第5話 序章・転移前 対峙の情景


 五


 そろそろ夏の訪れを感じさせる強い日差しがふりそそぐフィリピン海の洋上では、人民解放海軍の航空母艦「遼寧」が、接近しようとする海上自衛隊の「ひゅうが」型ヘリ護衛艦4番艦「やましろ」を振り切ろうと全速力で航行していた。

 当然、空母「遼寧」の周囲には護衛の駆逐艦やフリゲートが輪形陣を組んで警戒にあたっており、「やましろ」の接近を阻止しようと必死になって走り回っている。


「左10度より、054型フリゲート近づく。距離3000!」

「反航する。取り舵一杯、赤20」

「とーりかーじ」


 護衛艦「やましろ」の艦橋で操艦の指揮をとる艦長の村上浩佑1等海佐の指示に、操舵員が舵をきる。

 基準排水量で2万7千トンを超える大型艦だけに、舵が利きはじめるまで若干のタイムラグが発生する。その間にも中国海軍のフリゲート艦は、「やましろ」を「遼寧」に近づけまいと衝突覚悟の勢いで突っ込んでくる。


「舵戻せ。最大戦速」

「かじもどーせー、よーそろー」

「最大戦速、機関一杯!」


 舵の利きはじめは船体にかかる慣性のせいで、曲がろうとする方向の逆側に船体が横滑りする。互いの艦首が相対したところでそうやって針路をずらすことで、突っ込んでくるフリゲート艦をかわしぎりぎりですれ違う。

 50メートルと離れていない距離を、互いに30ノット以上の速力で疾走するのだ。054型フリゲートはあっというまに「やましろ」の後方に置き去りにされ、慌てて左舷に回頭しようとその船体を傾斜させていた。


「「遼寧」右20度、距離8000!」

「速度第5戦速、針路0-1-7」

「針路0-1-7、面舵15、宜候」

「舵戻せ、最大戦速」


 見張り員の報告に、双眼鏡を「遼寧」へと向けた村上1佐は、相手と同航するように針路をとらせた。

 蒸気タービン機関の「遼寧」は、その巨大な船体もあってどうしても加速に時間がかかる。MT-30ガスタービンエンジンとLM2500ガスタービンエンジンを2基づつ搭載し16万馬力を発揮可能な「やましろ」は、ガスタービン艦らしい加速力を発揮して、あっという間に人民解放海軍の航空母艦と並走する体勢となった。


「こちら艦長、CDC応答せよ」

『こちらCDC、どうぞ』

「副長、電波情報の収集状況はどうか?」


 双眼鏡ををおろし通話マイクを手にした村上1佐の抑揚にとぼしい声色の問いかけに、壮年の副長はスピーカー越しにでもわかるほど楽し気な声色で答えた。


『順調です。向こうさん大慌てですな。さすがにFCSは向けてきてはいませんが、それ以外は駄々漏れも同然です』

「よろしい。映像情報の収集も続けるように」


 表面上は冷静さを保ったまま淡々と指示を下す村上1佐は、今自身が指揮する「やましろ」が単艦で「遼寧」の追跡任務にあたらねばならない海上自衛隊の現状に、内心では憤りをすら感じていた。

 2022年に始まったロシア軍のウクライナ侵攻より、中国人民解放軍もその活動を活発化させ、東アジア地域の緊張を激化させている。自衛隊は、一方で暴走しがちな朝鮮人民軍を抑えつつ、米軍と共同して中国軍を牽制するために奔走する日々をおくっていた。

 基準排水量2万7500トン、満載排水量なら4万トンを超える大型艦の「ひゅうが」型ヘリ護衛艦四隻が、2009年から2017年にかけて就役したのは、2004年に時の恋住政権で策定された「16防衛大綱」によって、日本の防衛政策が全面的に改訂されたためである。

 これまでの対ソヴィエト連邦、対日本人民共和国対処重視から、対朝鮮民主主義人民共和国、対中華人民共和国対処重視へと方針転換が行われた結果、南西諸島をはじめとする島嶼防衛能力の向上が要求され、水陸両用戦能力のさらなる拡充がはかられることになったためであった。

 元々海上自衛隊は、1950年の北海道戦争以来、日本列島近海の内航航路の警備と、樺太島と千島列島への上陸部隊の護衛を主任務と想定して整備されてきた。

 だが冷戦期間中の海自は、日本への武力挑発を繰り返す朝鮮人民軍への対応や、ヴェトナム戦争への参加、増強されるソ連太平洋艦隊の原子力潜水艦への対処といった、その実際の能力以上の任務が要求されることになった。

