第六話 十二年越しの婚約指輪②

 ◆

「――花が好きなのか?」


 遠い昔に、ルッツはロザリーが平原に咲く花で花束を作っているのを見かけた事がある。

 いつものように仕事が終わった後、野営地に来てみると少女の姿が無くて辺りを探してみたら、その小さな背中を発見したのだ。

 ずっと見られている事に気づかなかったのか、ルッツの姿を確認するとロザリーは見る見るうちに顔が赤くなった。


「ち、違う! これは、父さんの真似だ!」

「エドヴィンさんの?」

「うん。父さんいつもお客さんからこういうのもらうから」


 多分熱心な観客の贈り物なのだろう。今ロザリーが持っているような粗末なものではなく、美しくラッピングされた鑑賞華の花束の事だ。


「……きれいだな、と思って」


 少女は顔を赤らめて俯いた。


(やっぱり好きなんじゃねえか)


 顔を合わせればいつも剣の稽古をせがんでくる。休憩中に話す内容も、もっと強くなりたい、もっと演技が上手くなりたい、そんな話ばかりで。おおよそ年頃の少女が話す内容とはかけ離れていたように思う。でも野草の花束を作っている姿は珍しく少女らしくて図らずも可愛いと思ってしまった自分がいる。

 ルッツは笑いをこらえながら近くに咲いていた黄色いタンポポの花を摘み取り、少女の作った素朴な花束に添えてやった。


「いいんじゃないか? 綺麗で」

「ほんとに?」


 少女は嬉しそうに笑った。


「ルッツは花好きか?」

「花……、まあまあかな」


 別段嫌いなわけじゃないが好きでもない。正しく言えば興味がない。ルッツの年頃の男で花に興味を持っているやからは近くにもそうそういなかった。


「じゃあこれ、ルッツにあげる」


 するとロザリーはルッツに向かって花束をさしだした。ルッツは虚を突かれて固まったが、反射的に花束を受け取ってしまう。


「あ、ありがとう……」


 正直ルッツが貰ったところで無用の長物なわけだが、目をキラキラと輝かせる少女に向かって突き返すわけにもいかず渋々それを受け取った。

 でも彼女が花が好きだという事は何故かそれからもずっと記憶に残っていて、花を見るとふと彼女の事を思い出すようになった。




 彼女がここを出て行ってしまってから一晩が明けた。ルートヴィッヒは自室で書き物を終えるとふと窓から見える庭を一望してため息をつく。

 婚約者であるフロレンツィアならともかく、その付き人一人がここを去ってしまった程度で屋敷の者たちは変わらなかった。だが昨日からルートヴィッヒは難しい顔をして押し黙り、そしてフロレンツィアもおそらく彼女と何かを話したのだろう、暗く沈んだ様子だった。


 ルートヴィッヒは机の引き出しを開けると奥底にしまい込んでいた古い小さな小箱を取り出した。もう二度と開けることはない、でも未練がましく手元に置いていたそれを開けようとした時、ノックの音が聞こえた。


「旦那様、少しよろしいですか?」


 顔を見せたのは執事長であった。


「フロレンツィア様から少し話があるので、サンルームの方に来てほしいと伝言をうけたまわっております」

「フロレンツィア嬢から? 何の要件だ?」

「――いえ、私も聞き及んでおりませんで、とにかくサンルームの方にお越しください」

「……? わかった」


 言われたとおりにルートヴィッヒはサンルームに向かうことにする。その前に、ルートヴィッヒは先ほどまで認めていた書状を封筒に入れると、


「これをカイン=エルメルト侯爵に送っておいてくれ」

「畏まりました」


 手紙を執事長に手渡し部屋を出た。

 一体フロレンツィアがどうしたというのだろう。頭に疑問符を浮かべたままルートヴィッヒはサンルームに向かった。


 屋敷の南端に備え付けられたサンルームは屋内で庭園が一望できる唯一の場所だ。滅多に足を運ぶことのないその場所に入ると、目の前に広がる壮大な景色と共に、一人の少女が座っているのを発見した。


「フロレンツィア嬢」


 テラス席に座っていたのは予想通りフロレンツィアであった。彼女が座るテーブルにはすでに二人分のお茶の用意がされている。


「ルートヴィッヒ様、お話とは何ですか?」

「……? いや、私は君から話があると聞いたのだが?」

「え……、私はルートヴィッヒ様からお話があるからここで待つよう言われたのですが?」


 フロレンツィアが目を丸くしてきょとんしている。ルートヴィッヒも自然と同じような顔になって、


(……なるほど、められたか)


