第8話 第一章・転移直後 混乱の始まり


 八


 日本列島とその周辺諸島の異世界転移は、唐突に発生した。

 2025年8月15日金曜日午後7時34分、日本国国民と日本人民共和国人民、および一部ロシア連邦共和国市民等の人々は、自分の視界が光り輝く謎の幾何学模様と意味不明な文字列で埋めつくされたことにパニックを起こしていた。

 当然のように各地では事故が多発し、警察も消防も事故を告げる電話で回線がパンクし、各地の都市機能はマヒしかけた。それでも決定的な破滅的事態におちいらなかったのは、日本国がそろそろ異世界転移する頃合いであると周知されており、皆その時を待ち構えていたこと、そして、政府が異世界転移に備えて警察、消防、自衛隊に対して待機命令を出していたからであった。

 東京都永田町の首相官邸の地下にある内閣危機管理センターで畠山武雄首相は、内閣官房長官とともに、日本全土における転移によって引き起こされた混乱についての報告を受けていた。


「午後8時時点での交通事故件数は1017件、死傷者4473名を確認しています。幸いにして現時点では、航空機および鉄道、海難事故の発生は確認されておりません」


 国土交通大臣が国交省につめているため、代わりに官邸に入っている副大臣が、転移にともなった発生した事故について報告を行った。

 彼の他にも、財務副大臣、外務副大臣、防衛副大臣、総務副大臣、文部科学副大臣、国家公安委員長らが、ここ内閣危機管理センターに入っている。


「KAGURAの観測結果から、8月半ばに異世界転移が起こる可能性が高い、とは予測されていましたが、本当に8月のまん中で発生するとは。アメリカ大使館と連絡はとりましたか?」

「はい。駐日大使からは、日米安全保障条約および異世界転移における日米協定にもとづき、日本国に全面的に協力する、と連絡がありました。そして、日本国内の旧アメリカ国籍の人間の安否を確認し終わり次第、大使以下職員の日本国への帰化申請を行う、とのことです」

「そうですか、事前の打ち合わせの通りですね」


 畠山首相の質問に、外務副大臣が即座にメモを見ながら答えた。

 8月の第二週に入ってから、岐阜県神山町に建設された重力波観測施設KAGURAでは、国内の重力波異状の動きが安定状態に入ったという観測結果が出され、日本が異世界へと転移する前兆であるとの報告が内閣にあげられたのである。

 そのため日本政府は、異世界転移発生の警報を全国に発するとともに、内閣の構成員はそれぞれの省庁に詰めてその時にそなえていたのであった。


「ルキフェラ陛下からのレポートにあった、転移先の周辺国から武装勢力が襲撃してくる事案への対処は、どうなっていますか?」

「現在自衛隊は、全ての部隊が装備の確認を行っており、この世界でも運用に支障が無いと確認がとれ次第、国土周辺の哨戒警備の任務につく計画となっています」

「海に出ている護衛艦で、連絡がとれなくなった船は無いのですね?」

「はい。全て所在を確認し、異状が無いむね報告を受けています」

「それは良かった。けが人や殉職者が出なくてなによりです」


 防衛副大臣も、手元のメモを見ながらよどみなく畠山首相の質問に答えた。

 自衛隊は、野党やマスメディアの猛烈な反発によって事前の防衛出動こそできなかったものの、即応予備自衛官のみならず予備自衛官も招集して実戦を前提とした動員体制に入っており、最高司令官である内閣総理大臣の命令が下り次第出動できるように待機していた。


「この惑星の環境について、報告は上がってきていますか?」

「はい。大気圧は海面高度で平均約1090ヘクトパスカル、重力加速度は10.56Gで、大気組成はほぼ変わらず、光速度等は地球と変化は無いそうです」

「つまり、この惑星は地球よりも少し大きいわけですか。それでも物理法則が同じなのが確定したのは安心材料になりますね」

「はい。二週間以内に最初の観測衛星を軌道上に投入し、この星についての情報収集にあたらせる計画に変更はありません」


 ルキフェラ帝がこの世界と地球とを行き来できていることから、日本国が転移しても住民が環境変化で死滅する可能性はほぼない、と予測されていた。そして、それが確定したことは、まさに朗報といっても過言ではない。

 そして、ルキフェラ帝から受け取ったこの惑星についての事前情報を元に、JAXAは転移後できるだけ早い時期に惑星観測衛星を打ち上げられるよう準備を進めていた。


「とにかく、この惑星の環境がどうなっているのか判らないと、インフラの再整備も手を付けられませんからね。電力や物流だけでなく、通信衛星もGPS衛星も今では国民の生活に無くてはならないものですから」