 結果として四次防で、基準排水量9800トンのヘリコプター搭載全通甲板型護衛艦「しらね」「くらま」の建造が閣議によって決定され、北太平洋や日本海でソ連海軍の潜水艦を相手とした任務に投入される事になったのであった。

 ただでさえ予算と隊員が不足気味な海上自衛隊は、結果として各地方総監部に配属された近海警備用の護衛艦の他に、機動運用部隊として2個護衛隊群を整備するのが精一杯という状態が長く続いた。

 16大綱で護衛隊群を四個に拡充するために海上自衛官定員の増員や護衛艦定数の増勢が決定したとはいえ、実際に予算がついて艦艇が実戦に投入可能になるまで時間がかかる。しかも冷戦後の国際情勢の複雑化は脅威の多様化をまねき、任務の数も難易度も増大してゆく状況におちいっている。

 つまり任務に投入できる護衛艦の数が、今の海自には決定的に不足しているのであった。

 その結果が、HVUとして最も重要とされるはずのヘリ護衛艦「やましろ」が、単艦で中国海軍の艦艇を監視しなくてはならない現状につながっている。


「艦長、横須賀から入電です」

「読め」


 電信員の報告に村上1佐は、再度構えた双眼鏡から顔を離そうともせず続きをうながした。そんな彼の態度になれているのか、電信員はすぐに手元のメモを読み上げた。


「はい、『発、自衛艦隊司令部。宛、護衛艦「やましろ」艦長。護衛艦「かげろう」を交代のため派遣、「遼寧」の監視を引き継ぎ後すみやかに呉に帰還せよ。1530』以上です」

「了解した旨返信。航海長、「かげろう」と合流の予定位置と時刻は?」

「現在の針路のままならば、宮古海峡東30海里、明朝0300頃となります」

「よろしい。「やましろ」は一旦離脱して「遼寧」の監視を継続する。目標が速度を落としたのを確認後、半直に移行し各員交代で休憩をとらせる。「かげろう」到着後任務を引き継ぎ呉へ帰港する」


 村上1佐の言葉に、艦橋の全員が声をそろえて返答し、それぞれの仕事にとりかかる。そのきびきびとした動作は、すでに輪形陣の陣形を崩してばらけてしまっている中国艦隊の醜態と実に対象的であった。



 偏西風が流れる高度より上の成層圏を、機体上面に海洋迷彩が機体下面に低視認迷彩がほどこされた戦闘機が、二機編隊を組んで飛翔している。その胴体と主翼には鮮やかな色合いの赤い日の丸がえがかれており、二機の所属が日本国航空自衛隊であることをしらしめていた。


『グレゴリ・コントロールからグラニト。不明目標2、方位0-4-0、距離90、高度32000、速度400』

「グラニト01よりグレゴリ・コントロール。不明目標をレーダーで確認、これより接触する」


 西部航空方面隊第5飛行隊所属のF-2C戦闘機を操縦する赤木真琴1等空尉は、春日基地の航空管制隊の指示に従って、東シナ海上空を速度450ノットで飛行していた。彼女が飛ぶ成層圏の空は、真夏を思わせる強い日差しがキャノピー越しにもわかるほどに強い。

 赤木1尉は機体を右に傾けるとスロットルをひらいて上昇旋回に入り、速度を保ったまま不明目標への針路をとった。列機のF-2Cも同じように上昇旋回でついてくる。


「グラニト01よりグレゴリ・コントロール、不明目標を目視で確認。これより接触する。02、編隊の後上方より接近する。続行せよ」

『02、了解』


 わずか90海里の距離ならば、F-2Cは10分とかけずに接近することができる。

 GE社のF404-GE-400ターボファンエンジンにかわってF-2戦闘機に搭載されるべく開発された、石川島播磨重工が生産するF5-IHI-30ターボファンエンジンは、一基当たりドライで最大6,3トン、リヒートならば9,6トンの推力を発揮可能であった。乾燥重量が13,280キログラム、そして最大離陸重量は25,520キログラムのF-2Cはこのエンジンを二基搭載しており、それだけの速度を余裕をもって発揮することが可能なのである。

 日本で二番目に開発された支援戦闘機であるF-2をベースに改良され、第4,5世代マルチロールファイターとして完成度を高めたF-2C戦闘機は、航空自衛隊の主力要撃戦闘機であるF-15J戦闘機を補完するように、こうしてアラート任務にもついている。