 サンルームの外を垣間見ると、廊下側の窓際にちらちらと使用人のヘッドドレスが見え隠れしている。それも複数。ルートヴィッヒに声をかけた執事長もその奥から悪戯いたずらに微笑んでいた。

 ルートヴィッヒは深いため息をついた。


 原因は自分でもよくわかっている。縁談相手であるフロレンツィアがこの屋敷に滞在を始めてから、ルートヴィッヒとフロレンツィアの仲は外から見ても進展していない。こちらは別に邪険にしているわけではないが、単純に所領管理の事務処理が忙しかったのと――単に乗り気でなかったからだ。

 それに昨日のロザリーの件でルートヴィッヒもすっかり意気消沈していた。大方フロレンツィアと関係を深められない事にうれいているとでも思われたか。


 ――どちらにしても余計なお節介だ。


 だが、確かにここらでフロレンツィアとの関係もはっきりさせておかねばならない。いつまでも逃げ回っているのも不自然だ。


「ご一緒しても?」

「えっ、は、はい!」


 フロレンツィアは顔を赤らめて緊張した面持ちで向かいの席を示す。


「……お味はいかがですか?」

「ええ、とても美味しゅうございますわ」


 優雅にティーカップを持ったフロレンツィアが微笑む。都会のお嬢様らしい、流行りのベロアのドレスに豊かな髪を綿密に結い上げた姿は確かに財務長官のご令嬢にふさわしい出で立ちだ。ルートヴィッヒも同様にご丁寧に用意された空のティーカップに紅茶を注ぐ。


「……」「……」


 気まずい沈黙。正直この正真正銘のご令嬢をどう扱っていいものか。ルートヴィッヒには手に余る代物だ。

 対してフロレンツィアの方も緊張故か先ほどから明らかにカップを持つ手が強張っている。はたから見ればアプローチに苦心する初々ういういしい婚約者同士、なのだろうがルートヴィッヒにとってはもはや地獄にも等しい雰囲気であった。――と、


「こうして二人きりでゆっくりお話しするのはもしかして初めてかもしれませんね」


 沈黙を破ったのはフロレンツィアだ。彼女は緊張しつつもどこか据わった目でルートヴィッヒを見返した。


「ああ、そうだったか。申し訳ない、こちらに来てから仕事ばかりであまりお構いも出来なくて」

「いえ、お忙しいのは承知しておりますわ。それに鵜飼猟にも連れて行ってくださいましたし」


 先日連れだって裏手の湖畔に行ったのは唯一の逢瀬おうせか。しかしあれだってルートヴィッヒはほとんどフロレンツィアと話していない。


「ロザリーも、とても楽しかったと喜んでいましたわ」


 ロザリーの名前が出た瞬間、空気が一層重くなった。

 昨晩突然ここを去った彼女。ルートヴィッヒは昨日彼女と何を話したのか、何故そうなったのか、この令嬢にきちんと伝えていない。

 一方のルートヴィッヒも、彼女が去る最後にフロレンツィアと何を話したのかは知らない。お互いに彼女の事を言葉にせぬまま、この場に相対していることに強烈な違和感を覚える。

 ルートヴィッヒは再び黙り込んだ。ハラハラと様子を見守る使用人たちの様子が視界に映る。


「ねえルートヴィッヒ様。私たちって実はよく似ていますわよね」


 不意にフロレンツィアが目を細めて笑った。その表情は今まで見た事もない。年頃の令嬢にしては随分と冷徹れいてつなものだ。


「似ている? 私たちが?」


 ルートヴィッヒは努めて平静に聞き返した。こちらの動揺にも構わずフロレンツィアは続ける。


「はい、私気づいてしまったんです。貴方って、もしかして私と同類なんじゃないかって」

「同類……、と言うと?」

「私と貴方とは趣味嗜好が大変合う、という事です」


 その言葉にルートヴィッヒはにこりと笑った。


「それはとてもいい事だ。夫婦となるにあたって価値観が合うのは良い事で――」

「あら、この期に及んでまだおとぼけになりますの?」


 ルートヴィッヒの愛想笑いをフロレンツィアの冷たい声が遮った。


「貴方、私と結婚する気など更々さらさらないでしょう?」


 まさに文字通りに空気が凍る。ルートヴィッヒは目を見開いて目の前の令嬢を見据えた。

 先ほどのつつましやかで大人しそうな少女とは打って変わって、駆け引きの得意な女の顔になっている。

 突然の変化に開いた口が塞がらなかったが、不思議とルートヴィッヒは受け入れることが出来た。


「……なるほど。さすがは財務長官のご息女。箱入りの世間知らずなお嬢様かと思っていたが、人を見る目はあるようだ」

「あら、世の令嬢は皆こんなものですわ。この世の中、女というものは計算高くなくては生きてゆけません。人の顔色をうかがって、自分を幸せにしてくれるお相手を探すために策略を練って、そして意中の方の前でいい顔をしますの。か弱くて、つい守ってあげたくなるような、そんな顔をね」

