第3話 序章・転移前 首脳たちの判断


 三


「日本が異世界に転移する、だと?」


 2020年のアメリカ合衆国大統領選挙の結果、ホワイトハウスに主人として戻ってくることに成功した米民主党出身の大統領が、国務長官からの報告に声をふるわせた。

 すでに齢70を超えたこの老人は、2008年に当選したアメリカ初の黒人大統領の閣僚として、主観的には合衆国のために粉骨砕身してきた。その結果がCIAを使って引き起こしたマイダン革命であり、冷戦の遺物であるF-22をはじめとする旧世代の兵器の調達中止からはじまる国防予算の削減であったりと、賛否の別れるところではあったが本人にとってはどうでもよいことである。

 そして、2022年の国政選挙中に遭難した日本の元首相が提唱した「自由で開かれたインド太平洋構想」に基づいた国家戦略を推進しようとしていた矢先のこの報告である。

 アフガニスタンからの米軍撤退の不手際による支持率低迷や、ウクライナへのロシア軍侵攻によって引き起こされた世界恐慌への対処に忙殺される中、アメリカにとって最も信頼できる極東の同盟国の喪失は、まさしく許容できない戦略環境の変化であった。


「はい、大統領。駐日大使が異世界側の代表者と会談しましたが、早ければ三年後には、と」

「それは、本当に異世界人なのか!? 信じられん!」

「……確認はとれております。その者が大使館員によって確認されたのは1976年とのことですが、この50年複数回の接触をもちましたが、全ての情報が同一人物であることを証明しております」

「そんな話、聞いたことがないぞ!?」


 国務長官の困惑交じりの報告に、大統領は口からつばを吐く勢いで大声をあげた。

 かつて黒人大統領の時代、彼は副大統領として当時のホワイトハウスの意思決定に深く関与していたのだ。その自分が何も知らされていないなぞ、あってはならないことである。

 そもそもそが異世界などというファンタジックな代物が実在しているならば、それは現代物理学を根底から変えかねない大発見なのだ。まして、この地球と異世界を行き来できるなど、まさしく神の御業にも等しい奇跡である。


「向こう側の強い希望によるものです。……一度CIAが本人をアメリカに連行しようとして、要員を廃人にされたことあるそうです。しかも、要員が持つ全ての情報を抜かれたと」

「……魔法でも使ったのか、それは」

「はい。その上で日本側からも極めて強い遺憾の意を示され、以降、在日大使館員の間でのみ口頭で引き継ぎが行われてきた、と」


 実際のところは、CIAが当の女帝陛下をアメリカ大使館敷地内に連れ込んだ時点で、彼女の魔法によって敷地内の合衆国関係者全員の精神が支配下におかれたあげく、大使館内の全員の記憶をのぞかれ全ての機密情報を抜かれてしまったため、である。

 こうなってしまっては、もはやCIAの責任問題どころの騒ぎではなくなる。当時のCIAの極東担当責任者と駐日大使がそろって女帝陛下に平身平頭して謝罪し、以降アメリカ側は彼女に一切干渉しないことを確約することで手打ちにしてもらったのであった。


「そもそものその者は、なぜ日本に現れるのだ? 取引するならば、我が国の方がよほど見返りは大きいはずだ」

「当時の報告書によれば、異世界側の宗教儀式によって多数の日本人が拉致されており、その被害者を救助したのちに送還するために来訪していた、とあります。幸いにして、これまでアメリカ合衆国市民が拉致された事実は確認されていない、とのことです」


 そして、拉致被害者を送還するのと引き換えに日本側から多くの文物や情報を持ち帰っており、それ以上の関係の深化を相手は望んではいなかった、と国務長官は付け加えた。

 大統領は、数十年にわたってアメリカが異世界交流の場からしめ出されていたという事実に心底不愉快になったが、とりあえずその感情をおさえつけて話を続けた。


「それで、日本が異世界に転移するという証拠はあるのかね?」

「はい。これは日本側から提示されましたが、二年前から重力波検知施設での観測データに異状が検知されているとのことです。どうも異世界と日本が空間ごと入れ替わりつつあるため、向こうの惑星の重力波を検知しているのではないか、と仮説がたてられたとか」

「入れ替わりかね。つまり、日本があった場所に異世界の土地なり海なりが現れる、ということか」

「はい、大統領」


 すっと表情を消した大統領は、しばらく考えをまとめてから再度口をひらいた。


「もし、日本の転移した跡に異世界の土地が現れたとして、その帰属はどうなる?」

「今回の異世界側からの接触には、その問題についての提案がありました。日本国の異世界転移のための準備に合衆国が協力するのであれば、地球に転移してきた土地を合衆国に正式に譲渡する契約を締結する用意がある、と」