「グラニト01よりグレゴリ・コントロール。不明機は中国空軍、いえ、中国海軍のJ-16と確認」

『グレゴリ・コントロール了解。グラニト、領域侵犯対処要項に従って対処せよ」

「グラニト01、了解」

『グラニト02、了解』


 グレゴリ・コントロールの指示と同時に赤木1尉は、F-2C戦闘機を右にロールをうたせて旋回させ、いまだ彼女らに気がついているのかいないのか、まっすぐに飛んでいる中国軍のJ-16戦闘機の後方に回り込もうとした。


「02、目標編隊2-4-0より接近せよ」

『02、了解』


 左上方を飛翔する列機のグラニト02に指示を出すと赤木1尉は、操縦桿により力をこめてさらに鋭い右降下旋回でJ-16編隊の右後ろ上方に遷移した。

 グラニト02が相手の左後方上方に位置したのを確認すると、赤木1尉は国際共通周波数で警告通信を発信する。


「こちら日本国航空自衛隊。中国軍機に告ぐ。貴機らは日本国の領空に接近している。ただちに転針し、領空より退去せよ。繰り返す……」


 日本語、英語、中国語で発せられた警告をうけて、初めて自分達が航空自衛隊の戦闘機に接触されていることに気がついたのか、二機のJ-16はそれぞれ左右にロールを打って編隊を崩し、F-2Cから離れようとした。


「グラニト01よりグレゴリ・コントロール! 目標は戦闘機動に入った、これより追尾する! 02! 左は任せます!!」

『02了解!!』


 F-2Cに優位をとられたと知ったJ-16が、逆にこちらの後ろを取ろうと急旋回に入ったのを見て、赤木1尉は気持ちが浮き立つような心持ちになった。思わず無線に入れる声も弾んでしまう。

 右急旋回によって高度を下げてゆくJ-16を、目前の大型多機能ディスプレイに映るレーダー画像と自分の目で交互に追いつつ、スロットルを開いて右上昇旋回でJ-16の旋回半径の内側に位置し続ける。

 急旋回によるGの加重が全身を押しつぶそうとする感覚に耐えつつ、赤木1尉は特に胸の筋肉を意識して呼吸を繰り返し、彼我の位置関係の把握を怠らないようにした。レーダースクリーンでは、グラニト02がもう一方のJ-16の後上方をしめたまま旋回機動につきあっている。

 急旋回で運動エネルギーを失ったJ-16は、高度を確保しようとアフターバーナーを吹かして急上昇に入った。搭載されている二基のWS-10Aターボファンエンジンは、最大で一基当たり13,5トンの推力を叩き出すことが可能なだけあって、そのまま垂直に近い角度で赤木1尉のF-2Cの上方へと遷移しようとしている。

 赤木1尉はF-2Cの旋回角度をゆるめると、上昇を続けるJ-16の下をくぐり抜けるように降下し、あえて自機の背中をさらしてみせた。

 F-2Cがオーバーシュートしたと判断したのか、J-16は上昇をやめると水平飛行からロールを打って降下に入る。そのままゆるやかに旋回を続ける赤木1尉のF-2Cの後上方につこうとした。

 赤木1尉は、J-16が自機に向かって後ろから突っ込んでくるのを目視で確認すると同時に、主翼前方のカナード翼を立てて機首を上げてからフラップを開き、一気に速度を殺した。F-2Cは一瞬機体が垂直に近い角度になって急激な速度低下を起こし、J-16をオーバーシュートさせる。

 目前を飛び越えてゆくJ-16を確認した赤木1尉は、スロットルを全開にしてアフターバーナーも吹かすとロールを打ち、こちらに尾部をさらしているJ-16に機首を向け、一気に突っ込みをかけた。あえて水平尾翼を廃して二枚の垂直尾翼を左右斜めに傾けることで、機首を上げた状態でも方向舵が利くよう設計されている上、CCVによる機体制御が行われているF-2シリーズならではの空戦機動である。


「スプラッシュ!」


 目前のヘッドアップディスプレイの照準用レクチルがJ-16と重なった瞬間、赤木1尉は撮影モードに入れた操縦桿の機関砲発射ボタンを一瞬だけ押し、J-16の後上面の写真をガンカメラで撮影した。

 レーダー画面と自分の両目で、僚機のグラニト02がもう一機のJ-16を追いかけまわしているのを確認しつつ、赤木1尉も後ろについたF-2Cを振り切ろうとしているJ-16を追尾し続けた。

 航空自衛隊のF-2Cと中国海軍のJ-16の追いかけっこは10分ほど続き、J-16が燃料限界に達したのか空域を離脱することで終わりをつげた。

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