した結果であった。

 その結果、1997年に部隊配備が始まったF-2A/B支援戦闘機は、F/A-18E/Fとほぼ変わらない機体規模の双発中型戦闘機となり、要撃戦闘機としてはアンダーパワーとの評価が一般的となった。その結果国内では初期不良の問題が過大に取り上げられ、ミリタリー系雑誌を中心に長いこと戦闘機としては駄作扱いされ、国産兵器不要論のやり玉にあげられる羽目になったのである。

 だが自衛隊も、F-2の問題を放置することはなかった。

 F-2を本来空自が欲した戦闘機として完成させるために、F404エンジンの推力不足に対応することを名目に、当の防衛庁長官の肝いりで国産の戦闘機用低バイパス比ターボファンエンジン開発が開始されたのである。

 官民合同でのエンジン開発の道のりは決して平坦ではなく、多くの失敗を積み重ねつつ障害を乗り越えることを繰り返した。結果として、予定より3年遅れた2003年に制止推力でミリタリー6トン、リヒート9トンの性能を発揮するF5-IHI-20エンジンの開発に成功し、F-2に試験的に搭載されることになった。この時の飛行性能は、当初に要求されたものをほぼ満たし、部隊側をようやく満足させる機体となったのである。

 そして、2004年に策定された「16大綱」によって要撃戦闘機と支援戦闘機の区別が廃止されることが決定した。

 その結果F-2戦闘機は、機体構造の見直しや電子機器の変更、LJDAMやAAM4の運用能力の付与をはじめとする多くの性能改善措置を行った上で、さらなる出力上昇と出力変動のレスポンス性能を向上させたF5-IHI-30を二基搭載したC/D型の開発が開始され、F-4EJ改戦闘機の後継機として整備することが決定したのであった。

 結果としてF-2戦闘機は、C/D型に発展改良されたことで、第4.5世代戦闘機たるマルチロールファイターとして各国の同世代の戦闘機でも上位に入る高性能機に生まれ変わったのである。


「技術というのは、結局は積み重ねです。それもどれだけ失敗を繰り返し、障害を乗り越え、多くの経験知を得るか、それが重要になります」

「そうだねえ。いや、まさか日本がアメリカとロシアに次いで第五世代戦闘機を国産で開発できるなんて、F-2開発の頃にはまったく予想もできなかったからね。それがイギリス空軍が欲しがるくらいの高性能戦闘機になりそうなのだから、本当に隔世の感があるよ」


 そして、F-2の開発で得た知見の積み重ねの結果として、ノースロップ・グラマン社とBAE社の協力を得たとはいえ、F-22、F-35、Su-57に続くフルスペック第五世代戦闘機としてF-3が完成しようとしているのである。

 なお日本の防衛関係者の間では、中国人民解放軍のJ-20戦闘機を「完全な」第五世代戦闘機とはみなさない者が大半をしめている。これは、かの機体がごく初期世代のステルス攻撃機であるF-117と同程度のステルス性能しかもたないゆえに、F-15性能改善型やF-2Cのレーダーで十分に発見対処可能であるため、第五世代戦闘機と呼ぶには役者が足りぬ、というのがその理由であった。


「仮に今すぐ台湾有事が起こったとして、中国と朝鮮と戦争になっても航空優勢を奪われる心配をあまりしなくていい、というのはありがたいよ。少なくとも転移までなんとか平穏無事に過ごしたいものだね」

「はい。大臣のお言葉に完全に同意いたします」


 馬場統幕長は、早河大臣の言葉に深く首肯してみせた。

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