 もし日本が転移してしまうならば、かの国が今の地球世界に有している諸々の関係全てをを清算してしまう必要がある。特に国家間民間とわず、債権債務の整理は大きな問題となるであろう。

 数兆ドル規模の債権を有する日本がある日突然消えてしまえば、国際金融システムは致命的なダメージを受けることになる。さらに、日本は西側でも随一の先進工業国であり、それが失われることはアメリカにとって決して無視できないダメージとなる。


「つまり、日本が有している資産を合衆国が引き継ぐかわりに、異世界で生き残るための準備を手伝ってやって欲しい、ということかね?」

「そういう理解でよろしいかと」

「……悪くはないな」


 2022年のアメリカは、コロナ禍への対応のための膨大な連邦政府支出と、大統領の選挙公約である化石燃料に頼らない新エネルギーをめぐる政策の失敗により、ひどいインフレに苦しめられている。

 だがここで、日本が有している各種知財と生産設備を手に入れて実体経済にテコ入れできるならば、経済状況の大きな改善が見込める可能性はきわめて大きくなる。そしてなんといっても、アメリカが再度工業国として復活することで、かつてのように世界経済を支配できるようになるかもしれないのだ。


「詳細を政府内で検討してみる価値はあると思うかね?」

「むしろ、いかにして他国に日本の遺産を渡さず独占するか、それが重要になるでしょう」

「うむ、方向性としては悪く無いと思う」


 仮定に仮定を重ねたうえの話とはいえ、アメリカにとってマイナスになる話にはならなさそうである。

 大統領は二年後の選挙での再選も見えてきたことに機嫌を良くすると、閣議を開催し日本転移にいかに対応するか検討することを決めた。



「そうですか、アメリカ側は手を貸してくれますか」


 暦の上ではすでに冬に入っているはずなのにいまだに半袖姿の人々が目立つ東京では、ロシア軍のウクライナ侵攻の影響がほとんど感じられないにぎわいをみせていた。

 その東京は永田町の首相官邸で、第100代内閣総理大臣をつとめている畠山武雄首相は、閣議の席上その特に目立った特徴というものを感じさせない容貌をゆるませた。


「少なくとも、五年間は今の経済活動を維持できるだけの資源を備蓄しなくてはなりませんからね。100億トンですよ、100億トン。備蓄施設の建設だけでも一苦労です」

「余談ではありますが、「女帝陛下」からの資料では、先方の港湾設備では10万総トン級の船舶が接岸できる港も限られるそうです。さらに鉄道の敷設も国土の一部に限られており、我が国からの支援に期待したい、と」

「移転した先で我が国の経済に有効需要が見込めるというのは、幸運以外のなにものでもありませんね」


 閣僚皆が配布された資料に目を通すなか、外務大臣が喜色をにじませた声色で説明を続ける。

 なにしろ異世界転移などという前代未聞の災害を前にして、この地球最大の超大国であるアメリカ合衆国の全面的支援を受けられることになったのだ。それは、ある日突然何の準備も無いまま異世界に放り出される、などという日本崩壊の悪夢から逃れられることを意味する。喜びがおもてに出ないわけがない。

 さらには転移した先の異世界に、日本が交易できる友好国を確保できるというのは、光明以外のなにものでもない。グローバリゼーションに適応し、国際分業によって経済をまわしてきた日本は、もはや内需だけで経済活動を維持することはできなくなっていた。


「それで、異世界転移について通知した国は、アメリカの他にはイギリス、オーストラリア、インドでしたね。各国の感触はどうですか?」

「各国駐在大使からの報告では、イギリス以外は半信半疑といいますか、実際に転移が起こってみないと信じられない、という様子だそうです」

「まあ、そうでしょうねえ。我々だって、同じ話を聞かされたら信じることは難しかったでしょうし。むしろ、アメリカとイギリスが、これだけすんなり信じてくれたことの方が驚きですよ」


 外務大臣の言葉に、うんうんとうなずきつつも畠山首相は、困ったかのような笑いを浮かべた。

 そんな総理大臣の言葉に、同じように苦笑を浮かべた外務大臣は、文部科学大臣の方に視線を向けてから言葉を続けた。


「アメリカには我が国のKAGURA同様の重力波観測施設があり、データの検証によって我が国で発生している空間の異状が感知されたそうです。イギリスは、まあ、情報収集については抜かりない国ですから」