「はは、それは恐ろしい。……で、俺にはもうそんな顔しなくていいと?」


 フロレンツィアは何も言わずに首をかしげて笑った。恐ろしい女だな、とルートヴィッヒは思う。一歩間違えればその覇気に吞み込まれそうだ。


「私、自分で言うのも何ですけど面食いなんです。結婚するなら絶対に容姿の整った方でないと嫌なんです」

「なるほど、俺の顔はそれに値しないと」

「いいえ、むしろ貴方は私の理想ですわ。器量もよくて地位も財力もあって、これ以上の条件に合う殿方はそういないでしょうね。正直初めて会った時、心奪われました。『まあ、なんて素敵な方なんでしょう』と」


 褒められているはずなのになんだかけなされている気分だ。だがここは大人しくこの女の言い分を聞いてやるのが吉だろう。


「でも貴方には最大の欠点がありますわ」

「ほう、何かな?」

「私のこの世で最も大切なものを傷つけた事です」


 たった一瞬で、フロレンツィアの目はかたきを前にする憎悪の目つきに変わった。


「あー、……なるほど」


 薄々感づいていたが、たった今ルートヴィッヒの憶測が確信に変わり、ルートヴィッヒもフロレンツィアを同じ目で見返した。


 ――婚約者から、恋敵こいがたきに。


 目の前の女のカテゴリーがあっさりと切り替わった瞬間、ルートヴィッヒが被っていた『貴族』の体裁は剥がれ落ちる。


「どうしてくれますの? 貴方が余計な事を喋るからあの子は私にいらない気を回したのです」

「余計な事って……、まさかお前全部知ってたとか言わないだろうな?」

「当たり前です。お父様が経歴のわからない人間を大事な娘に付かせるわけありません。 最初から、ロザリーと例の組織の因縁については知っておりました。さすがに貴方が『ジャックドー』のボスだったとは思いもしませんでしたけれど、そのあたりの事は貴方の御父上からもしっかりと聞き出しましたから本当なんでしょう?」


 いつの間に人の父親まで懐柔かいじゅうしたのか、人畜無害な見た目をして中身はとんだ狐だ。


「あの子の事なら私はなんだって知りたいんです。私の事、少し見くびったのではありませんか?」

「そうだな、まさかここまでとは思ってなかったよ」


 ルートヴィッヒは乾いた笑いが出た。


「まったく……、こんなところに呼び出すから一緒に花でも愛でろ、だの言われるかと思えば」

「あら、ひょっとして期待させたかしら? 申し訳ありませんわ。私、花とか一切興味がなくて」

「奇遇だな、俺もだよ」


 両者のにらみ合いがヒートアップし、今にも爆発しそうになったその時、サンルームの扉がおもむろに開いた。


「あの、……旦那様。ご歓談のところ申し訳ありません」


 ルートヴィッヒたちの様子を見守っていた執事長が困惑した顔で近づいてくる。その様子は、剣呑けんのんな空気になりつつあるルートヴィッヒたちに動揺しているだけではなく、明らかに何か不測の事態が起こったのだと示していた。


「どうした?」

「……それが、先ほど妙な男が門の前に現れてこれを置いて行ったのです」


 そう言って手渡されたのは何の変哲もない紙切れだった。


「明らかに不審なものなのでそのまま捨ててしまおうかと思ったのですが、念のため旦那様に確認を、と……」


 紙切れには薄い字で短い文章と簡易な地図が書かれていた。その内容を目にした瞬間、ルートヴィッヒは凍り付く。


『ルッツ

 ゲームはまだ終わっていない

 お前の大事な聖騎士様が最後の舞台で待っている』


 大事な聖騎士様。ルートヴィッヒの大切な――。


「ちょっと! これどういう事よ⁉」


 手紙を盗み見たフロレンツィアがルートヴィッヒの胸倉を掴んだ。衝撃で気が遠くなっていたルートヴィッヒはすぐに我に返る。


「この地図の場所はどこ⁉ すぐに案内しなさい!」

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