 畠山首相の言葉に文部科学副大臣以外の全ての出席者も、同意するように首を縦にふった。



 東京都小笠原村父島沖に停泊していたヘリコプター護衛艦「やましろ」は、第4護衛隊に所属する護衛艦「かげろう」「さざなみ」と任務部隊を組み、8月初頭より小笠原諸島の警備任務にあたっていた。

 そして8月15日の午後、僚艦の「かげろう」「さみだれ」に燃料移送を行ったところで異世界転移に巻き込まれ、横須賀の自衛艦隊司令部との通信が回復したところで、小笠原諸島の住民の安否確認の命令を受けとったのであった。


「艦長、「さみだれ」より入電、『父島住民に異状なし。これより二見港を出港、合流する。2140』以上です」

「了解した。「かげろう」からは」

「現在、母島島内に上陸部隊を派遣、住民の安否を確認中、終了予定時刻2230、とのことです」


 「やましろ」のCDCで村上浩佑1等海佐は、僚艦の「かげろう」「さみだれ」からの報告を受けていた。

 満載排水量で4万トンを超え、平均吃水線の深さが8.53メートルもあるため、「やましろ」は父島にも母島にも寄港することができず、僚艦に住民の安否確認を任せなくてはならなかったのだ。

 そんな「やましろ」が小笠原諸島に派遣されたのは、もし島民に何かあったならば、艦内で待機している陸上自衛隊第1空挺団から派遣された普通科部隊を、搭載しているヘリで空輸し救援活動を行うためである。なにしろ「やましろ」には、集中治療室をはじめとする各種医療設備が完備しており、異世界転移によって島民に何か事故が起きた場合、迅速に医療支援を行うことが可能だからであった。


「艦長了解。哨戒ヘリからの次の定時連絡を受信後に発進する」


 機関長からの了解の返事を受け、村上1佐はCDCの戦況表示ディスプレイに注意を向けた。

 そこには日本列島および周辺島々の地図が表示され、また出港中の護衛艦多数が日本近海に展開している様子が表示されている。

 さらには、陸上自衛隊、航空自衛隊の各部隊の状況までも表示されており、この異世界転移という前代未聞の災害に際して、自衛隊が全力で対応している様子がひと目でわかるようになっていた。

 2010年代に入ってからの自衛隊は、2000年代初頭にさかんにうたわれた「情報RMA」に対応するようにネットワーク戦についての研究を進め、陸海空自衛隊の統合運用について積極的に技術開発と組織改編を進めている。

 その結果として自衛隊は、2023年度から陸海空の各部隊を統合運用するフォースユーザーとして防衛大臣直属の統合司令部を設置、その指揮下に統合任務部隊を編成し各種任務にあたらせる体制となったのであった。

 「やましろ」艦長の村上1佐が、「かげろう」「さみだれ」のみならず陸自空挺団の普通科部隊も指揮下において任務にあたっているのは、そうした自衛隊の組織改編の結果である。

 とはいえ、通信衛星を全て失ってしまった現状では、横須賀の自衛艦隊司令部との定時連絡でやりとりするデータで表示を更新せざるをえず、ほぼ30分ごとの状況しかわからない有様であったが。


「艦長、哨戒ヘリ4号機より入電、『我、不審船を発見す。これより目視確認を行う』位置、時刻」

「4号機からのデータ入りました。モニターに出ます」

「……一隻ではない、だと?」


 転移が起きた直後、「やましろ」は待機させておいたSH-60K哨戒ヘリを四機、小笠原列島南方に展開させ哨戒にあたらせていた。そのうちもっとも東よりを飛行中のヘリが北上する国籍不明の船をレーダーで発見したのである。

 CDCの戦況表示モニターには、北上する三隻の不審船を示す記号が表示されている。通信衛星が無事ならば、「やましろ」とSH-60Kの間ではデータリンクが自動でつながり、リアルタイムで状況が確認できるのだが、現時点でそれは望めない贅沢であった。


「機関始動、針路方位2-8-5。これより不審船対処行動に入る。飛行長、哨戒ヘリをさに2機あげて、不審船それぞれの監視にあてろ」

「はい、艦長。ヘルファイアは載せますか?」

「載せろ。市ヶ谷の判断によるが、臨検を受け入れず武器をもって抵抗するならば、最悪の状況も想定する」


 村上1佐は、一切の躊躇なくSH-60K哨戒ヘリにAGM-114M「ヘルファイア」多用途ミサイルの搭載を命じた。彼は出港前に自衛艦隊司令部より、異世界転移後に現地武装勢力が日本本土へ略奪もしくは土地の占拠のために押し寄せる可能性について、警告を受けていた。