 日本の重力波感知施設であるKAGURAは、アメリカの重力波感知施設LIGOとイタリアに置かれている国際共同の重力波感知施設Virgoとの間で情報共有を行っている。そしてリアルタイムで重力波変動のデータのやりとりを行っているだけに、日本側の報告の検証も確実に行えた、というわけであった。

 ちなみにイギリスは、ハノーファーにドイツと共同でGEO600という施設を運用しているが、その観測精度はKAGURA等の施設と比較してかなり見劣りする。


「それで、最大の懸念ですが、「北」はどう動きそうですか?」


 畠山首相の言葉に、外務大臣は一瞬表情を失い、そして防衛大臣に感情のこもっていない視線を送った。日本政府は「北」こと日本人民共和国を国家として正式に認めたことは一度として無く、あくまで日本国土の一部を不法に占拠している武装勢力扱いなのである。

 防衛大臣は送られた視線を無視することなく、おもむろに口をひらいた。


「これは次回の国家安全保障会議でご報告させていただく予定でしたが、よろしいでしょうか」

「はい、かまいません」

「ご存じの通り自衛隊は、「北」の国防軍と非公式ながら情報交換のためのパイプを維持しております。彼らにとって、2009年の政権交代と、それに続いて行われた南北統一をもくろんだ自衛隊の動員は、いまだにぬぐいがたい不信感を与えています」


 2008年のリーマンショックからくる世界恐慌と、それによって発生した2009年の総選挙での政権交代は、日本国の国際的信用を大きく棄損し、政治的経済的軍事的に大きな傷を残す結果となった。2022年の日本国は、中国大陸と朝鮮半島の共産主義政権と極めて険悪な関係にあるが、それを悪化させたのも政権交代で権力を握った左派政権の各種政治活動の結果である。

 そして2010年当時の左派政権の内閣総理大臣は、朝鮮半島系の民族団体から政治資金の定期的提供を受けていたことを暴露され、政治的に追い詰められていた。

 そのような絶体絶命の危機の中、彼は何を考えたのか、自らをおそった政治的スキャンダルをうやむやにするために、自衛隊に動員をかけさせて外交的に圧力をかけ日本人民共和国を日本国へ帰属させる、という形で南北統一を実現しようとしたのである。

 当然、このような暴挙はアメリカやロシア、そして極東各国を巻き込んで軍事的緊張を限界まで高めたが、翌2011年に東日本大震災が発生することで自然解消的に無かったことにされたのであった。

 とはいえ、日本国が国連憲章を無視し、憲法に違反する形で軍事力を行使しようとしたことにかわりはなく、以降左派政権は全世界から事実上存在しないものとして扱われることになり、2012年の総選挙で再度の政権交代が行われることになった。

 おかげさまで2022年のロシア軍のウクライナ侵攻を日本政府が非難した際に、当のロシア政府から「お前には言われたくない(大意)」と駐日大使館経由で返され、ネット上では世界中から散々笑いものにされていたりする。これが左派政党への国民の不支持をさらに広げているのは言うまでもない。

 以来日本国、というより自衛隊は、日本人民共和国国防軍との間で非公式ながら定期的に情報交換のための会合を持つようになり、双方の政治中枢の意思を伝えあう貴重なパイプ役をはたしていた。


「「北」は、異世界に転移する範囲に自分達がどこまで巻き込まれるのか、それを知りたがっています。北海道だけなのか、千島樺太まで含まれるのか、それともロシアの領土まで巻き込むのか」

「それは当然の懸念ですね。それで、今の時点では転移する範囲は確定していない、そうですね?」


 畠山首相に視線を向けられた文部科学大臣は、一度資料に目を落としてから自信なさげに答えた。


「はい、総理。現在の観測データですと、重力波の異状が感知されたのは本州内であって、日本全土というわけではありません。ですが、「女帝陛下」からの情報が真実であれば、異状が検知される範囲は拡大することになります。それを観測しないことには、なんとも」

「それは当然そうでしょうね。転移は、早ければ三年後、遅くとも八年後には起こるそうですし、実際に起こってみないとわかりませんね」


 総理の言葉にあからさまにほっとした表情を見せた文部科学大臣を見なかったことにして、畠山首相はこの議題についての結論を出した。


「今の時点では情報が不足しています。各省庁は転移を前提として我が国がこうむる被害について検討し、その対策を立案していただきたい。それを元に「異世界転移対策本部」を立ち上げ、政府として対応してゆくことにします。なにか意見はありますか?」


 畠山首相の言葉に、誰も異議を口にすることはなかった。

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