「「かげろう」と「さみだれ」に不審船発見の連絡は入れたか?」

「データ送信済みです。「さみだれ」は本艦との合流のため出港する、と連絡が入りました。「かげろう」からは、予定通り母島島民の安否確認後発進する、とのことです」

「よろしい。統合司令部に状況を報告。その際に、父島と母島に載せている陸自部隊を展開させる必要があるか、確認をとれ」

「はい、艦長」


 現在「やましろ」に乗艦しているのは、陸上自衛隊第1空挺団第3空挺連隊から派遣された1個普通科中隊120名である。ただし、彼らを輸送するヘリはのうちV-22は硫黄島にF-35Bとともに待機中であり、転移による影響を点検中であった。


「艦長、MCH-101Jを甲板待機させますか?」


 飛行長のそれは、質問の形をとった確認であった。通常の臨検を行うならば乗組員から臨検隊を編成することになるが、不審船側の武装によっては空挺隊員による制圧と捕虜の獲得が必要になるからだ。

 彼らを輸送するヘリは、飛べと命じたらすぐ飛び立てるわけではなく、格納庫から飛行甲板に上げて燃料を入れ、エンジンを始動させて暖気運転を行わなくては発艦させることはできない。


「待機させろ。武装と弾薬の搭載も許可する。あとSH-60K3機から対潜機材をおろして、陸自隊員を運べるように準備させろ」


 村上1佐の命令に、飛行長は即座にヘリの発進準備と甲板待機を指示し始めた。

 そして村上1佐は、ようやく思い出した様子で、船務長を兼任している副長に顔を向けた。


「副長、艦の指揮を預ける。空挺の指揮官に状況を説明しにFICに行ってくる」



 「やましろ」のFICこと司令部作戦室は、CDCと同じギャラリーデッキに設置されている。本来ならここに任務部隊司令部が置かれ、陸海空自それぞれの部隊の指揮をとるのであるが、現時点では「やましろ」艦長の村上1佐が任務部隊指揮官を兼任しているため、FICは陸自と空自の指揮官の待機所のような有様となっていた。


「2153時、本艦の哨戒ヘリが北上中の不審船三隻を発見した。現在それぞれにヘリを監視に発進させているところだ。そして、本艦と「さみだれ」が臨検にあたる」


 FICに移動した村上1佐は、作業装姿の普通科中隊の中隊長の3佐と中隊本部要員らが一斉に立ち上がって敬礼するのに対し、歩きながら答礼して司令官卓についた。そして担当の幹部に周辺状況をモニターに表示させ、挨拶もそこそこに任務部隊が置かれている状況の説明を始めた。


「不審船は、現在この位置を本土に向けて北上中だ。現在状況を市ヶ谷に報告しているが、対象が臨検に応じず武器をもって抵抗したならば、陸自に不審船の制圧と乗組員の確保をしてもらう必要がある。そのつもりで準備をし待機して欲しい」

「質問」


 普通科中隊長の室賀3等陸佐が右手を挙げた。歳の頃は三十代後半に見えるが、作業服の上からでも判るくらいに贅肉の無い鍛え抜かれた身体をしているふてぶてしい面構えの兵隊である。その彼が、難しい表情をして言葉を続けた。


「敵情についての詳細を説明いただきたい。自分も部下も、やれと言われればどんな任務でも遂行する自信がありますが、それも正確な情報あってのことです。それと、統合司令部から命令が来るのはいつ頃になりそうですか?」

「今、哨戒ヘリが現場に向け急行中だ。接触は約30分後を予定しているが、接触し次第情報を伝える。市ヶ谷からの命令はそれ以降になるだろう」

「了解いたしました。では、父島と母島への部隊の展開は、事前計画とどのような変更点がありますか?」

「それも市ヶ谷の判断待ちだ」

「……了解いたしました。質問を終わります」


 室賀3佐は、その日に焼けた顔から表情を消して質問を打ち切った。今の時点では、彼らとしては準備も何もやりようがないからだ。周到な用意無くして任務の達成が不可能なのが、陸上戦闘なのである。事前情報無しでできることなど、出動準備の用意をさせることくらいしかない。

 伝えるべきことは伝えた、と判断した村上1佐は、さっさと席を立つとCDCへと戻っていった。

 残された室賀3佐以下の陸自隊員達は、指揮下の普通科小隊から船内突入班を3個編成する作業に入った。とはいえ、やれたのは各小隊長をFICに呼び出し、突入班を編成できるよう準備するむね伝えることくらいであったが。

 

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